現代社会では、「身体の不調」があったら、病院で薬を出してもらって、それを飲んだら「治る」のが当たり前だと知らず知らずのうちに思ってしまう。

風邪だったら安静に休むが一番の治療。
以前は、医師も患者も分かっていた。

しかし、現代社会は仕事も家事も学校も病気だからといってゆっくり休むことが難しい時代。患者も身体の本当の治癒を望むのではなく、症状を緩和し日常を継続することを望み、その望みを叶えるために医師は薬を処方する。

特に西洋医学の発展は、ますます医師、患者の考えを変えていった。副作用や病気の根本的原因よりも患者が望む困った症状をいかに早く薬や手術で取り除けるか?に特化され、身体への影響や本来の意味の治癒は軽視され、慢性的な病気を患う患者が増加している。長期間の通院や投薬による身体への影響や医療費の増大に拍車をかけている。このまま西洋医学の治療中心や現代社会の常識的考え方では、患者を増大させ、医療費は際限なく増え続ける。本当に日本はこのままでいいのだろうか?

身体が必死に治癒しようとしていたり、何かのサインとして訴えていても、安直に病院や薬を頼ってしまう。結果、本来の治癒の過程を妨げたり、サインに気づかなかったら慢性化したり、薬の副作用の影響を受けたりする。

現代社会を生きていくためには、自分のことや自分の感覚、直感をマヒさせなければ生きられない人もいるだろう。そんな人が今さら自分を大切にしたり、自分のサインに気づいたりすることは、かなり難しいし、抵抗があるだろう。

完全にマヒしたままロボットのように感情や感覚全てなくなってしまえば可能かもしれない。しかし、人間には目を背けても感情や感覚が存在し、サインは気づくまで消えない。

困った時は、自分と向き合うサイン。

答えは、いつも探してた分野の外にある。

きっかけがどうか、誰のせいか、制度や社会、常識のせいかよりも自分が何を感じているのか?自分が何を望んでいるのか?をありのまま感じ、自分のことを気づくのが第一歩なのではないだろうか?