
当初はこんな予定でしたが…
スイカの里うえきに行く必要ないなと、この辺をバッサリ抜きました。
あとの工程はほとんど同じ。
予定時刻がごっそり変わっただけ。
あとはわくわく1dayパスを区間指定1にしたくらいですね。
デジタルパスにすると24時間使えるのでありがたかったです。
ヤマト運輸花園営業所へ行くことでバスに乗る回数が増えているのと、24時間なことで次の日の朝も使えてありがたみが多かったです。
1日800円ということで、バスやら諸々計算すると800円以上かかる計算でしたし。
ただ熊本城と水前寺公園行くくらいにしか乗らないなら、これ買ってももったいないだけな感じはします。
そんな感じで2日目にお世話になった花園営業所へバスで移動。
ビールを入れたことで空輸できないかも的な話になり、栗も入ってるので空輸でなんとかならないかみたいな感じでしたが、結局空輸できたようで帰宅した次の日の朝に荷物は届きました。
しかし、栗は手荷物で持って帰るべきだったと今でも思う…
そんな感じで騒ぎになったことで、乗る予定だったバスに乗れないかもしれないと思って焦ってバス停に向かいましたが、だいぶ遅れていたので急いで行かなくても間に合う流れでしたね…
まあ、遅れは読めないという感じが…
いつも遅れることのないバスにしか乗ってないから時刻通りに来ない九州のバスやら電鉄やらが多くて九州は大変だなとしみじみ思いました。
北海道で遅れるのは雪降ってる時がメインだし…
そんな感じで無事バスに乗り桜町バスターミナルに到着。
今までバスターミナルには来ていたものの、建物の外に出ていなかったのでようやく外へ出る時が来た!みたいな感じでした。

外に出たら夏目のイベントスペースの告知シールがあちこちに張られていたり、旗もたってたりで夏目色が強い入口になっててビックリしました。
ひとしきり楽しんだところで、熊本城へ向かうことに…

加藤清正の像。
築城の名手といえば…!って感じの加藤清正の築城した熊本城が見てみたい!とだいぶ前から思っていたので今回これてよかったです。

備前堀。
地震の影響で壊れた石垣の部分が痛々しすぎる姿。
しかし築城当初の石垣はほぼ地震の被害を受けていないそうなので、そのあたりの計算とかも含めて流石という感じがしてしまいます。
備前堀としては幅30m長さ140mで水堀で江戸時代に熊本城や城下にあった水堀は現代までにほぼ埋め立てられてしまったので、現存する水堀としては唯一のものだそうです。
明治天皇の行幸の為に盛り土をして歩きやすい緩やかな形にしたことで、現在は行幸坂として親しまれているのだとか。

飯田丸五階櫓。
櫓は解体されてしまったので石垣だけに…
地震の時に算木積みされていた隅石だけが一本だけ残って櫓を支えていたと話題になった場所。
崩れたのは斜め裏くらいな気がします。

数寄屋丸。
能、茶会、歌会など接客の場所として使われていた建物。
地震の影響で石垣が崩れ建物にも亀裂が入っています。

ミシミシって感じが痛々しい…
建物はたわみが出る被害が出ているとのこと。
まあ、見ただけでもたわんでるのが分かりますが…

崩れた石垣と天守閣。
石垣の右角とかあるはずの角すらないですね…

天守閣と崩れた本丸御殿。
石垣の被害はないものの、建物の壁が崩れ落ちていたりと痛々しさを感じるところ。

遊歩道から眺められる円形の部分が井戸跡。
地震の後にあった大雨によって現れた井戸だそうです。
明治以降に使われなくなって埋め立てられたのではないかと考えられるそう。
地震だったり大雨だったりで大変…

