
無事太宰府天満宮に到着。
移動は特に不安を感じることなくスルスルと来れてよかったです。
さすが観光地化している太宰府天満宮なだけあって、平日でも結構人が多かったです
雨は相変わらず降り続いているので、予定を変更できないような人しか来てないかもしれませんが…

鳥居の近くの御神牛は記念撮影をするために行列ができてて、牛の人気すごいなって感じでした
さすがにその列に並ぶ気にもならなかったので、牛はスルーしました

太鼓橋あたりも人が多くて立ち止まるのも気が引けたのでそのまま歩いて五の鳥居を通り抜け楼門まできました。
門が竜が付いてたり柱も柄が付いてたりと珍しい神社だなって感じでした。
麒麟と鷽。
鷽は言われないと丸っぽい何かにしか見えなかったです
鷽は幸運を運ぶ守り鳥と書いてありました。

手水舎。
中に亀が彫られているのが珍しかったです

楼門の柱が上り鯉。
上り鯉は中国の古事の登竜門に由来するらしく、立身出世と合格祈願の象徴らしいです。
さすが学問の神様が祀られているだけあるという感じです。

狛犬が可愛いと思って撮ったもの。
目がくりくりしてる感じか可愛らしさと愛嬌がある気がします

さすがにこちらの牛には行列などもなくサクッと写真が撮れました。
撫でられてるせいでてかてかしてますが

御神木の飛梅。
京の菅原道真の庭木の梅の木が、主を追いかけてここまで飛んできたとか言われている梅。
そんな馬鹿な
って話があの時代らしいとも思ってしまう。

灯篭と木々がいい感じに喧噪を忘れさせる感じの雰囲気でいい感じでした

くすのき千年さらに今年若葉なりは俳人荻原井泉水の句だそうです。
明治生まれの東京出身の俳人なので、なんの縁でここにこれがあるのかよくわからないですが、大きなくすのきのそばに句碑がある。
奉納という意味合いなのかなぁ?
このくすのきに対する碑なのかと思ったら違ったオチでした
宝物殿も入れ替えだかで休館中で入れず、もう見るところないかも…と思ったのですが、菅公歴史館という建物が目に入ったので入ってみることに。
みなさんスルーしているらしく、あんなに太宰府天満宮が人だらけだったのに、こちらで見かけたのは1人だけと寂しい感じでした。
菅原道真の生涯を博多人形で物語として見せる施設のようです。
祭事や神事の様子や実際に使われている祭具も展示されている太宰府天満宮管理の歴史館のようです。
拝観料200円でこの内容ならもっと人が入ってもよさそうなのに…という感じでした。
静かに見ることが出来たので、個人的にはよかったですが…

飛梅の元になってる自宅の庭木の梅の木かな?
5歳の頃に美しく紅色に咲いている梅に顔をつけたくなるという感じの歌を歌っている様子ぽいです。

学問に励む道真を連れて、学問が出来て長生きできるようにと観音様にお祈りにきている母親との様子。
教育ママって感じなのかな…

文武両道を目指していたようで、弓道が得意で26歳の頃に弓の大会で百発百中の腕前を披露しとか。
いや、さすがにそれは嘘だろって思う話
誰よりも的中率が高かったとかそんなところじゃないかな…

33歳で文章博士になり、中国の学問を参考に日本がよくなるような学問をみたいなことを考えていたぽい。
ここまで来た時点で妬みを買う嫌味さがある気はします…
なんでもできすぎで加減を知らないというか…
39歳の時にぼっかい国という中国北東とロシア沿海州と朝鮮半島北部に存在していた国から朝廷に献上品が送られたことで、接待する役を担った時のシーンだそうです。
いつものごとく右上がりのきつい写真になってます

説明看板映し忘れたシーン。
たぶん飢饉とかで苦しんでいる人にに米を分け与えてありがとうございます的なシーンな気がする。
たぶん…

馬に乗った宇多天皇のお供として、奈良のたむけ山八幡宮へお参りにきたシーン。
百人一首のこのたびはぬきも取りあえずたむけ山紅葉のにしき神のまにまにと詠んだという話。
この度は急な旅になり捧げるものを持ち合わせていないので、たむけ山の紅葉を神様に捧げますみたいな詩。
みやびな感じの歌ですが、いや急いでてもなんか一つくらい持って出ろよって感じはしなくもない…

