たまにカウンセリングは本当に恐ろしいなと思うことがある。

カウンセリングで語った内容は、心の中か現実でか分からないが、
必ず何らかの形で反映する。
語ったからといって、何かが明確に変わるのではなく、
自分にとって必要な事柄が(私にとってはやっかいごと)降ってくる。

本当に不思議だが、これは間違いなく体験的に言える。
辛いのは、自分にとって必要なことが、楽しいことならいいが、
どちらかというと辛いことが多いところだ。

治癒とは基本的に気づくことが大切だが、人はたいてい気づくためには傷つかなければならない。
人は傷つかなければ気づくことはできない。
病気もそうで、その人にとって意味のある病が生じる印象が強い。

病を通して、自分の生き方に何が必要で、何か間違っていないかなど、
悩み、考え、ふらふらになって初めて気づくのだ。
悩んだ何かを、疲れ果ててふと手放したときに、ああそうだったんだ、
と気づく。
治癒過程は基本的にこのようなことの繰り返しだ。

自分の場合、傷つきやすさが問題なのだが、これは父親の機能が弱いため、仕方がない。
自我ができるということは、必ず傷つく。傷つきを受け入れて、
自分というものを作っていかねばならない。

母子一体化傾向の強い人は、基本的にやさしい。
この優しさの背後に傷つきやすさがある。
これを克服するためには傷ついてきずき、自分のやさしさの源が母子一体化幻想にあることを、
認識することだ。

優しさというものは、時に人をだめにすることもある。
馬鹿野郎と言ってほしい人にやさしくしても、害があるだけだ。
その人のために本当は何がよかったか、と考えると、
時には厳しいことも言わねばならないこともある。

もちろん、軽い気持ちで操作的にこうしようなどと考え、動いた行動はだめだが。

人間関係は、こうすればこうなると簡単に考えると、まずうまくいかない。
結果は同じでも、ああでもないこうでもないと紆余曲折を経てそこにたどり着いた方が、
その人の覚悟が異なるので、意味があることが多いように感じる。
答えがそうでも、その答えにその人なりの意味を付与させることができなければ、
その答えはその人の成功体験として実にならない。

人は傷ついて、動けなくなることもあるが、大切なのは立ち上がることである。
傷ついて休み、立ち上がる、この中で学んだことは、必ず後の人生に生きる。
恥をかいて傷つく、それを繰り返して人は成長する。
大切なのは傷に溺れず、同時に傷ついた自分を守ることである。
この時間は苦痛だが、必ず時がくればそれを乗り越えられる。
辛い過程なので、急いではいけない。
しかし待っていれば必ず立ち上がれる。
傷つきと立ち直りを繰り返していったとき、ある日自分の世界が少しずつ広がっていることに気づく。

ああ、こんなにもいろんなことができるようになっていたのだと、気づく。
それまでは、日々の傷つきにしんどいながらも、なんとか溺れないよう時間を経過させることだ。
焦ることはない。必ず厄介ごとはやってくる。
そのときまで日々の当たり前の生活を大切に過ごすことだと思う。

カウンセリング、語る速度は控えめに。カウンセリングで抵抗するのも、時には大切なことだ。