子宝病院 No.391 2月1日発


 東京の下町で開業していた当初は、なかなか患者が集まらなかった。
 それを気遣って、のちに「床屋の六さん」と従業員たちに親しまれるようになった理容店の主人が、よく患者を連れてきてくれたものだった。
 その中に、40そこそこの人妻がいて、よく通ってきていた。悩みは、不妊症。
 すでに結婚して、10年以上になるが、子供に恵まれないという。
 今まで、いろいろな病院を探して検査も受けたが、気がついたらこんな歳になってしまった。
 もう先がないと思い、主人が親しくしている六さんに相談すると、どんな病気でも治す大学出たての名医が開業したというので、そう聞いて、いてもたってもいられずに診察に来た、と言ってすがるような眼差しで私を見つめている。
【手には負えない難病】
 しかし、婦人科の知識だけはあるつもりだったが、設備は全くない。
 内科の患者を診ている医者にとっては、これほど厄介な病気はなかった。
 そこで、出身大学の先輩医師達に電話をかけまくって、診察してくれるように頼み込んだが埒が明かない。
 50年も前の、当時の不妊症の治療といえば、卵管通気法といって、通りの悪い卵管に空気を入れるか、あるいは卵子の排卵を促すためのホルモン療法しかなかった。
 どの先輩も、10年も通院をしても治らないのであれば、見込みはないので引き受けられない、という。
 その事情を彼女に説明し、もう少しご主人と二人で頑張ったらどうかと説得をした。その後、何カ月かホルモン療法に通ってきたが、結果がでないことに諦めたのだろう、姿を見せなくなった。
【伝えられなかった、ある情報】
 不妊の原因は夫にある場合も多い。
 相性が悪いというのか、夫婦の間で抗原抗体反応が起こり、夫の精子を殺してしまうことがあるという情報を、大学病院生活が長い私は知っていた。
 しかし、その最新の情報は彼女に知らせなかった。
 なぜならまるで、子供が欲しければ亭主を代えた方がよいと勧めていることになりかねないので、その情報だけは胸に仕舞い込んで教えなかった。
【主人の頼みに仰天】
 それから、4年ほどたった頃だった。
 人妻のご主人が突然姿を見せた。
 そして、私の耳元で囁くように言った。
『あの当時、お世話になりました。先生のおかげで子供が授かりました。大変利発な子で、4歳というのに凄い絵を描いて、ピアノまで弾くんです。ありがとうございました。』
 そう言ったあとで、さらに声を落として訴えた。
『つきましては、先生にもうひと頑張りしていただいて、二人目をお願いできないでしょうか。些少ですが、治療代として50万お持ちしました。是非、秀才の子をお願いします。』
 ご主人が帰った後、私は床屋の六さんを呼び付けて怒鳴った。
 しかし、彼は寝耳に水という顔で驚き、先生の腕凄いねといってため息をついている。
 身に覚えのない私の怒りは収まらない。代理夫をつとめたのは六さんかと詰め寄ると

「俺の精子、医者の先生ほど優れものじゃない」
 と言って、逃げるように診察室を飛び出していった。
 

東スポ 男の羅針盤「男の生き方、男の死に方」編より