このあたりからボランティアガイドさんに追いついて、一緒について歩くことに。
壁土発行中と書いてあります。
壁土に発酵土が使われていたということで、なるべく元の形に戻すために発酵させているそうです。
この発酵土が使われているとわかったことで、復興年数が伸びることになったそうです。
当初の完全復旧は2037年予定だったそうですが、現在は石垣などの復旧にも難航しているそうで2052年頃になるのではという話でした。
2037年ならまだ余裕って感じですが、2052年はだいぶ年齢行っていて大変な道を歩いてくるのは厳しそう…
練り返しという作業が行われていて、粘土質の土に稲わらを混ぜ発酵させ、さらに稲わらを入れて混ぜという工程をしているそうです。
重機を使って混ぜ混ぜしていたようです。
この工程が終わらないと復旧作業が進められないので、田子櫓などの完成は2028年予定になっているそう。
気の長い工程をしないと完成しない話ですが、また災害で被害が出ないことを祈るばかりです

本丸御殿の床下にある闇(くらが)り通路。
石垣でできた地下通路は御殿建築の中では異例なものだそうで、御殿への正式な入口も地下にあるそうです。
築城当時の技術をできるだけ復元するために職人の方々が頑張った木材の土台だそうです。
隙間が空かないように光をあててピッタリとハマるようにと試行錯誤を重ねて作り上げたものだそうです。

天守閣。
鉄筋コンクリート造りで再建されたもの。
大天守は外観3重、内部6階地下一階建てという建物になっているそうです。
無料ガイドの方の案内はここまで、短いながら色々なお話をしてくださいました。
本来は急な階段など大変な思いをして天守閣までくるのですが、復元によってできた遊歩道のおかげで今は楽にこれますというお話でした。
大変な思いをしたくないのであれば復元工事期間中に、復元工事が終わると遊歩道が撤去されるので階段をのぼったり大変な思いをしてここまでくることになります。
また来られる際はそちらも検討してみてくださいという話をされていました。
完全復旧するころには私は生きていないと思いますが…というお話もされていたような気がします
27年後ですしね…
リタイア組の年齢の方のようでしたし、65とみても27年たつとそうなっているだろうというのはわからなくもないかも…って感じです
その後は天守閣へ向かうことに。

天守閣の入口横で見かけた景色。
江戸時代は小天守地下(穴蔵)への出入りはこの階段を使用していたそうです。
復旧工事のクレーンとかもあって石垣もごっそりなくなっていたりで痛々しさも感じる場所でした。

使っていた井戸を見ることが出来ますということでしたが、のぞいてみてもよくわからなかったですね…
写真もピントが安全の為におかれている網の方にあって奥の方見えてませんし…

オイルダンパーと摩擦ダンパー。
すべての地震に対して制振するのがオイルダンパー。
摩擦ダンパーは小中地震に耐震性能を発揮するそうです。
この二つを組み合わせることで大地震の時に効果を発揮させるということでした。
石垣がもし崩れてしまっても来城者が安全なように金網が張られているそうです。

石階段。
木造天守の時に1階と地下をつないでいた階段だそうですが、一番上の段は1mの段差が作られていたそうで通常は箱を2段重ねて使っていたそうですが、緊急の時は箱を撤去して1mの段差で上りにくくしていたという話のようです。
確かに1mの段差だと上りにくい気がしますが、時間はかかっても登れるのでは?という感じはします。
加藤清正が築城した時からあるのであれば、その時代の男性の平均身長が154cmくらいのようなので、54cmも余裕あれば力もあるだろうしよじ登れそうな気が…という思ってしまいます。
そして実際の段差が確認できるわけでもないので、どれくらいなのかイメージしにくいところ。

熊本城の模型。
こういう模型って作れたら楽しいんだろうなぁ…と日々思うのですが、簡単に作れるわけでもないのでいうだけなやつですね…

建物の中をのぞき見できるゾーン。

模型といってもそこそこのサイズがありますが、畳とか襖とかの作りこんなの作れたら楽しいんだろうなって結局思うだけのやつ。
こういうの作れる人の集中力ってすごいなって思うんですよね。

