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一の橋に到着。

12時51分の写真。

九度山からこちらに来るまで1時間くらい。

道は混んでなかったのでよかったです。

清浄心院さんで13時から護摩行を毎日行っているということで、この時間に合わせてこちらに来たかったので時間的にちょうどいい感じでした。

鳳凰奏堂がどこだかわからなくて少し苦労しました。

この建物の中は自由に出入りしていいということでした。

護摩行も無料で見ることが出来るのがすごいなって感じです。

13時から開始して、火をつけるまでに結構時間がかかるのですがついてしまえばあっという間に火が高く上がる感じでした。

この写真が13時39分なので、火がこれくらいまでくるのには30分以上かかるということなんだと思われます。

色々手順とか踏んでいるのもあるのだとは思います。

護摩行はやると眼鏡が曲がるというくらい熱い修行だとか。

火をつけるための薪。

これをコツコツと入れ火力を上げていました。

火の粉が上に飛んでいっていたのですが、上に空調があるらしく煙と火の粉は全て上に吸い上げられる形で出ていっていました。

火を建物の中で燃やすにはそういう設備も必要なのだろうなと思いました。

とても静かな空間で火がはぜる音が響き、火の粉が上がる。

なんとも言えない空間がここにはあるなと思いました。

貴重な体験をさせてもらえました。

椅子を用意してくれるので、座ってみることも出来るというのがよかったです。

正座だと足しびれて動けなくなりますしね・・・

さすがにずっと居てもしかたないので、ある程度のところで切り上げて外にでました。

枝垂桜がまだ少し咲いてました。

ちょうど北海道は旅行中が満開な感じで、桜見ることは出来ないだろうなーと思いながらいたのでここで見ることができてよかったです。

一の橋。

あとでまた清浄心院さんには寺院見学がしたかったので来る予定だったのですが、受付時間が16時だったのでそれまでの間奥の院を少し見ることにしました。

もうこちらの方は歩く予定もなかったので今のうちにって感じでした。

一の橋から中の橋までの間には武将の墓所が多く、それを探して回るというのが一の橋から中の橋までの空間での楽しみでした。

武将の力によって墓所の大きさとか作りに差が出るのが面白いなって感じで回りました。

墓所の大きさが権力の現れなのだとか。

最初は武田信玄と勝頼の墓所を見つけました。

この苔むしてる感じはあえてなのだそうです。

綺麗にし過ぎないのが大事なようです。

次は上杉謙信との景勝の霊屋(たまや)

