コロナ禍で外出できない毎日の中、私はステイホームをエンジョイしようとオンラインヨガとインド哲学のオンラインワークショップの参加に勤しんでいた。
そこで、ワークショップで学んだ事柄を、復習を兼ねてまとめていきたいと思う。思考の整理を目的に。

これはその第3弾。

<BTC卒業生のためのヨガ哲学勉強会パートⅠ>2020年7月22日開催(8月10日ビデオ受講)

スタジオヨギーのヤスシ先生によるBTC卒業生のためのヨガ哲学を復習する講義。パートⅠからⅢで成り立つ。Ⅰでは、ヨガの定義とヨガの種類、ヨガでよく使われる語句の解説で構成されていた。
BTCとはスタジオヨギーのヨギーインスティテュートのトレーニングコースの一つで、ヨガを基礎から学べる講座。いうならばエクササイズのヨガからライフスタイルのエッセンスとなるヨガへと変わる第一歩の講座。



<ヤスシ先生のこの講義への思い>
BTCでひと通り学んでいるヨガ哲学であるが、ヨガ哲学へ戻ると必ず新たに学ぶことがある。ヨガの教えは人間的に成長しないと理解できないものがたくさんある。準備ができていない人には分からない部分が多く、準備ができると理解が深まる。ある種の感動が伴ったときに学びが深まると感じる。
人に説明できるように学ぼう。人に説明できてこそ理解をしていると言える、人に説明することは学びを深めることにとても効果的である。

<ヨガの定義>
古来では「ヨガ=瞑想」、現在では「ヨガ=スタジオに行ってハタヨガをする」、このようにハタヨガをヨガと捉えている人が多いと思う。ヨガにいう「practice」は日常で実践するという意味と捉えられる。ヨガとは瞑想そのものである、実践であり、瞑想することである。

ヨガの語源は「ユジュ」と言われるが、つなぐとはなにとなにをつなぐと考えているか?
「心」と「身体」と考える人は多いし、クラスでも良く聞くが、そうではない。

「内なる個(本質、意識、真我、アートマン)」と「全体(宇宙意識の原理)」をつなぐことである。

つまり梵我一如ということである。
我:個我、真我、本質、意識
梵:ブラフマン(宇宙の創造主、純粋意識)
我と梵がつながっているということを常に忘れないでいようとすることがヨガである。つながっていることを認識続けること、それがヨガである。

<ヨガの種類>
5000年前インダス川流域で瞑想をする人のレリーフが見つかったが、それがヨガの起源といわれている所以である。ヨガという言葉が文献に現れるのは4世紀か5世紀頃といわれている。ハタヨガが生まれたのは11世紀といわれている。

□ヴェーダの時代(紀元前25世紀や紀元前16世紀からなど諸説あり)
紀元前5・6世紀に大成したのがニャーナヨガ(知識のヨガ)。聖典の学習や瞑想をして真我の探求を行った。僧侶や軍人階級など限られた人がニャーナヨガに触れられることができた。最終的には出家をして瞑想をする。ヨガが苦行のように捉えられていた時代。

□「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」の時代
紀元前3世紀頃、カルマヨガ、バクティヨガの説明をバガバットギーター(マハーバーラタの一部)の中で行われている。
カルマヨガは日々の行動をとおして実践できるヨガの道。カルマは行動と結果、因果応報という意味を含む。自分に与えられた行動に没頭することでヨガの境地に辿り着こうというヨガ。自分がすべきとされたことに没頭すること。いかなる結果でも平等に受け取れる。
バクティヨガは神への信愛や帰依から辿り着くヨガ。踊ったり、歌ったり、お供え物をしたり、少し宗教染みたようなものを感じるが、このような行為は今もどの地域にも根付いている行動であろう。

このカルマヨガとバクティヨガは物語として口伝され、誰でも知ることでできた。

□ラージャヨガの時代
4・5世紀頃に書かれたパタンジャリのヨガスートラの時代。
ラージャヨガとは、パタンジャリのヨガスートラを指すことが多いが、そうなったのは、スワミヴィヴェーカナンダが1893年ラージャヨガとして解説したのがパタンジャリのヨガスートラであり、このことがパタンジャリのヨガスートラがラージャヨガと呼ばれる要因となったといえる。またラージャヨガは八支則の最後の3つの段階、サマディ、ディヤーナ、ダーナラを指している。

