期待をするから失意のどん底へ落ちる(私がブログを始める前のこと)最終章 | 心をパステルで描いてみようよ♪

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「パステル和アート」
「曼荼羅アート」
「点描曼荼羅」と出逢い
描くことで自己表現できる幸せを感じています(*^^*)
その時その瞬間、感じる色 イメージを大切に。。。
梵字・龍体文字・カタカムナウタヒ・写仏と曼荼羅アートを併せたオリジナル作品も描いています

 

私のこのブログの一番最初は

2015年の2月・・・

 

 

うつ病で休職になって

約2カ月経ったころです

 

 

それまでなんにもする気力も起きなかった

文字を見るのも書くのもダメだったけど

やっと

自分の今を、そのまま書いていこうって思ったのです

 

 

だから、このブログは

私がどん底に落ちたところからの

ちょうど8年間の生きてきた記録

 

 

そして、なぜ今回の

「期待をするから失意のどん底へ落ちる」を書いたのかというと

 

 

 

長男(元夫の連れ子)からは

すでに私のことは「赤の他人、母親じゃない」と

絶交を宣言されてしまいましたが

 

次男は、その時できる精一杯をしてきたつもりだったから

年に数回しか顔合わせてないけれど
結婚式にも呼んでくれた・・・

根の優しい子だから

細々でも繋がっている

 

そう思って・・・思い込んで・・・いました

 

 

 

 

 

 

昨年、私は脳梗塞で倒れたとき

私の実子である息子(知的障害と発達障害)がひとりぼっちでいたとき

私がいなくなったあと、この子をサポートして

生きていく手助けをしてくれる体制を

あらためて、ちゃんと準備しておかないとけないな

 

と痛切に感じ

本当は1日でも1分1秒でも

私の方が息子より後で死ぬことができたらいいのだけど
(障害のある子どもの親はきっと同じ思いですよね)

きっと私の方が先に死んでしまうから

 

社会福祉の方では、いろいろ手続きやサポートの体制を

少しずつ整えている最中ですが

息子が次男のことも、私の子供だから

脳梗塞になった私のことは教えておかなくちゃって

次男を自分の兄だと思う息子の気持ちを

次男にもわかって貰いたかったから・・・・

 

 

 

 

しばらく疎遠になってたけど(次男には次男の生活があるから)次男に

久しぶりにLINEを送ったのです
 

 

 

 

「時々でいいから、○○○(息子)のこと気にかけてやってね」

と・・・・

 

 

 

 

「○○○が仕事をする方向にしていった方がいいです」

「身元引受人、後見人制度の手続きをとってください」

 

 

 

 

返ってきた言葉はこれでした・・・

 

挙句の果てに

「自分には、家を建てて2400万の借金があるから

助けることはできない」

 

 

 

 

 

そんなことお願いしていたわけじゃないのに

ただ、息子が1人になったとき

時々でもいいから、顔見にきたり

時々でいいから、声かけてやって欲しい

ただそれだけのお願いだったのに・・・・

 

 

 

お金や生活の援助をしてくれなんて

ひとことも私は頼んではいなかったのに・・・・

 

 

 

 

今までだって頼んだこと一度もないのに・・・・

 

 

 

 

 

 

次男からの反応の冷たさに

自分が思っていた次男とのギャップ

 

あまりにもそれがショックで

私はその後、ずっと泣き続けました

勝手に涙が流れてきて

心に大きなくさびが刺さったように

痛くて苦しくて・・・・

 

 

 

 

 

私がいったいなにをしたの?

