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まだ見終わっていなかった壇上伽藍に戻ってきました。

行事の行われているので金堂は入れず、見れるところもある程度限られている感じでしたが・・・

まあ最初から外から眺めるしかないものの方が多いですけどね。

写真は不動堂。

創建は初期の頃のようですが、建物自体は鎌倉後期のものではないかといわれているようです。

不動明王が祀られていたことから不動堂と呼ばれているようです。

明王像とか色々な像があるのが密教の特徴って感じがします。

密教は大日如来が宇宙の中心として扱われているようで、そこから派生したものが大日如来の使徒というか分身みたいなそんなイメージの仏教なんだなって感じで見てます。

全ての像は人を救うためにかゆいところに手が届くというか、身近なところを助ける役割はこれみたいなのがあるような気がします。

愛染堂。

名前の通り愛染明王を祀っているところ。

こちらも創建は初期のころからのようですが、やはり燃えて何度も建て直されてるそうです。

建物は江戸時代後期に建て直されたものみたいです。

高野山の建物はよく燃えているイメージしかないです汗

三鈷の松。

高野山2の記事で少し書いた高野山開創伝説に出てくる三鈷杵が引っかかっていたといわれる木。

さらにこの松は葉が三鈷杵が引っかかっていたから葉が3枚になったとか言われているようです。

通常は2枚が多いということで、3枚なのが珍しいという話でこの葉を持って帰ると幸せが訪れるとかご利益がある葉といわれているようです。

写真だけとってその場を後にしましたが・・・

御影堂。

弘法大師の御影像を置いていたことからこの名前がついたそうです。

防火対策がされているらしく、建物をぐるっと囲むように噴水のように水が噴き出す対策がされている建物だそうです。

一般の人は入ることが出来るのは限られた日だけのようです。

右が准胝堂(じゅんていどう)、左が孔雀堂。

准胝観音という千手観音に似た感じの手が18本の観音が置かれていたことからこの名前になっているようです。

准胝観音ってかなり珍しい数が少ない観音らしく、知名度がかなり低いそうです。

私も聞いたことなかったです。

安産祈願の観音様といわれていた観音のようです。

そういう観音ならもっと知名度高くてもよさそうなのになぁ・・・と思ったりしますが・・・

数が少ないのが知名度の低さに繋がるのでしょうね。

孔雀堂は孔雀明王からこの名前になっているそうです。

仏教では孔雀は吉鳥として扱われている鳥で、孔雀に乗った変わった明王像なので割と目立ちやすい気がします。

日光の輪王寺の孔雀明王は高野山と違って入れば見れます。

かわっているので、見るとインパクトが結構強いです。

もはや何を撮ったのかもわからなくなってしまった写真。

建物の形が好きとかそんな感じで撮った写真な気がしますあせる

西塔。

根本大塔と同じ時期に作る予定だったものの、色々な事情があって空海が奥の院に入ってから完成したというなんともバタバタな事情を抱えている建物。

もちろんこちらも焼失しています。

根本大塔とセット扱いの建物のようですが、根本大塔がかなりカラフルなのでセットのように感じにくい気がします。

中を見たら同じように感じるのかもしれないですけどね。

同じような構成の建物のようなので・・・

一般公開されている時もあるようなので、そういう時に行けばセットだというのがわかるのかも。

御社。

高野山2の記事で描いた伝説でちらっと話した、高野山の神社にいた丹生明神のための御社。

ここに開創する許可をもらった神様なので、きちっと今でも祀られているのでしょう。

六角経蔵。

名前の通り六角形の建物。

右の人が木の棒を押していますが、これを押して一周すると一切経を一通り読誦したことになるそうです。

全部声を出して読まなくても一周するだけで徳が積めるとかお手軽な感じですね。

名前の通り経が納められていた蔵なので、回すことによってあふれ出る力を手に入れられるとかそんな感じなのかも(笑

こういう建物の仕組みは徳とか以前に面白い作りなので、回す順番待ちをしている方がたくさんいました。

混んでなかったら私も回してみたいなと思いました。

左の木が西行法師手植えの桜なので、西行桜と呼ばれているそうです。

奥に見える建物が三昧堂。

理趣三昧という儀式を行っていた場所だそうです。

東塔。

もちろん燃えて再建されていますが、140年ほど再建せずに放置されていた建物ということなので重要度が低いのかも。

不動明王と降三世明王が祀られていたそうです。

その後壇上伽藍をあとにして、金剛峯寺に向かいました。