56歳の時に宮中の詩会で道真が詠んだ詩に後醍醐天皇が感心して褒美に着ていた衣を下賜されたという話。

道真は右大臣として学問や政治で大きな活躍をしすぎたため、藤原時平に妬まれたことでありもしない罪を着せられ57歳の時に太宰府の実務を司る役職につかされる。
要するに邪魔ものを左遷することに藤原時平が成功したという話。
出る杭は打たれるというほどほどを知らないが故に目をつけられ、そういうことをする人がいるところまで読めない腹黒さがないともいえる人な気はします。
この後の歴史で藤原道長が藤原政権を作っていくという流れを考えると、藤原氏の欲深さを感じられるポイントなような気もします。

庭木の梅の木と別れる時に東風ふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそと詠んだシーン。
主がいなくなったからといって春を忘れて花を咲かせないなんてことはせずに、東風が吹くときに主のいる太宰府まで匂いを運んでくれみたいな詩。
そんな詩を詠まれた梅が主を追いかけるために飛んできて、太宰府の御神木の飛梅になるという話。

左遷される道真を同情しながら見送る都の人。
たぶんそこまで影響力ない気がする…
殿上人とは住む世界が違うし、庶民は農業をしてその一部を税として納めるくらいの感覚しかない気が…
この時代だと特に教養が高いというほどでもない気がする。
識字率も高くはないと思うし。
貴族は税を取り立てにくるくらいの感覚な気がする。
貴族の男児は漢文を、女児はひらがなを。
女児で漢文を読めたら男勝りとか、女のくせにみたいな感じの時代に、宮中の貴族がどうこうとか思うような生活はしてないと思われる。
平安中期くらいになって、ようやく庶民に仏教が広がるようになり始めることを考えると、道真の時代にはまだ仏教は庶民には広がっていない時点で、貴族と庶民の垣根は大きい気がする。

道中大阪にいる叔母の尼君と一晩語明かすも、一番どりが鳴く頃に出発というゆっくりできない旅。
まあ、罪人として左遷されているようなものなのでのんびりしてる猶予はもらえないでしょう…

博多に上陸。
漁師が座る場所を用意してくれたとかいうシーン。
気を利かせて作ったというよりは、そうしないとダメみたいなのがありそうな気はする。

57歳になった道真は去年後醍醐天皇に下賜された衣を持ち、天皇を思って祈り漢詩を詠んだというシーン。
1年で怒涛の転落人生。
天皇から下賜されるくらい心を寄せられていたはずなのに…という感じです。

そんな苦しみに満ちた生活を続けていた中で、天拝山に登り雷雨でも国家安寧と皇室の繁栄を祈ったというシーン。
不器用すぎる…

59歳の時に亡くなり遺体を乗せた牛車が動かなくなった場所に埋葬され、そこに太宰府天満宮が建てられたとのこと。
神社の下が墓場みたいな…
亡くなった後に毎日参拝客が訪れさぞ賑やかなことでしょう
そもそもない罪で左遷されて、その先でも国家安寧やら皇室の繁栄を願っていた人として伝えられているので、亡くなった後に天変地異や疫病が次々と起こったことで、道真の怨霊がこれらの事態を起こしているあいつ頭良かったし学問の神様として祀ろう!社建てようぜ!みたいな感じなので、道真としては天変地異や疫病が自分のせいといわれて不服なのでは…という感じもしますが…
嵐の中でも国家安寧を願うほどの人が、左遷された恨みつらみで都に天変地異を起こしているとか名誉棄損とか言われてもおかしくないような気はする
それでも自分を信仰して、学問の道の頼りとして思ってもらえているという事実は追々見ると道真にとっては悪くはない結果なのかもしれないかな?とは思います。

こけしも飾られていました。
このこけしが可愛いなと思って撮ったもの。
他にも菅原道真の置物、牛に乗った菅原道真のなど色々な飾りが展示されてました。
可愛さは微妙な感じです…

