はじめに

 ここ数ヶ月、私の中で静かに揺れ続けていた想いがある。

 
純烈・白川さんの卒業発表。そして、純烈というグループが長く大切にしてきたファンサービスの本質。
 
そのすべてが、ヨガ哲学の教える「無常」と「手放し」を、改めて思い出させてくれた。
 
ひとつの記事に収めるにはあまりにも大きく、深いテーマ。だから私は、この気づきを4回のシリーズ として書き残すことにした。
 
第1回:純烈・白川さんの卒業発表とヨガの教え 
第2回:純烈のファンサービスとカルマ(行い)
第3回:推し活への執着と、非執着という自由 
第4回:すべては移りゆくもの、推しも例外なく

 
今回は最終回である第4回。

 

第1回から書き始めてすでに2ヶ月が経過。

心の変化もありながら、推し活を通じての学びを書きたいと思う。


第1回はこちら↓

第2回はこちら↓

第3回はこちら




※20230731 生・純烈1回目

 

推し活は人間性が試される

私が人生の中で初めて推し活というものにハマり、その活動の中で追い続けてきた純烈さん。


ファンクラブというサービスを知り、チケット取りという争奪戦に参加し、エンターテイメントの素晴らしさを思い知ったこの3年間。

 

推し活の現場って、本当に人間性が試される場面が多いと感じる。

 

ファン同士の人間関係、承認欲求、噂話、比較

その全部が、心を強く揺らす。

 

純烈さんの現場はメンバーとファンとの距離が近いからこそ、推しとその周りの人間模様がより垣間見えるのだと思う。

 


※20241127 生・純烈66回目


推し活を始めた頃の揺れ

推し活を始めた頃の私は、握手ができなかっただけで落ち込んだり、SNSに投稿されているようなファンサービスを受けられなくて悲しくなったりしていた。

 

そのときはただただ落胆し、失意の中にいたけれども、振り返ると、それは執着であり、他者との比較でもあり、自分の外側に意識が向いたときに起こる反応だった。

 

 


※20241208 生・純烈68回目


内側に意識を向ける練習

そのことに気づけたのは、事象と感情を分離して少し離れたところから眺めるという、ヨガでいつも練習している「内側に意識を向けること」に集中することができたから。

 

心の揺れをただ見つめ、感情に良し悪しをつけたりラベリングをしたりジャッジせずに眺め、そのまま観察する

 

この練習を推し活の現場で起きる揺れの中で繰り返すうちに、他者との比較から得られる一時的な快感よりも、自分自身が現場で感じた確かな幸福感に目を向けることのほうがずっと満たされると分かった。

 

この場にいられること。

今の自分が満ち足りていること。

それは握手できたかどうかとは関係がない。


そう気づいたとき、私は「自分自身の推し活」の軸が確固たるものになり、心が自由になった

 

 


※20251224 生・純烈110回目


虚像に乗っかる、推し活を楽しむ

白川さんの卒業という大きな変化は、私自身の推し活を始めてからの心の変化と、推し活は虚像に乗っかる遊びだという本質を、私に気づかせてくれる出来事だった。


白川さんの卒業発表は、私にとって大きな衝撃だった。胸がざわつき、心が揺れ、しばらくその余韻に囚われていた。

 

でも、気付けばこの状況に慣れ、受け入れ、穏やかな日常の中にいる

 

推し活で私たちが見ているのは、現実の人物ではなく、ファンが見たい形に加工された虚像なのだと思う。私が見てきたのは、白川さん本人ではなく、純烈という物語の中の「白川さん像」なのだと。

 

こんな風にいうと身も蓋もないけれど、推し活は所詮、虚像の世界の出来事だ。それを分かり切った上で、その虚像に乗っかる面白さこそが、エンタメの推し活の本質なんだと思う。

 

純烈さんという虚像に乗っかって、現実逃避する。手っ取り早く興奮と感動を手に入れるツールとして、私は推し活を利用してきたのかもしれない。

 

そして、白川さんの卒業は、その虚像の扱い方を客観的に捉え言語化する良い機会になった。わかった上で、全乗っかりする。それこそが、推し活を長く楽しむための知恵なんだと思う。

 

これからもその虚像に心地よく身を委ねて、推し活を楽しんでいきたいと思う。



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