少し奥まった上の方にあるのでちょっと探しにくい感じがしました。

廟墓があるのは珍しい感じでした。

江戸初期に作られたものらしいので、本人がこうしたかったわけではないのでしょうね。

伊達政宗墓所。

石鳥居があるのが特徴的な感じ。

五輪塔という縦長の墓所が多いのですが、五輪塔は仏教の地水火風空の五大を表すそうです。

上から空輪(宝殊型)、風輪(半球型)、火輪(屋根型)、水輪(球体)、地輪(六面体)という構成で燈籠も同じように作られているそうです。

石に刻まれているのは梵字ですね。

梵字はサンスクリット語を書き表す際に使われた文字だそうです。

仏教がインドから来ているので、順々に伝わって日本でも使われているという感じ。

石田三成の墓所。

権力の差というのがわかるこじんまりとした墓所。

あまり多くは望まない人という感じはしますが・・・

本田忠勝の墓所。

なんか耳みたいなのが生えているのが印象的。

細々としている気がします。

お供えされているのはコウヤマキだそうです。

花の代わりにお供えするそうで、花より長持ちなので長くお供えできるということらしいです。

このコウヤマキをお供えするのは、それぞれの管轄の寺院の僧侶の方のお仕事だそうです。

それぞれの武将も管轄する寺院が違うという感じ。

奥の院と一言でいっても、いろんな寺院の僧侶の人達がそれぞれの墓所を守っているということらしいです。

いろんな寺院が関わりあって、奥の院という一つの形にになっているようです。

ただ奥の方の御廟あたりの管轄は奥の院のお仕事のようです。

目に見えない色々な人たちが関わり合うことで作られているのが奥の院という場所のようです。

中の橋。

橋を渡る時は一礼してから渡るのだそうです。

橋の下で弘法大師が休んでいるからだそうです。

なので静かに渡るように杖なども橋の上ではついてはいけないそうです。

汗かき地蔵と奥に少し見える井戸が姿見の井戸。

汗かき地蔵は常に人々の犯した罪に苦しみ、その苦しみを慈悲によって代わって受けているため汗を流しているということのようです。

罪の苦しみをかわりに受けて汗を流すとはマゾ・・・いやなんでも・・・

それもきっと修行の一環とかなのでしょうね。

姿見の井戸は覗き込んで自分の姿が映らないと3年以内に死んでしまうという言い伝えがあるそうです。

暗い時に覗き込むともちろん映らないのでお気を付けを。

まあ、私は暗い時に覗いて映らなかったんですけどね。

昼間覗いたらきちっと映りました。

中の橋まで来たので、だいたいいいところ見て歩いた気がするので車に戻りました。

厳密には見つけられていない武将のお墓があったのですが、時間の関係からこの日はスルーすることにしました。

この日お世話になる櫻池院さんに来ました。

受付だけと思ってきたのですが、お茶とお茶菓子を用意してくれたりとチェックインだけのつもりがあれこれご接待されました。

出されたお茶菓子が美味しかったのですが、どこのお菓子なのかまではわからずもったいなかったなと後で思いました。

その後チェックインの手続きをして、お部屋に案内してもらってから再度観光に戻りました。

この時点で14時44分だったので、観光に戻ったのは15時くらいな気がします。

清浄心院さんの寺院案内の受付が16時ということで、時間が1時間ないくらいという感じでした。

壇上伽藍とか見て回るには時間がたりない気がしたのでどうしようかなと思ったところで、霊宝館が目に入ったのでこちらに寄ってみることに。

あまり時間がないのでじっくりは見れませんでしたが・・・

高野山の寺院とかの宝はこちらに集められているそうですが、展示に関してはその時々によって違うそうでかなり数があり入れ替えしながら展示しているとのことでした。

中では仏様の種類という紙が置かれていたので貰ってきました。

如来の手が印を結んでいるのですが、その印にも意味があってこれはこういう意味ですよみたいなことが書かれていました。

なんとなく見ていた如来像でしたが、こういう意味があったんだって感じでした。

手にはその像がどんなことを伝えたいのかわかるように出来ているのかと思うと面白い気がしました。

仏教の中でも密教という種類は結構特殊というか、他の宗派より色々情報量が多い気がします。

世界が壮大というか・・・

仏教の中でも情報量が多いだけあって奥深い気がします。

信仰という意味では簡略されてる方がしやすいのでは・・・?とは思いますけどね。

情報としては面白いとは思いますが、信仰したいわけではないという複雑な感じ。

信じるわけではなく、知る楽しさの方が私には強いです。

私は神社仏閣好きですが、別に信仰心があるから好きなわけではないです。

神様も仏様もどんなに思っても助けてくれるわけではなく、見守ってくれているという感じなので何かを変えたい何かをしたいと思ったら自分で動くしかないわけで、信仰したところで何がどうなるわけでもないという感じです。

まあ信じる者は救われるというので、信じることも大事なんだろうなとは思いますが・・・

私はそういう風には感じないかなって感じです。

その後時間ギリギリに霊宝館を出てしまったせいで、清浄心院の受付時間を過ぎてしまってから到着したのですが、案内してもらえるか聞いてみたら大丈夫だという話だったので中を案内してもらいました。

