『患者ブルース』 No.395 2月10日発

 

一、今日の 今日の注射は痛かった 9回刺されて気絶した

二、藪で 藪でカラスが叫んでる 医者もナースも藪仲間

三、どうせ どうせ効かない注射なら 早くやめろよ無駄使い

四、寿司が 寿司が食いたい大トロの 焼酎煽ればご気楽だ

五、早く 早く出してよこの地獄 俺の天国河川敷

【作詞家に赤紙】

 竹ちゃんの愛称でスタッフから親しまれている、78歳の彼はそろそろ退院が近い。

 生活保護の患者が、よく退院する日がやってくることを、赤紙が来たとつぶやいている。

 赤紙とは、第二次世界大戦中、男盛りの男を戦場に送り出すための召集令状で、国が乱発した時代があった。

 その令状の色が赤色だったことから、いつ来るかいつ来るかと本人も家族も戦々恐々として暮らしていた。

 生活保護の場合も、ある日突然、役所や病院から転院を告げられる日がやってくる。

 どこへ行くかは、はっきりと分からないうちに、とにかく今いる病棟を出なければならなくなる。

 この突然の転院が、まるで戦場に駆り出される兵士の召集令状に似ている所から、患者たちは赤紙と呼んで怖れている。

【酒豪の患者の行く末】

 とにかく竹ちゃんは酒が大好物だ。

 まだ、足腰がしっかりしていてスタスタと歩ける頃は、スタッフが目を離すと、近くのコンビニで入手するのだろう、プンプンプンプン酒の匂いをさせて戻ってきたものだった。

 だが、近頃はその元気もなくなってきていた。

 酒は飲まなくなってから、もう半年近くになるのだが、昔の暴飲暴食がたたっているのか、肝臓の調子が極めて悪い。

 一番厄介なのは、肝臓の悪い時に処理しきれないアンモニアが脳細胞を直撃して、肝性脳症を起こすことだった。

 両手に震顫(しんせん)が現れ、病気が進むと羽ばたき震顫といって、まるで鳥の羽のように激しく両腕の震えが止まらなくなることだった。

【ついにある日赤紙が届く】

 藪と言われようが竹藪のカラスと言われようが、竹ちゃんの病状の進行は止めなければならない。

 病棟では、懸命の治療が続いていた。

 しかし、あまりにも入院が長くなると、行政の問い合わせも頻繁にやってくる。

 つまり、在宅や介護施設での療養に切り替えられないかという退院の催促だ。

 本人にも、その旨を告げると、古くから借りている三畳一間の部屋での在宅がしたいという。

 そして、半月後に症状がいくらか改善してから自宅に戻って行った。

【寿司と酒を飲んだ挙句…】

 自宅に戻った彼は、病棟の束縛から解放されて、極楽に来たような気分だった。

 早速、近くのスーパーで特上のマグロの握りと、大好物の焼酎を買い込んで自宅に帰ってきた。その顔には、幸せな表情が溢れかえっていた。

 そして、鼻歌を歌いながら大トロをつまみにして酒を煽った。

 その数日後だった。役所の担当者から連絡があり、まだ整理がつかない書類に必要事項を書き込むように依頼があった。

「何かあったのですか?」と事務長が訪ねると「退院したその日に寿司をのどに詰まらせて急死しました」という声が返ってきた。

 カルテを捲ると、彼の闘病生活の辛さを書き綴った紙から、患者の人生の虚しさが切々と伝ってきた。

 

東スポ 男の羅針盤「男の生き方、男の死に方」編より