社会人編 | 元国家公務員、久米ゆうしんがネットビジネスで成功した秘密

建設省では、事務所赴任初日から試練が待っていました。
電気通信が専門の建設技官として入省したのですが、事務所に電気通信の担当は私と上司の二人だけで、赴任初日に挨拶をした時、第一印象で失敗してしまったのです。

実はこの失敗で、この後2年間も上司との関係を悪いものにしてしまいました。

この2年間職場に行くのも、上司との対応にも悩み、また誰にも相談もできず、辛い2年間を過ごしました。

その後、20歳の10月あるビジネスに出会います。

そのビジネスは、20歳の私でも月収で100万円以上稼げると言う事で、独立意欲があった私には大変魅力的で、即決でその世界に飛び込みました。

学生時代学校の中では優秀なつもりでいたのもあり、楽勝に考えていましたが、いざビジネスの世界に入ると全くうまくいかず、社会の厳しさというものをまた経験します。

また、公務員だった事もあり借金を500万以上作り、公務員を続けて行く事は不可能になり、夜逃げ同然で退官しました。

そして、福岡中州の風俗店に住み込みで働き、数ヶ月で店長になり、月に50万以上稼げるようになりました。

そして、新しい世界が私の目の前に現れます。

それは、裏カジノです。

当時、日本中の裏カジノは普通にゲームセンターや飲食店の許可で営業しており、誰でも入れるお店ばかりでした。

そこで、毎日コツコツ積み重ね半年程で2000万以上稼ぎましたが、若かった私はあまりに調子にのってしまい、数日で一気に失ってしまいました。

さらに、闇金融にまで手をだし借金をまた作ってしまう事になります。

福岡中州にいたらこのままではダメになると思い、鹿児島に帰ります。

そこから、スーパー、パチンコ屋の店員、ホスト、パソコン修理業、ピザ屋の店長、健康器具の営業、チェンソーの販売員、ソフトバンクモバイルの社員などを経験しました。

また、ネットワークビジネスでは成功体験もあり、26歳で200万円弱の収入を頂いた事もあり、月刊誌に取材を受けた事もあります。

そして、32歳の11月に株式会社ゆうしん((嬉波)ゆうなとこころの二人の娘の名前から来ています。)を立ち上げ営業専門会社として色々な事業を行っています。


会社の事業は、ある程度うまくいっていましたが、2012年2月離婚を経験しました。

前妻とはうまくいってなかったので心の準備は出来ていましたが、愛する娘達との別れは何事にも変えがたい程、精神的に辛い思いをしました。

さらに、2013年3月に同時に2件、お金のトラブルを受けます。
1件は、去年投資していた200万が、詐欺だった事が分かり、お金の返済を求めて130万返してもらいましたが、残り70万の時点で相手方が弁護士を立て返済が止まってしまった事。
もう1件は、会社発足当時に共同事業をしていた人に700万の融資をし、200万程度は返ってきたのですが、債務整理の書類が司法書士から届いたのです。
この2件の連絡が、弁護士と司法書士からきたのは、3月に入りすぐの話しで、同じ週に届いたのには驚きました。

この件に対して私が感じたのは、人生ってこんなものだと言う事です。

良い流が来る時は何をやってもうまくいくし、悪い時には重なるものだと。

しかし、今私が感じている事は、もうこれ以下はないと言う事です。

また、3月の2件で、私にとってマイナスな方との縁は全てなくなりました。

ある意味、今後の素晴らしい人生を600万で買ったと思えば、価値を見出せると思います。

それに、本当に稼げるビジネスをしようと思い、本格的にネットビジネスに参入できた事も私には大きいでした。

すでに、かなり実績があがり始めました。

人生楽しんだ物勝ちだと思います。

今の状況も楽しみながら、真の成功者になる為に日々精進しています。