□ハタヨガの時代
11世紀にハタヨガプラディーピカーが書かれ、ハタヨガが始まった。いわゆるアーサナをして身体を動かすヨガが始まる。現代では様々なヨガがあるが、それはハタヨガを分類した名称である。アイアンガーヨガ、アシュタンガヨガ、シヴァナンダヨガなど。

また近年では「○○○ヨガ」というものを良く聞くが、それはハタヨガの種類でもなく、マーケティングのひとつとして命名され、そのようなものが溢れている。

<ヨガで登場する言葉>
ウパニシャッド(ヴェーダの後半部分でまとめられた「人が自然と調和しながら幸せに生きていくための智慧と叡智」が書かれた部分をいう)に出てきている言葉。今もヨガを学ぶ者の共通言語の一部を復習した。

□プラーナ:生命エネルギーと訳されることが多い。例えば会うと元気になる人やげんなりする人、行くと元気になる場所、元気がなくなる場所、というのは良くあるし、誰しも感じるものである。そういった目に見えないエネルギーをプラーナといい、万物が持っている。空気や食べ物や日光などによって移動する。よく魂が肉体から離れるというが、その魂がプラーナともいえる。肉体が死んでも魂は残る。

□ナーディ:身体に72000本あるプラーナが通る道。スシュムナナーディ脊柱の中心を走っている。その左をイダー、その右をピンダラがらせん状に走っている。イダーとピンダラが交差する点をチャクラという。私たちは、ヨガをする前はとても身体がだるく感じてもヨガをした後では心も体もすっきりと軽くなることを感じている。それはアーサナによってナーディのつまりを取り、プラーナをスムーズに流すことによって得られる感覚だといえる。

□チャクラ:微細体におけるエネルギーセンターである。チャクラは鉄砲ユリのような形をしているとカルロス先生は言っている。7つあるが、そこに対する単音のマントラ(ビージャマントラ)がある。各チャクラには感情の意味づけがあると言われている部分があるが、これはドイツのフロイトが後付けしたものと言われている。他に色づけや香りなどもあるが、後付けであるものが多いと考えられる。

私たちは覚醒する力を宿している。音にはエネルギーがある、音には覚醒させるエネルギーがある。マントラの音波で覚醒される。深いところに届く。サンスクリット語の響きは身体に届きやすい。なぜならサンスクリット語はヨガの賢者たちのエネルギーが詰まっている。チャクラを思い浮かべてその場所のビージャマントラをイメージして瞑想をしたことがある。瞑想のテクニックとしてチャクラをイメージするというのは一つの方法だと思う。

□グナ
物質のエネルギーに対していう3つの分類。グナは性質と訳されることが多い。
グナ:要素、内容物。
タマス:暗質。重くて、鈍くて。腐っている物、作り置きした食べ物など。マナス(思考や感情)、混沌として自分が何か掴み切れていない状態。
ラジャス:激質。速くて、落ち着きがない。アハンカーラ(自我意識、意志)欲望の連続、願望のために動き続けている状態。
サットバ:純質(バランス)。調和、光輝いていること。ブッディ(英知、知力)。

ヨガで学んぶことは、自らが物質レベルを超える存在であることを知るため。梵我一如はサットバを超えた状態。幸せの状態を超えた状態を目指すのがヨガ。

<このワークショップから学んだこと>
現代ではヨガの側面だけが切り取られ、社会に浸透していることを改めて認識した。ヨガやチャクラを謳った商品やサービスも溢れているが、その背景を的確に認識していることは少ない。それを知った上で、アーサナを主としてヨガを伝える者として、誠実にヨガに向き合う必要が大切だと感じた。
また、身体や思考に感じる違和感は気のせいではなく、微細レベルで何かが起きていると捉え、見過ごさないようにしていきたいと思う。良いプラーナを感じる人や場所を選び、また自分が良いプラーナ、エネルギーを発せられているか、ということを意識しながら生活をしていきたいと思う。