真っ当な商売をしながら、その商売は人に任せて、お金も時間も有り余っている人というのはいるもので、
そんな人に「若い時に何を考えていましたか?」と聞いたことがあります。
金・女・車だな!という非常に正直な答えが返ってきたので面白いかったです
非常に爽やかで、豪気だというのが印象的でした。
自分の欲しいもの・本音に正直だというのは必須です。
興味深いのは、金と女を手に入れたいというゴールは、意外と抽象度が高いということ。
女は女心が分からなければ落とせませんし、
商売も人の気持ちが分かって、システムを作れる最低限の頭の良さが必要です。
スマートさと勇敢さを兼ね備えた器の大きな男は最高です。
さらっと資本論を読まれていた点も非常にセクシーだと感じます。
「学問のすすめ」の冒頭近くで、福沢諭吉は
「実語教に、人は学ばなければ智恵がつかない、智恵のないものは愚かな人間である、とある。であれば、賢い人と愚かな人との違いは、学んだか学ばなかったによって出来るものだ。」
「ことわざに言う、天は富貴を人に生まれながら与えるのではなく、その人の働きによって与えるのである。
そうであれば、前にも言った通り、人は生まれながらに貴賤貧富の区別はない。
ただ、学問で努力をして物事を良く知る者は貴人となり、富人となり、無学の者は貧しい人間となり、下人となるのだ」
と述べています。
これを読むと、なるほど!勉強すればお金持ちになれるんだな!と思いがちですが、
福沢諭吉は、別の本「貧富愚痴の説」にこの様に綴っています。
「貧しくて智恵のある者は他に鬱憤を晴らすしか道が無く、そこで世の中の仕組みの全てを不公平であるとして、しきりにこれに対して攻撃を試み、財産私有制度を廃止しろと言い、田地田畑を共有のもにするべきだと言う。ストライキ、社会党、虚無党(ニヒリスト)、などその原因となるのは貧しくて智恵のある者であることは明かである。(中略)貧しい人間に教育を与える事の利害は、考えなければならないことである」
つまり、いくら勉強してもコンフォートゾーンがずれていなければ、現在の状態を維持するためにクリエイティビティが働いてしまうので、ここでリアリティを揺らしています。(福沢諭吉ってコーチなのかな?完全にコーチですね)
しかし、この先が福沢諭吉の素晴らしいところで、貧富論では
富を築くのは知恵の働きであり、知恵は教育によって得られるものであるが、衣食にも困窮する者は教育を受けられないし、受けてもそれを生かすことが出来ないと述べています。
「衣食こそ智力を生み出し活用する本となるものであるのに、その基本を問わずに、結果を論じて、智力があれば衣食が豊かになると言って、人の無教育をとがめるのは、因果の順序を本末転倒して無理なことを言って責めるものと言うべきである」
衣食が足りないほどに貧しい人の事情まで鑑みて、どうするべきか考えていることがうかがえます。
福沢諭吉の本願は2つあり、その大本願は「日本を兵力の強い商売繁盛する大国にしてみたい」ということだったと記されています。
あれ?この人、どこみてるんだろう?という写真が多いです
これもそう。だけど、イケメン。
福沢諭吉は以前言ったことと正反対のことを言うことが多く、多くの人間は福沢諭吉はある時点から考えが変わったと言うが、それはその時々の福沢諭吉の言葉に目くらましを受けているからであって、福沢諭吉は大本願成就のために時に応じて自在に言うことを変える。
— 伊藤 宏美 コーチ@名古屋 (@yuury2002) February 6, 2019
根本の考えは変わっていない
そして、第一の本願とは「私は洋学を修めて、その後どうやらこうやら人に不義理をせずに、頭を下げぬ様にして、衣食さえできれば大願成就だと思っていた」と述べています。
安政元年頃のことなので、洋学を修めること自体が現状の外であり、それ以外は最低限のもので良かったということです。
ゴールは人それぞれなので、借りてきた真似のゴールでは機能しない。
かと言って、完全なオリジナルである必要もありません。
一見、抽象度が低そうに見えるゴールでも、それによってコンフォートゾーンがずれて目標が達成され、周囲の人も良くなるものであれば素晴らしい。
勿体ないなと思うのは、ゴールを完全に達成してしまうと、どんな英雄でさえモチベーションを失い、現状維持をゴールとしてしまう点ですね。
本当は、もっと出来るのに。
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