やっぱり心のあり方が自分の考えてる事で大方あっているぽい。
治癒としては正しいが、なかなか辛い。
たとえるなら、失恋体験が定期的にやってくるようなものだ。
傷ついて回復し、また傷ついてを繰り返す。

失恋の本質は、自己内イメージと現実の不一致による傷つきを、
いかに乗り越えるかだ。
異性という異なる存在と共に生きていくためには、異性でありながら、
一人の人として互いが向き合える関係を構築していく必要がある。
本質的にはこれと似たようなことをしている。

私の場合は恋愛の前段階で、理想化された親イメージと私という関係の破壊がテーマである。
親代理である目上の存在に対し、過度に相手を持ち上げ、
幼児期の関係性のあり方で自分の存在を安定させたいという、
幼児性の破壊が課題である。

幼児期のあり方で他者と接するから失敗するのは当たり前だし、激しく傷つく。
幼児性の特徴である万能感とそれに伴う過剰なプライドの高さの克服、それらが課題だ。
すなわちいかに適切に少しずつ傷つきながら、周りの人は自分の親ではない、
ということを体験として経験する。
そのためには己の無力感を何度も体験し、傷つき、自分の能力でできることを、
一つずつ無理のない範囲でクリアしていけるような、
地道な生き方ができる人に生まれ変わっていかなければならない。

特別な人間にはなれないが、どこにでもいる一人の人としての責任を全うし、
その人なりに誠実に生きていく、それが大人になると言うことである。

心の病は多かれ少なかれ、その人なりの個の確立ができていないのが要因だ。
個の確立は個人差が大きく、すっといける人もいれば、運命的に何十年も後になって、
確立のための挑戦をしなければいけない人もいる。
そのような挑戦そのものを放棄する人も多い。

愛着に問題のある私は挑戦しないと人と関われないので、
やらざるを得ず、今こうして向き合っている。
順調に治癒が進んでいる分、傷つく回数が多く、しんどいのが実状だ。

今の私の状態をたとえるなら、中学生くらいの男子が、
熱血教師の鬼しごきに耐えながら、必死に部活動をこなしているようなものか。
今までプライドが高く頭でっかちだった坊主が、
日本人になるための集団しごきによる通過儀礼に遭遇しているというのが、近い。

周りは日本人的奴隷精神に順応しているため、私だけが落ちこぼれで、
なんとか空気を読めるように頑張っているとも言える。
私は内的世界を深めてきたので、さすがに中学生とは同じではないから、
今の状況がある程度は読める。
夢の内容からも最低限の情報は得られるので、今の苦しみの根っこがどこにあるかは分かる。
が、苦しいのは同じである。
実際今の苦しみは夢の内容からとったある選択が元になっている。
あのときあの選択をしたばかりに、苦しむ羽目になった。
無論、私の目的は治癒だったので、必要だと思って選択したのだが、
私は今激しく後悔している。ここまで辛いとは思ってなかったからだ。

自分の無力感と卑小感をこれほど味わうのは苦しい。
万能感幻想とはいえ、それも今まで共に生きてきた自分の一部だから、
壊れるときはそれ相応の痛みと苦しみを伴う。

まもっとも、その時無視しても、少し後に違う形で眼前に現れるだろうが。
それでも、その時嫌だ、と思って逃げることも、大切なことだ。
逃げてばかりでは論外だが、がんばり過ぎても良くない。
やりたくないが、しょうがないからやるしかないくらいが、一番いい。
私の場合夢の内容から、意味があるだろうと安易に選択してしまった。
安易すぎた。次は抵抗する。

現実や真実は時に残酷なので、受け止められるようになるまで、
時間をかけるのも大切なことなのだと知った。
頑張ってやればいいということばかりではない。