案内してくれている人はお寺の人ではないような気がしましたが・・・

言われたことだけやってる感じが・・・

お寺にはこんなものを見せてもいいの?思うような貴重なものが置かれているのを見ることが出来たりしました。

何を見たのかもう忘れてしまいましたが・・・あせる

古い紙に書かれた何かだったような気は・・・

あとは昔宿坊として使っていた台所の釜がしっかり残っていたり、ネズミ対策の空中に浮く保管場所とか、大きなへらとかそういうものを見ることができました。

ちらっとですが、上杉謙信に関するものも見れました。

本当はそこが一番見たかったのですが、あまり展示されているわけではないということなのだと思います。

しかし案内してくれてる人は弘法大師に対して雑な話し方で、こんなんで大丈夫なんだろうか・・・という感じでした。

空海って呼び捨てでいいのかよ・・・って思いました。

お寺の人じゃない一般人が空海っていうならわかるけど、お寺の関係者が空海って呼び捨てにしたらあかんだろ・・・って思いました。

弘法大師だとすでに敬称が入っているのでいいと思いますけど、空海で呼び捨てはあかんと思うわぁ・・・

僧侶の方は空海様というのに・・・

僧侶の方に話す時もさすがに空海というのは憚れるので、空海さんは~とか気を使って話してるのに・・・

なんかすごく雑だなって感じた瞬間でした。

このお寺案内1000円お支払いで護摩木付なのですが、なんか案内雑過ぎて1000円はお高いなって感じがしました・・・

護摩行見せてもらってる分、還元したと思えばいいのかな・・・って感じでした。

その後夕飯の時間が17時だったので櫻池院さんに戻ったら、夕食の時間という感じでそのまま受付をした広間まで行きました。

ちょっと遅刻になってしまったので、他の方とは別にお料理の説明をしてもらいましたあせる

ごま豆腐は山葵がのっていて、山葵だけ無理だと思ってよけましたがそれ以外は食べました。

お茶碗が空になったらあちらでお茶を汲んで飲むことができますと案内されましたが、私は食前の薬があるのでお水を先にもらいました。

食後の薬もあるのですけどね・・・

こういう精進料理は偉い人しか食べられない料理で、僧侶の人は一汁一菜というご飯だという話を聞きました。

まあ、こんな豪華な料理ホイホイ出せないですよね。

手間も多いし。

この桜池院さんは住職が現在いないそうで、チェックインの時に案内してくれた人が年末あたりに住職になれるんですという話をしていました。

住職をしていたお爺さんが亡くなったことで住職不在で、仮住職を他のお寺の住職の方がしてくれているのだとか。

お父さんはお爺さんが亡くなる前に亡くなってしまったとのことで、孫の自分が住職になるのだという話をしていました。

住職になるにも色々手順があって、それをクリアしていくことでようやく住職になれるということなのだと思います。

修行の過程を吹っ飛ばして住職になれないのは、わかるような気がしますね。

仮住職の人は常にここにいるわけではないので、すべてを回しているのは年末住職になるという僧侶の方でした。

夕飯を食べ始めたあたりで、私が事前に奥の院のナイトツアーをお願いしていたのでそれに参加したい人がいれば事務所まで来てくださいという話をされていきました。

 

夕食を食べていた人が他に3組いて、2組の方がナイトツアーに参加することになりました。

ナイトツアーに参加する方が思った以上にあつまったことで、急遽友達なのか知り合いなのかに大きな車を出してもらったようでだいぶ出発はだいぶバタバタしていました。

私と母、夫婦で来ていた方、カップルで来ていた方と6人という感じのツアーになりました。

車で一の橋まで送り届けてもらって、そこから年末住職になるといっていた僧侶の方に奥の院を案内してもらいながら進むという感じでした。

ナイトツアーは18時集合だった気がします・・・

もう記憶が曖昧に・・・

何故か便乗した人達の方がやる気に満ちていて、集合早くないかな・・・って感じでしたが・・・

一の橋に到着したころはまだ周りは明るかったですが、燈籠には明かりがついていました。

歩いている間にだんだんと暗くなっていくと思いますと僧侶の方がお話しながらドンドン進んでいきました。

そして私が行きたくて申し込んだツアーだったのに、便乗したカップルのお兄さんが僧侶の方にべったりでとても間に割り込める雰囲気でもなく、完全に相手にしてもらえない感じの位置加減でした・・・

そんなにべったりするくらいなら、最初から自分で申し込んでおけばよかったのに・・・という感じでした。

私は色々調べて奥の院のナイトツアーが公式サイトの方でやっているというのを見かけたので、奥の院のナイトツアーお願いできますか?と聞いて申し込んだりしたのに・・・

予約をとったページでは壇上伽藍のナイトツアーしかかいてなかった気が・・・

そもそもそれすら申し込んでいる人いなかったのに・・・

なんだか申し込んだ側が蚊帳の外って感じでした。

夫婦の方はお母さんの方が心臓が悪いそうで歩くのが少し大変そうでした。

旦那さん気にせずドンドン歩いてましたが・・・汗

高野山は標高が高いこともあって、心臓や気管支が弱い人には歩くと少し息苦しく感じる気がします。

私は気管支弱い方なので少し息が苦しい感じがしました。

マスクもしているので余計そうなりやすいのだと思います。

 

