オリンピックの歴史
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東京オリンピック 2016 経済効果


オリンピック開催による経済効果は2兆9,400億円(都内1兆5,500億円、都外1兆3,900億円)と見込まれ、とても大きな経済効果を日本全国にもたらすことができます。

東京オリンピック1964 メモリアルプレイス ver.4

安川第五郎オリンピック東京大会組織委員会会長・開会式での挨拶

「待望久しい第18回オリンピック競技会が、本日より15日間にわたり開催されることになりましたことは、誠に喜ばしい限りであります。

あたかも本年は、近代オリンピック復興70周年にあたりますので、これを記念し近代オリンピックの父クーベルタン男爵のありし日の声を皆様とともに拝聴し、氏の偉業を想起いたしたいと存じます。

オリンピック東京大会はアジアで開催される初の大会でありますが、幸いに、これまでにない多数の選手団の参加をみましたことは、誠にご同慶にたえない次第であります。願わくば、オリンピック精神にのっとり、正々堂々たる競技が展開されることを期待いたします。

最後に、ここにおられる国際オリンピック委員会のアベリー・ブランデージ会長に、天皇陛下より第18回オリンピック競技大会の開会宣言を賜りますようお願いいただきたく、ここにご依頼申し上げます」



故クーベルタン男爵のメッセージ

「オリンピックの祭典を祝うことは歴史に訴えることであり、また、歴史こそ最もよく平和を確保するに役立つものであろう。老境に入った私は、大会の近づいたこの機会を利用して、青年と未来についての私の不動の信念を披歴したい」(フランス語録音の訳)

東京オリンピック1964 メモリアルプレイス ver.3

聖火台への点火と選手宣誓

午後3時03分、10万713人目のリレー走者である坂井氏の右手に掲げられた聖火が国立競技場に到着。バックスタンド中央の163段の階段を登りきった坂井氏により聖火台へ点火が行なわれた。続いて全選手を代表して小野喬選手が選手宣誓を行なった。
「私はすべての競技者の名において、オリンピック競技大会の規約を尊重し、スポーツの栄光とチームの名誉のために、真のスポーツマン精神をもって大会に参加することを誓います」



平和の象徴として8,000羽の鳩が放たれると同時に、東京上空3,000mに、陸上自衛隊所属の5機のジェット戦闘機が5色の5つの輪を描いた。これは東西およそ7kmにわたったとされる。

こうして東京を舞台にした第28回オリンピック競技大会は、日本全国民は言うに及ばず、世界が注目する中、開幕することとなった。



東京オリンピック1964 メモリアルプレイス ver.2

聖火リレー、ヘラ神殿から空路日本へ

開会式のおよそ2カ月前にあたる8月21日、東京オリンピックのための採火式がギリシャのオリンピアにあるヘラ神殿跡で行なわれ、さらに古代オリンピアの競技場で安川組織委員会会長、高島文雄聖火空輸派遣団長らに聖火が引継がれた。翌22日には聖火リレーによりアテネに到着した聖火は、聖火空輸特別機“シティ・オブ・トウキョウ”号(日本航空/コンベア880M型ジェット)により、一路東京を目指すこととなった。

ギリシャから日本までは、イスタンブール(トルコ)→ ベイルート(レバノン)→ テヘラン(イラン)→ ラホール(パキスタン)→ ニューデリー(インド)→ ラングーン(ビルマ)→ バンコク(タイ)→ クアラルンプール(マレーシア)→ マニラ(フィリピン)→ ホンコン(ホンコン)→ 台北(台湾)と、11の中継地を経て、9月7日に沖縄に到着した。




記録では海外聖火リレーの空輸総距離は1万5,508km。地上リレー総距離は732km(リレー総区間は870区間)、参加リレー走者は870人となっている。

国内聖火リレーは、当時アメリカによる占領下にあった沖縄だが、沖縄が日本体育協会に加盟していたことから、聖火リレー特別委員会により、国内聖火リレーは沖縄から開始されることが決定していた。その第1走者は宮城勇氏が務めた。

9月9日、午前6時58分に沖縄を出発した“聖火号”(全日空)は、大観衆が見守る中、鹿児島に寄港後、宮崎を経由し千歳(北海道)に向かった。この鹿児島、宮崎、千歳が聖火リレーの3起点となった。





国内における聖火リレーは全都道府県を回ることを前提に4つのコースが以下のように決定されていた。

第1コース 9月9日(水)~10月9日(金)
鹿児島 → 熊本 → 長崎 → 佐賀 → 福岡 → 山口 → 広島 → 島根 → 鳥取 → 兵庫 → 京都 → 福井 → 石川 → 富山 → 新潟 → 長野 → 山梨 → 神奈川 → 東京

第2コース 9月9日(水)~10月8日(木) 
宮崎 → 大分 → 愛媛 → 高知 → 徳島 → 香川 → 岡山 → 兵庫 → 大阪 → 和歌山 → 奈良 → 京都 → 滋賀 → 三重 → 岐阜 → 愛知 → 静岡 → 神奈川 → 東京

第3コース 9月9日(水)~10月7日(水)
北海道 → 青森 → 秋田 → 山形 → 新潟 → 群馬 → 埼玉 → 東京

第4コース 9月9日(水)~10月7日(水)
北海道 → 青森 → 岩手 → 宮城 → 福島 → 栃木 → 茨城 → 千葉 → 東京

この4コースの空輸総距離は2,692km、地上リレー総距離6,755km(リレー総区間4,374区間)、参加リレー走者は10万713名と記録されている。

10月7日から9日にかけて東京都庁に集められた各コースの聖火は、9日に皇居前に設置された聖火台において集火式が行なわれた後、10日午後2時35分から、皇居前から国立競技場までの6.5kmの最終聖火リレーが行なわれた。この間、男子5名、女子2名によってリレーされた聖火は、最終聖火ランナーの坂井義則氏の手に託された。


東京オリンピック1964 メモリアルプレイス ver.1

前日までの雨が嘘のように秋晴れとなった開会式当日

開会式は、1958年に東京で開催された第3回アジア競技大会の際に建設された国立競技場が使用された。グランドの改修とスタンド拡張(収容人員を52,000人から71,600人に拡張)など、オリンピックのために大改修がなされ、東京オリンピック大会会期中は、開閉会式、陸上競技、サッカー(一部予選と決勝戦)、などに使われた。

前日の雨が嘘のように晴れ渡った10月10日午後1時50分、音楽家・故 団伊玖麿氏作曲によるオリンピック序曲が演奏され、オリンピック旗および参加国旗が一斉に掲揚された。
天皇陛下のご臨場、さらに君が代の演奏の後、オリンピックマーチに合わせ選手団の入場となった。

選手団の入場はギリシャ選手団を先頭に、アルファベット順に各選手団のが続き、開催国日本の代表選手団は最後に入場。当時、各選手団には縦列行進の際、歩度120、歩幅75cmと指示が与えられていた。

1周400mのトラックを1周した選手団はフィールド中央に縦列で整列。式台に登壇したアベリー・ブランデージ国際オリンピック委員会(IOC)会長と安川第五郎オリンピック東京大会組織委員会会長 がそれぞれ挨拶。
途中,故クーベルタン男爵の録音も流された。


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