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Bicchugatti: Chapter 1 - Dalvayi Dange (剣の時代 第1章 -反逆のダラヴァーイー-) 2020年 141分
主演 ラージャヴァルダン & ハリプリヤー
監督 ハリ・サントーシュ
"力は、勇気によって示される"

 

 

 祝福されし街ドゥルガ(現カルナータカ州ベンガルール地方チトラドゥルガ県都チトラドゥルガ)は、古来様々な王朝の守護するところであった。
 時に14世紀後半。ティンマンナ・ナーヤカから始まる、勇敢なるナーヤカ(もともとは領主の意)の一族によって創始されたのが、チトラドゥルガ・ナーヤカ朝である。
 初期の黄金期の繁栄が過ぎ去った西暦1625年以降、王朝を守護するパレガラ軍隊内部の不和が拡大し、時代は暗い予兆を示し始める…。

 貧富の拡大による軍人たちの不満を煽って、軍隊内部で王朝への反乱を画策していたとして、王宮裁判に告訴された将軍ダラヴァーイー・ムッダンナは、逆に大臣たちの前で王(5代目オバンナ・ナーヤカ2世?)の首を一刀のもとに切り落とし王朝を簒奪。以降、傀儡の王のもとで軍政を強行して行く。 
 同じ頃、身寄りのない母子…カナカヴァとバルマ…がドゥルガ辺境の農村ビリチョードゥにやって来て、村人の善意のもとあばら家で生活し始めるが、そうは言っても村人たちは、どのカースト出身かもわからない母子をいつまでもよそ者扱いし差別し続ける。そのため、村の道場での同年代の少年たちの武芸訓練に混ざれないままのバルマはしかし、森の中で同じような武器を自作して、密かに武芸を独力で習得していった…。

 そのまま時は流れ、バルマが成長する間に王宮ではチッカンナ・ナーヤカからリンガンナ・ナーヤカへ、さらにドーネ・リンガッパ・ナーヤカへと王位は継承されて行った。その間、ダラヴァーイー・ムッダンナの専制を抑えようと画策する王宮ではあったが、なお彼の影響力は盤石なまま。農村への税は増え続け、国民は疲弊して行く一方だった。
 租税を納められない農村への略奪を開始する王朝軍に、抵抗する術もない人々はただこの窮地を救ってくれる救世主の到来を願うばかり。「抵抗する強さは、勇気に由来する…。それは正しい。その通りだ……が、その勇気を持つ者なぞどこにいる? シヴァ神の慈悲があるならば、大地を引き裂き、大海の中の真珠も見つけられようものを…」
 そう嘆くことしかできないビリチョードゥ村の人々の前に、突如強奪された食料を取り戻した男が現れたという知らせが…!!

 

 

挿入歌 Thayi Hakki

 


ニコニコ タイトルは、カンナダ語(南インド カルナータカ州の公用語)で「抜き身の剣: 第1章 - ダラヴァーイー反乱」の意とか。

 かつてカルナータカ地方に存在した、チトラドゥルガ・ナーヤカ朝(ヴィジャヤナガル王国の衰退を受けて独立の動きを見せたナーヤカ朝の1つ。1588~1779年までカルナータカ地方を統治し、ナーヤカ朝の中では最長の王朝となる)内で起きた17世紀後半の内乱時代を描く、B・L・ヴェーヌー著の小説「Bichhugathi Baramanna Nayaka(抜き身の剣 バラマンナ・ナーヤカ)」を映像化した、歴史劇の第1作。
 映画の最後に、当時北~中央インドを治めていたムガル帝国が次なる主人公たちの敵になることが示唆される次回予告的なシーンと共に、続編が予告されている。

 映画内の描写が、どこまでが史実の反映かはわからない身だけど、ある程度真面目に時代考証した上で娯楽映画として話を盛り上げる要素もふんだんに取り入れられている時代劇。
 衣裳・小道具が安っぽかったり、軍人や庶民たちの人数が中途半端な人数に見えたり、音楽がやや単調だったりと言うところに製作予算の少なさが見え隠れするものの、カルナータカ地方の自主独立を求めた時代の祖先たちの抵抗と勝利の物語を力一杯歌い上げる映像美を構築。後半に畳み掛けて来るどんでん返し展開も、なかなかに刺激的で楽しい。やっぱ、主軸が庶民出のヒーローが「実は貴方こそが正当な世継ぎであり、乱れた世を正す英雄である!」と世間に謳いあげる貴種流離譚な王道パターンな歴史劇は、見ていて気持ちいいもんですわいな。

 本作の監督を務めるのは、1984年カルナータカ州マイソール地方チッカマガルール県シュリンゲーリ生まれのハリ・サントーシュ。
 父親は美術監督のハリシュで、幼い頃から父親の仕事現場について行っていたそう。
 バンガロール(現カルナータカ州都ベンガルール)の学校に通った後、2003年のカンナダ語映画「Kariya(カーリヤ)」などプレム監督作の助監督を務めて映画界入り。2012年の「Alemari」で監督&脚本&原案デビューを飾る他、挿入歌全曲の作詞デビュー(サントゥ名義)もして、カルナータカ州映画賞の新人監督賞を獲得する。
 続く2014年の監督作「Darling(ダーリン)」ではプロデューサー補も兼任。本作と同年公開の7本目の監督作「College Kumar(カレッジ・クマール / 2017年の同名ハリ・サントーシュ監督作のリメイク作となるテルグ語&タミル語同時製作映画)」でテルグ語(南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナ州の公用語)、タミル語(南インド タミル・ナードゥ州の公用語。スリランカとシンガポールの公用語の1つでもある)映画界にもデビューしている。