案内の中では上の方で少し書いた話をきいたり、明智光秀の墓所の石は直しても壊れるのは怨念だといわれているとか、奥の院の階段で転んだら不吉なことが起こるから、木に耳を当てて音を聞くとそれから逃れられるとか、高野山の寺院の屋根は檜皮葺でよく燃えるから火事になりやすいとか、火事になる原因は雷だとか、最近は企業がお墓をたてることが多いという話で奥の院に観光しにくる人に対しての宣伝効果もあるとか、奥の院のお墓には自刃した人は入れないとか、仙陵の案内の時は天皇の供養塔だから宮内庁管轄だとか、天(毘沙門天とか大黒天とか天女とかの天)のつくものはさわりがおきやすく、信仰深く扱わないといけないから軽々しく扱えないから、一度手を出してしまうと毎日拝んだりしないといけなくなって、手を抜くことが許されなくなるから大変なんだという話をきいたりしました。

そんな話を聞いているうちに中の橋あたりからぽつぽつし始めた雨が、御廟橋あたりから雨足が強くなり始めました。

あと少しだからと御廟橋を進み無事御廟へ到着し御廟の周りの案内をしてもらったり、拝んでみたりという時間を過ごしました。

その後みろく石で梵字を書いて帰るのが縁起がよいという話を聞き、御廟橋からスタートして御廟を左から回りみろく石の方へ膨らむように歩くと歩いた道が梵字になるのだという話を聞きました。

その後は御廟橋を渡り、水向地蔵のあたりで雨宿りをすることになりました。

その間に水向地蔵の話を聞いたり、僧侶の方の修業時代の話を聞いたりしました。

御廟橋から流れる川の水で水業を真冬にやるのだとか。

流れる水をためるくらいの深めの場所を作りそこで水につかり人の辛さを知るのが修行なのだそうです。

寒さに震える人の気持ちを知ることが水業では出来るとかそんな話でした。

修行大変・・・って思いながら聞きました。

その後は車がすぐそばまで迎えにきてくれて、車にのって櫻池院まで戻ることになりました。

雨が酷くならなければ中の橋まで歩いて戻るという経路だったと思うので雨足が強くなって残念でした。

一部お話を聞きながらメモして歩いたので、そのメモを見てこのブログを書くことで聞いていた話を少し思いだしたような気がします。

 

櫻池院に戻ってきたら雨足が弱まっていたので、お庭の写真を撮ることにしました。

チェックインした時は砂紋が踏まれて荒れていたりしたのですが、踏まれてしまって残念ですねという話をしたので、僧侶の方がそのあと直してくれたようで綺麗になった庭をみることができました。

石庭、枯山水がライトアップされている写真はとったことがなかったので楽しかったです。

枯山水自体が好きなので、ここは砂紋引き体験もできると書いてあったので選んだ宿坊でしたが、次の日僧侶の方がはずせない用事があるということで体験できずに終わってしまいましたが、こうして庭を見るだけでも楽しかったです。

ライトに照らされる庭もなかなかおつなものです。

そんなに大きな庭じゃないので、写真をとる角度とか変えて楽しむしかないんですけどね・・・

こうやくんが微笑んでいるのが一緒に写っていてちょっといい感じな気がします。

お寺の中に飾られていたツボと絵。

桜と月と水という組み合わせの絵がとても綺麗で素敵な絵だなと思いながらここを通るたび眺めていました。

衝立絵。

あまり心惹かれるものはなかったのですが、こういう飾りはやっぱりいいなと思います。

個宅には無理ですけどね・・・

ライトアップされた中門。

この頃にはすっかり雨も止んでいました。

近寄って撮ったらまた雰囲気が違う写真になりました。

ナイトツアーの途中の方らしい人まで映してしまいました。

その後お風呂に再度入る時間がなくなるので、近くのコンビニによってちょっと買い出しをしました。

寄ってみたらお弁当とか全滅だったので、コンビニで買えばいいやーと思って余裕で行動していると痛い目見そうだな・・・と在庫を見て思いました。

私はたぶん飲み物買っただけだったような気がします。

その後はお部屋に荷物を置いてジャグジー風呂に入って冷え切った体を温めて部屋に戻りました。

なんだかんだで高野山は冷えていて、北海道と何も変わらない気がしました。

建物が建物なだけにより冷えているようにも感じましたが・・・

お部屋は広くエアコンもついていたので、暖かく過ごすことができました。

トイレもわりと近くていいお部屋にあたったような気がしました。

寝るころに歯磨きをしていたら、奥の院を案内してくれた僧侶の方がおやすみなさいと声をかけてくれて、最後のお風呂の片付けとか終わったのがこの時間なのかなって感じでした。

夜も遅くまで色々こなして、朝のお勤めもあるので睡眠時間短そうだなぁ・・・と思いました。