□の真ん中中央にあるのが大宰府政庁。
大宰府の政はこのあたり一帯で行われていたようです。
□の右上あたりが太宰府天満宮。
山の上の開けたあたりが岩屋城。
形や機能は中国の長安を模しているようなので、京と同じような配置になっていそう。
碁盤の目だったり、朱雀門や羅城門もあったのでは?みたいな話もあるようです。
京と違うのは風水のあたりじゃないかなぁ…
風水の結果を元に京は鬼門封じとか色々施されてるけど、こっちはそんな雰囲気見受けられない気がします。

曲水の宴のシーン。
京の宮中行事を再現した神事。
京都の鴨川神社の曲水の宴が一番有名な神事な気がします。

大きな楠。
樹齢千年とも千五百年ともいわれているそうです。
大正時代に天然記念物に指定されているそうで、文部省から大正13年3月に注意ごとが書かれた看板が設置されているようです。
注意を破ると罰せられるべしと書かれていました
根の土を踏み固めない、火気厳禁、損傷厳禁みたいな感じの注意でした。
一応入れないように柵とチェーンで囲まれてるけど、それを突破する輩がいそうな気がしなくもない…

菖蒲池。
時期じゃないのでもちろん菖蒲は咲いてない。
雰囲気だけ味わってきました。

曲水の庭。
曲水の宴の神事が執り行われる場所だと思われる。
人形で見た通りの庭な感じがしました。

神事がない時は川の部分に水が流れていないようです

太鼓橋を渡ってる最中に少し余裕があったので撮った写真。
太鼓橋が映らないと庭園の池にしか見えないかも…
心字池。
こうなると太宰府天満宮の池って感じがしますね。
やっぱり太鼓橋は大事。

お昼というには少ない気がするお昼。
寺田屋さんで梅ケ枝餅と抹茶のセットをいただきました。
時間も12時40分くらいで、お昼の時間かな…
さすがに焼きたてで美味しかったですし、冷たい抹茶も暑かったので美味しかったです。
梅干しは1個だけ食べて、もう一個は母にあげました…
梅干し苦手なんですよね…
持ち帰りできないかと思いましたが、日持ちが次の日くらいまでということだったのでかさの家さんのを2つ買って夜にまた食べて満足することにしました。

最後に太宰府館へ来ました。
タビットが可愛いなと思って撮った写真。
令和の都?って感じでしたが、万葉集の序文にある梅花の歌が太宰府で行われた梅花の宴から来ているからとかそんな感じらしい。
難しすぎてよくわかりません…

中に入るとまたもや炭次郎の大野城跡へというパネルを発見しました。

大宰府政庁の模型。
大宰府展示館行きたかったのですが、行くの大変そうだったので諦めました。
バスしか移動手段がないというのが不便すぎて…

大宰府館に寄ったのはマンホールカードをもらいに行くためでしたが、岩屋城跡の御城印と大宰府政庁印が売っていていい感じだったので購入しました。
この日の収穫はこんな感じでした。
大牟田のマンホールカードの話はもう少し後で…
その後、手荷物とか休憩とかしたかったので大宰府館の2階が休憩スペースだったのでこちらでのんびり過ごさせていただきました。
トイレも綺麗だし、テーブルと椅子もあるし、自販機もあるのに人がほとんど来ないので穴場な休憩場所な感じでした。
荷物をリュックに詰めたり、お茶飲んだり、ゲーム休憩したりとだいぶゆっくりさせていただいた気がします。
人が少ないのでついゆったりしすぎた感じはします