 主人公バルマを演じるラージャヴァルダンは、本作が映画出演2作目と言う期待の大型新人。
 父親は、カンナダ語映画界で活躍する名優ディングリ・ナーガラージ。舞台演劇で活躍していたところ、2017年の「Noorondu Nenapu」に主役級出演して映画デビュー。本作で単独主演デビューを果たし、大きな評判を勝ち取って"マッシヴ・スター"と称され、多数の次回作が控えているそう。

 おそらくは架空の人物である敵役ダラヴァーイー・ムッダンナを演じたのは、アーンドラ・プラデーシュ州ヴィカラバード県コンダンガル近郊のハスナバード(現テランガーナ州内の村。別名フスナバード)に生まれたプラバカール。
 2007年のテルグ語映画「Athidhi」の端役出演で映画界入りしてから、主に悪役俳優としてテルグ語映画界で活躍。同年のアニメ映画「Bal Ganesh 3(小さなガネーシャ3)」でヒンディー語(インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある)映画に、2013年の「Brindavana(ブリンダヴァナ屋敷)」でカンナダ語映画に、2014年の「Eppodhum Vendran」でタミル語映画に、2018年の「Parole(仮釈放)」でマラヤーラム語(南インド ケーララ州と連邦直轄領ラクシャドウィープの公用語)映画に、2019年の「Nayak」でボージュプリー語(インド語派東部語群のうちビハール語グループに属する言語の1つ。ビハール州の公用語の1つ)映画に、2022年には「Sahari Bagha」でオリヤー語(東インド オリッサ州の公用語)映画にそれぞれデビュー。以降、テルグ語映画を中心に南インド各言語圏で活躍中。
 2015年の大ヒット作「バーフバリ 伝説誕生(Baahubali: The Beginning)」にて、カーラケーヤ首長を演じた事で知名度を飛躍的に上げたことから、以降"カーラケーヤ・プラバカール"とも呼ばれるようになり、2010年の出演作「あなたがいてこそ(Maryada Ramanna)」と共に、自分のキャリアを大きく変えてくれたラージャマウリ監督を讃えて、自分の息子に"ラージャマウリ"の名前を付けたそうな。

 タイトルにも入っているダラヴァーイーは完全な悪者として描かれていて、時代劇であってもマサーラー映画の悪役と共通する「加虐性の強い問答無用の悪役」の域を全く出ない。王朝簒奪の瞬間は劇的かつ残酷でインパクト大ながら、その後はただ威張り散らし人々を虐げることばかりしか考えていないままの役なんで「王様殺して何がしたかったんよ?」とか思ってしまう街中のチンピラボスな風格。
 なんでも、ダラヴァーイーと言う名前は、南インドに栄えたヒンドゥー諸王朝が用いた軍総司令官の称号だそうで、その意味がついているなら本作のダラヴァーイーも「強さこそ力」の象徴としての軍の暴走を体現するキャラクターという事でもあろうか。あからさまに貴人の落人くさい少年バルマの持つ「信念こそ力」との対比としての悪役像だとしたら……納得してもいいんだけどどうかなあ。むぅ(単純に、「将軍ムッダンナ」って意味で使ってるだけって気もするけど)。

 クレジットを見てると、冒頭ダラヴァーイーに殺される王様がオバンナ・ナーヤカ2世で、主人公バルマ率いる農民たちの蜂起の頃の王様がドーネ・リンガッパ・ナーヤカと出てくるので、時代的には1675年から始まり1688年前後あたりが主要舞台になっているよう。
 冒頭ナレーションで1625年以降に王朝の混乱が拡大するとあるのは、1674年即位のオバンナ・ナーヤカ2世が即位後すぐ暗殺され、次のショーラ・カンタ・ナーヤカもすぐ暗殺された史実上の王朝混乱が、その頃からすでに現れ始めてたって事の説明なのか…な? ざっと調べて出てくるチトラドゥルガ・ナーヤカ朝の王統と、劇中に出てくる王統の名前がやや食い違うのは、フィクションとして付け足されている部分なのか、日本ではあまり知られていないそういう説を採用しているってことなのか。この辺の歴史は詳しくないので、難しいながら興味津々ですわよ。
 力さえあれば、宗教的権威であるバラモン僧たちをも足蹴にするパレガラ軍人の、武力を背景に人々を恐怖のもと従える横暴さに対し、別種の力と団結で対抗する主人公バルマ、一方で服従する以外に方法を持たない人々、その尖兵として動かざるを得ない宮廷人と、敵味方入り乱れての様々な生き様が錯綜し、何段階も用意されているどんでん返しによって形成逆転の逆転の逆転…が続いていくのは、飽きさせない工夫ってやつで最後まで楽しいけれど、やはりタイトルに出してるんだから悪役側のカリスマ的魅力ってのも見てみたかったなあ…ってのもある。まあ、「炎(Sholay)」の伝説的悪役ガッバル・シンもやってることは本作の悪役ダラヴァーイーと(ある程度は)変わらないキャラではあって、そうなってしまった彼の生き様に透けて見える生い立ちの悲哀が人気の秘訣だったみたいだけども、本作のダラヴァーイーはどこまでも「好き勝手にやってみたかった」だけに見えるのがなあ…。まあなんだ、とりあえず税を釣り上げて国民を日干しさせようとする権力者なんて、虎に引き裂かれてまえー!!!(切実)

 で、製作予定すら出てきてないみたいなんですが、ムガル帝国と戦うらしい続編はいつ公開されるのー!?

 


メイキング

 

 

 

 

(。・ω・)ノ゙ BC1 を一言で斬る!
「17世紀のチトラドゥルガ・ナーヤカの孤児も、仏教伝説のアングリマーラー説話を例に出して説得に来る。スゴい」


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