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この日の起床時間は5時予定でした。

だいたいそんな時間に起きて、前日に買ったお弁当を食べて身支度をして宿を後にしました。

しかしこの時間から静かにしても、行動するとどうしても音が出るので申し訳なかったですね・・・

でも何もしないで宿を出ることも出来ないので、すみませんとしかいいようがないところです・・・

まさか襖区切りだとは思ってもいなかったんですよね・・・

クチコミには襖区切りという話はみかけなかったので、そんなに近いとは思いもしてなかったんですよね。

朝早く出発する意味としては、GW中ということで大阪に向かう道が混んでいる可能性がなくはないという懸念もありました。

和歌山市まではそうでもないかなとは思ったのですが、そこから高野山に向かう道は大阪から高野山に向かう車で混んでいるのでは?という予想で早めに出ようという感じでした。

しかし前日行こうと思っていた闘鶏神社には予定が押しまくっていたせいで行けなかったので、この日の朝に向かうことにしました。

一会を出て少し移動した先に闘鶏神社はありました。

歩いていける距離くらい。

前回和歌山に来た時も来ていますが、闘鶏神社といえば遙か3でヒノエが木の上からふってくる登場シーンの場所。

初回ルートでしか見ることがまずないシーンですが、印象深いイベントでもあります。

木の上から神子がどういう人物なのか見張っているという・・・

めっちゃ警戒されてんなって後でわかるイベント。

ヒノエ好きならここは絶対はずせない聖地巡礼の場所。

源平合戦においてもこの神社はなくてはならない場所なので、源平合戦が好きな人にも特別な場所な気がします。

熊野水軍が平家と源氏どちらにつくべきか、それを神託に託すという話。

白い鶏と赤い鶏を戦わせ、勝った方に熊野水軍は力を貸すという話です。

どこまで本当なのかわかりませんが、神託というのもあの時代にはとても大事なことだったのではないかなとは思います。

この闘鶏の結果が、白い鶏が勝つという展開になり、熊野水軍は源氏につくことになり最終的には熊野水軍の力もあって源氏は勝利を収めていくという。

源氏は海上戦には長けていないので、水軍の力は絶対必要だったと思いますね・・・

実際海上戦となった壇ノ浦では義経が卑怯といわれる船乗りを狙うという、この時代にしたら蛮行といわれることをしたのもあるとは思いますが、船と船の戦いではなく、船に乗り込んで大将を叩くという方が強かったようですし。

まあ、この時代の船と船の戦いなど弓でやり合う程度だと思いますが・・・

近くに行ってしまえばこちらの勝ちという気持ちが義経には強かったのではないかなと思うところです。

まあ、この頃には平家もかなり疲弊していて負ける覚悟もあったからこそ最後は海に沈むという自害を選ぶ人が沢山いたわけですが・・・

そんな中でも生き残った恥知らずな総大将もいるわけですが・・・

他のみなと一緒に身投げしていれば、後々の世で色々言われることもなかっただろうにとは思います。

生きるために試行錯誤して必死過ぎだったり。

総大将として宗盛は最後のイメージが悪すぎますね・・・

他の平家のみなは死ぬつもりで沈むように石を抱えたりして海に飛び込むのに、何故か死なずに捕虜になるとかね・・・

許しを請うて許してもらえるほど頼朝は甘くないというのに・・・

捕虜として連れていかれるのは見世物になっている時間があるという恥ばっかりなのではと思いますね。

武勇にたけていないからといって、これはあまりにも総大将としては情けない終わり方だと思います。

結局首切られますしね・・・

息子の為に生き残るとかいう話もあるみたいですが、安徳天皇を失った時点で生きたところで息子を助けられる要素は何もなかったと思いますけどね・・・

安徳天皇と三種の神器があるからこそ平家が強く出れる要素だったというのに・・・

まあ、たとえ安徳天皇と三種の神器を頼朝に渡したとしても、助かる要素はないと思いますが・・・

逆に息子を生かしたいのなら、人知れず平家と関わり合いがない様に見せてどこかに流してしまうくらいしか方法はなかったのではないかと思いますね・・・

神馬。

湛増と弁慶。

戦う鶏も描かれています。

この組み合わせは遙か3好きとしてはワクワクするものがありますね。

そしてこここそがゲーム中の背景に出てくる場所。

この木の上からヒノエがふってくる。

ここに立つとあのイベントに思いをはせずにはいられません。

あの背景が目の前に!!って思うと二度目でもなんとも言えない心持になります。

いないヒノエを探したくなります(笑

小さな神社なので、そんなに滞在時間は長くならない場所ですが、歴史的な意味でも重要な土地ですね。

その後、予定通り慈尊院に向かいました。