あんたがたどこさ。
このパネルを見て、そういえばこの歌って熊本だった!って思ったやつ。
こんな風に手を取って猟師と狸が踊るなんてありえないだろってやつですが…
この歌は結局狸を鉄砲で撃って、捕まえた狸の皮をはいで鍋にして食べて残骸に蓋をするっていう内容だし…
童謡は怖いものが多いので、これはまあ比較的普通の話を歌にしてるからまだ…って感じですが…
今の時代の日本人だと熊本はわかっても、肥後どこさ?って感じな気がしなくもないです。
熊本って言われると熊本城のあるところ、くまモンの都市みたいな感じがしますが、肥後ってどこだろね?みたいな感じはします…
船場は坪井川から物資が運ばれて到着する場所。
色々運ばれているこのあたりに狸が住みつくようになったという話のようです。
今でも狸の銅像があちこちにあるらしいですが、私は見ることなかったですね…
どうでもいいですが、狸は夏場はシュッと細いのに冬場になるとモフってなるのが可愛いと思います!

天守からの眺め。
平櫓のあたり。
工事車両が頑張っている姿がなんとも言えない気持ちになるところ。

復旧工事中の宇土櫓。
覆われていて何も見えないですが、現在は解体中とのことですが12月4日に栗石表層に崩れが見つかったことで解体工事が中断されているとのこと。
解体している間に予期せぬことが起こって調査しての繰り返しなんだろうなぁ…

ぬい活し忘れてた!って感じで写真撮りに戻るという流れ。
ちょいちょい連れて歩いてるのを忘れる…

一眼を持ってきたのに、望遠過ぎて全然いい感じに映らなくて残念でした…
なんか重い荷物を持ってきただけ…みたいな感じがやりきれないところ…

天守の裏にあった竹飾り。
配線が確認できるので暗くなるとライトアップされそう。

宇土櫓の方から撮った天守。
こちらは人全然いないので、いい感じにかっこよく撮れた気がします
裏側からですがそれでも石垣含めて形が綺麗に撮れるのでいい気がします。
本来は遊歩道じゃなく、こういう階段上らないとここまで来れないんだろうなぁ…と思いながら撮った写真。
中々の階段でしたね…

痛々しい数寄屋丸。
崩れまくってる壁とか…

その後は本丸お休み処で御城印を購入。
熊本は日付入れてくれるのがいいですね

未申(ひつじさる)櫓。
パッと見あまり被害なさそうに見えるのですが、よく見ると白い壁に亀裂が何か所か入ってるのが見て取れます。
こっちは建物の裏側なのでこんな感じみたいですが、表側は結構被害が出てるぽいですね…

わくわく座まで移動しました。
崩れた石垣から出てきた顔が付いた石だそうです。
丈夫な石垣でありますようにという石工さんの願いが込められているのではないかという話ですが、自分が手掛けたよみたいなマークということもありえるのでは?って感じがちょっとしなくもないです。

加藤清正の身長のパネル。
わくわく座にあった加藤清正のクイズに挑戦したら部下にしてくれるって言ってもらえました
あまり時間がなかったので他は遊べませんでしたが…
劇とかもみてる時間なかったし…
公式は熊本城とわくわく座を2時間ってうたってるわけですが…
10時ちょい前くらいに熊本城に行きましたが、わくわく座をサラっと慌てて出てきて13時なので3時間あっても足りないくらいだったよ…
公式の時間に騙されたら酷い目見るところでしたね…
開く頃に合わせて熊本城行くべきだったのでは?って感じでした。
わくわく座もう少しのんびりしたかったなって感じでした。

駕籠に人がいなくなった瞬間を狙って撮った写真。
駕籠持ちは過酷な仕事…

ぬい活用期間限定パネル。
せっかく用意されていたので使ってみました。

大名を従えるニャンコ先生
酒持ってこいとかいってそう。
この地位に気分よくなるのは目に見えてる
この時点で13時だったので、その後はサクッとお土産見てまわってくまモンスクエアに向かいました。
14時からくまモン登場とのことだったので、14時前に到着しないとって感じでしたがあんな状態ならわくわく座楽しんでいてもよかったかも…という感じはしましたが、それは次の記事へ…