 

 

 

 

 

しばらくは悲しみの感情が極まったまま

ただ悲しくて辛くて

泣き続けました・・・

 

 

そして怒り・・・

 

 

だから

「安心してください」

「福祉の方にもどこにも・・・

○○○に兄がいるとは言ってませんから」

「直接迷惑をかけることもないですから」

と返信し、LINEを閉じました

 

 

 

 

そして、感情がおさまってきたときに

 

私は次男は私のことを母親だったと

○○○を弟だと思ってくれてる

と勝手に思い込んでいたのかもしれないな

 

 

 

 

そしてずっと引っかかっていたこと

 

 

結婚式に呼んで貰ったけれど

おばあちゃん(私の母)への感謝の言葉と

セレモニー的なことだけしかなかったな・・・

ひとことも「お母さん」の言葉もなんにもなかった・・・

 

私は母親として次男の上司や同僚

お嫁さんのご家族ひとりひとりに

お礼とこれからもよろしくお願いしますとまわったけれど・・・

 

 

 

そっか・・・

 

 

あれは、気のせいじゃなかったんだ・・・・

 

 

 

 

そういえば

脳梗塞で倒れたことも、私の弟から聞いてるってことだったけど

なにも心配の言葉もなかった

 

 

 

 

 

 

 

私は次男にとって、離れていても

戸籍上は他人でもずっと家族だと信じてた

次男を戸籍上も家族にすることも考えたけど

そうすると、なにかあったとき(経済的破綻)迷惑をかけてしまうから

 

県外へとんずらした身勝手な父親

自分はなにも責任を持たないのに

長男や次男、義母や義妹へ「金くれ」と言ってくる

 

だから、次男には父親との縁を切るように

除籍手続きを促して、次男自身が筆頭になるように手続きを促した

 

 

 

 

私の失敗はなんだったのか?

なにがいけなかったのか?

 

 

 

そこから、自分を振り返る作業が始まったのです

 

最初はまだ

悲しみと怒りの感情が入り混じって

自分を正当化したいがための投稿だったけれど

 

 

 

こうして振り返ってみると

 

 

長男も次男も・・・

さみしかったんだな

孤独だったんだな

 

迎えに行かなかった私を

母親と思えなんて

なんて馬鹿だったんだ

 

って、思うようになりました

 

 

 

実子の息子が一番優先だったから

自分自身も本当に大変だったから

 

 

 

 

 

 

身内とか血の繋がりとか

高齢の両親のことは、すごく心配だし

なにかあったらどうしよう

今は認知症になってしまったけど

私をずっと守って育んでくれたのは

両親だから

 

15年前にお空へ還ってしまったけど

大好きなおばあちゃん

今でもなにかあると

おばあちゃん、助けてって言っちゃう

 

私のせいで両親のことや実家のこと

全部背負わせてしまったから

冷たい対応しかしなくなってしまった弟

 

大事な血の繋がりは確かにある

 

 

 

 

けれど

 

 

 

 

もう、それぞれで生きていく覚悟をする時なのかもしれない

 

 

 

私は大事な息子と、ふたりぼっちでも

頑張って生きていこう!

私自身を大切に、1日でも長く息子といられるように

一番に考えて、生きていこう!

 

 

そう覚悟を決めなさいという

かみさまからのメッセージなんだ

 

 

 

 

そう、思えるようになりました





 

長い長い

私の振り返りに

お付き合いくださったみなさま

 

ありがとうございました🙇

いいね!にどれだけ励まされたことか😭

 

 

 

この次男との一件が起こった日

そのことが起こるより前に

 

大好きなMarkoさんから

忙しい中、どうしても今出さなくちゃ!って送って下さった

お守りが届いていたのです

 

 

 

 

 

「どんなことが起きたとしてもたいじょうぶだよ」

「ゆ~やさんは護られているから」

って😭

 

Markoさん!私、守られてました😭

たくさんコメント下さり、最後まで見守るからねって

励ましてくれて・・・

本当にありがとうございました🙇

 

 

みんなみんな

ほんとうに、ありがとう~~~~~~\(^o^)/💕

 

次の投稿からは

また、アートとかいろいろ載せていきますから~~~

 

 

テントウムシ🐞のチョコレートも貰ったの