その後は太宰府館でポケふたの場所確認できたので、ポケふたの写真撮りに行って電車乗ろうとしたら目の前を通り過ぎていきましたね…

待ってる間に駅の天井に梅の灯篭が飾られているのを見たり…
駅の看板撮ったりと時間をつぶし電車を待ち…

来た時も思いましたがカラフルな太宰府電車に乗り大牟田へ向かいました。
大牟田行の電車は座れないかな?と思ってましたが座れたのでよかったです。
休憩したとはいえ歩きとおしで疲れがたまっていたので助かりましたね…
その後大牟田で降り、マンホールカードを貰いに下水道課に向かいマンホールカードをいただいて、そのあとはカルタ資料館に向かいました。
資料館撮影不可だったので、何も写真撮れなかったですが古墳時代の展示物はさすがに北海道にはないので、そのあたりの展示がすごく珍しいなと思いながら眺めました。
カルタも夏目友人帳コラボバスに乗った時にカルタの案内を少しされたので、あんな感じかな?とイメージしやすかったりしたので悪くはなかったかもという感じでした。
あまり見ることのない展示だった気がします。
その後はまた大牟田駅まで戻り、今度はJRに乗り上熊本まで…
混んでたので中々座れずにいましたが、途中座れて上熊本で降りようと立ち上がってるのに学生さんがよけてくれる雰囲気がなくて降りるのに苦労しました…
横でも後ろでも空間開いてるのに、道ふさいだままにされるの困りすぎる…
母とも席が離れていたので、ここで降りるって声かけてギリギリ滑り込みで降りれた気がします…
なんか熊本の人は譲る精神が全くないのか、道路でも結構危ない思いをすることが多かったです。
ひき殺す気満々なんですか?っていう運転しすぎだと思う…
北海道もマナー悪いってよく言われるけど、さすがに電車降りるときはみんな道譲ってくれるよ…
信号渡ってる横から突っ込んできたりとか…
もう少し取り締まり強化したらいいんじゃないの?って感じがしました…
上熊本で降りたあとは、ヤマトの花園営業所まで歩いて向かいました。
無事送った荷物を受け取って、タクシーよぼうと近いタクシー業者を教えてもらったのですが、雨のせいで1時間待ちとか言われてさすがにいいですって断りました…
それを見ていた営業所のお兄さんが別のタクシー業者に電話をしてくれて、10分で来てくれるという話で待っていたのですが…
呼んだタクシーが営業所前にあるマンションで後から出てきたお客さんを乗せて行って、10分以上待っても来ないってなっている時に今度はそこのマンションにタクシーが来て客待ちしていて、営業所のお兄さんが電話をかけたタクシー業者に電話をかけなおしてくれて、最初に来たタクシー自分たちが乗る予定のタクシーだったという話になって、マンションで客待ちしていたタクシーを変わりにしてという話になり、そちらに乗せてもらえることになりました。
なんだかんだでヤマトの花園営業所のお兄さんには色々お世話になってしまって申し訳ないと思いつつ、知らない土地だったのですごく助かりました
乗ったミク携帯のタクシーの運転手さんは住所だとちょっと到着できそうにないという話で、自分の携帯でナビ入れようとしてくれたのですが、開くたびにミクがおかえりなさい~
って喋ってて、なんか申し訳ないな…って感じでした
結局私がナビで案内しつつなんとか泊まるアパートまで乗せてもらえましたが、車のすれ違いが出来ない道を走っていただいたので、そちらも大変な思いをさせてしまったなという感じでしたが、タクシーの受付と勘違いした運転手は問題ありすぎだと思います
20分くらい待たされたよ…
その後借りたアパートに入るのにも苦労しつつ、何とかアパートの鍵を開けたらカサカサ~と動くものが…
まさかのGにお迎えされた…
母がドア開けた瞬間になんかいる!っていうので、棚の裏に隠れたらしいGを発見してフローリング用モップ(紙装着済み)を持って棚動かしてぶったたいたものの、モップではうまくたたききれなかったらしく、死ぬ雰囲気がなくてどうしようもなかったので玄関からポイ捨てしました…
そもそも死んでくれないとゴミ箱にも入れたくない…
ジェットでもあればシューってするのに、それもないから叩いて追い出すくらいしか方法がなかった…
その後部屋の中を確認しましたが、Gには会わずに自宅に帰宅できたのであの1匹で済んでよかったです
荷物置いてから近所のマックスバリュまで夕飯の買い出しに行って、トップバリュのいちごのドレッシングを発見して、こっちにしか売ってないのかなーとかいいつつ帰ってきたのですが、近所で探しても見つからないし北海道産カボチャ使用のドレッシングこそこっちで見つかりそうなのに見つからないしで、両方とも近所にないのかと思いましたが、最近宮の沢のマックスバリュでいちごドレッシングを見つけたので、売ってる店舗には売ってるという難しいドレッシングだったんだなと思いました
買い出しからアパートに戻って来て、なんだかんだしているうちに結局寝るのが遅くなって、次の日も朝早いのに…って感じになりました