I Am Sorry (アイ・アム・ソーリー) 2012年 144分
主演 アーリヤン・シグデル & ケーキー・アディカーリー
監督 ディネーシュ・ラーウト
"ごめんなさい。全て僕の…せいだから"
"ごめんなさい。全部私の…せいだから"
世の中の女の子に「世の中ってどんな感じ?」と聞いたなら、彼女たちなりの想像の中限定の世界を答えてくれるでしょう。
私は、世界がどんなものかよく知っている。110年の伝統を持つ商家の家に生まれ、生まれた瞬間から私の名前の事業を数多く持つようになった。厳しい学校教育を施され、特別な人材となるよう教育され、外国留学もした。…もう、私は私自身なのか、1つの事業的存在なのかすらわからない。私は全てを持っていながら、人生そのものをいつの間にか失っていたのだ。1日の行動も、朝食の内容も、全てが決定された道を歩んでいるだけなのだから……
その日、総合商社社長のシュルティは、父への委任状を残して姿を消した…。
シュルティは、その朝早くに家を出て、気ままな一人旅を楽しんでいた。
何もかもが初めての体験である彼女は、長距離バスの終点で捕まえたタクシーに乗って、さらなる旅行を楽しもうとしていた。
「これからどこに行くか、わかっていたらいいだけど」
「ん? どう言うことですかお客さん?」
「ここに来たのは初めてだから、どこに行けばいいのかわからないの。とりあえず、1番安いホテルに行ってほしいの」
「安いホテル…ですか…」
タクシーの急な故障で途中から徒歩でホテルに向かったシュルティと運転手だったが、ホテルは満室で、酔っ払い客がシュルティに絡んでくる始末。なんとか運転手に助けられたシュルティは、段々と彼とのやりとりが楽しくなってくる…
「心配しないでいいですよ。こう言う嫌な事は、人生では良くある事ですから」
「だから、私はここにいるのよ。こう言う経験をするためにね…」
主な登場人物 ()内は役者名
シュルティ (ケーキー・アディカーリー) 本名シュリスティ。110年の伝統持つ大企業の娘で本編前半の主人公。全てを管理される生活に飽き飽きして、家出同然に一人旅を始める。ガウラヴの協力で、田舎の小学校教師を勤めることに。
ガウラヴ (アーリヤン・シグデル) タクシー運転手。シュルティを乗せた事で、彼女の事を見捨てられず世話を買って出てしまう。本編後半の主人公。別名ユヴァラージ・シャムシェール。
修理屋 ガウラヴのタクシーの修理のために呼ばれた男。
モモ屋台の親父 ガウラヴの知り合い。シュルティと共にいる彼に「お似合いだね」と言ってくる。
孤児院の子供 ガウラヴにお願いしてタクシーにただ乗りさせてもらう。孤児院主催のイベントにて、ガウラヴとシュルティの出会いとそっくりな劇を演じて、2人の仲を深めてくる。
ラニ ユヴァラージの母親。息子に夫の後を継いで北京のビル建設事業を引き継いでもらいたいと、ユヴァラージを強制的に呼び寄せる。皆からは、「ラニ・サヘーブ」とか「ラニ・シャー」と尊称で呼ばれている。
ユヴァラージの父親 病気の悪化で昏睡状態のまま入院している。
ラフール ユヴァラージの弟。自分を置き去りにして家を出て言った兄に怒りつつ、兄を慕っている。兄からは「マスター」と呼ばれている。
シュルティの父親
シュルティの結婚相手
ユヴァラージの結婚相手
挿入歌 Kina Ho Kina (なんで、なんで [心がどこかへ飛んで言ってしまったの?])
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ディネーシュ・ラーウト監督デビュー作となる、大ヒットネパール映画。
家出した金持ちお嬢様と、しがない運転手(でもその過去は…)との偶然の出会いから始まる友情&恋愛劇をせつなーーーーく描く、バレンタイン(の数日前)公開のデートムービー。
冒頭のシュルティの自分語りを見て「かわいそう。幸せになって」と思うか「なんやコイツ。世間知らずなお嬢やないかい」と思うかで、その後のお話の印象が変わって来そうな気もするけど、「ローマの休日(Roman Holiday)」型の階級差を越えたお嬢様&しがない庶民の恋愛を、ネパールの高山農村部に置き換えた避暑地巡りのような雰囲気だけでも美し爽やかで堅実な画面が興味深い。
全てを管理された人生を過ごしてきたお嬢様社長が「安宿に泊まりたい」と言い出すだけで「あ、やばそうな予感」とか思ってしまうのも定番の展開ではあるけれど、シュルティ演じるケーキー・アディカーリーのあっけらかんとした明るさが、デートムービーとしての映画の方向性と相待って、幻想的でピュアな人間関係を増幅させていっておとぎ話のような現実感のない「影のない物語」を心地よく描いてくれる。そりゃあ、こんな寓話的恋愛劇見て「リアルじゃない」なんて言う方が野暮ですよね、と納得させられてしまうほどには暗い部分、汚い部分が出てこない。
不意に来た旅行者が、山間のネパールの村で仕事を探し始めて、いきなり小学校教師の職につけるのか、とか思わんでもない都合のいい強引な話も展開されるとは言え、前半はそんな都合の良さも寓話的世界観として受け入れられるほどにはピュアッピュアな悪意のない登場人物だけで構成された映画で、それだけでも幻想的な恋愛劇として美しい。
それが、シュルティが強引に家に連れ戻されるインターバルの時に暴露されるどんでん返しによって、視点がガウラヴの方に移り、ガウラヴの過去が明らかになると同時に双方の抱える家庭問題が暴露されると、物語は2人のすれ違い恋愛と家族のしがらみの物語となって、室内劇が多くなるこちらもよく見る家庭劇にシフトしていく。富裕層のヒロインと庶民層のヒーローとの恋愛はよく見る型ではあるものの、その恋愛が成立している理由づけを本作は「実はどちらも家出した富裕層で、お金には困っていなかった」関係性にしているのは、ネパール的なリアリズムの反映なのかどうなのか…。前半だけだと確かに「この人たち、生活費どうしてんだろ」とか思える部分も強かったことが、ちゃんと後半への伏線になっていたと言う事かいな。シュルティには父親のプレッシャーが、ガウラヴには母親のプレッシャーがかかっていたと言う対象関係なのも、そんな伏線めいた構造を強調する。
まあ、そんなん言っても富裕層のわがままでしかない恋愛の障壁そのものが、どこまでも2人の恋愛を増幅させていく美しさをこそ楽しむ映画で、主演2人のノーブルな立ち居振る舞いこそを武器にしているお話でありましょう。意外性がないのに2人を見ているだけで楽しいし、そんな2人と一緒に避暑地巡りをしている感じ漂う1本でもある。ヒマラヤの冷気を肌で感じたことがあったら、もっとこの映画内世界をドップリ味わえそうに見えるあたりが、なんとも悔し。
(。・ω・)ノ゙ I Am Sorry を一言で斬る!
「ラフールの描く似顔絵、一瞬見ただけのシュルティの絵はやたら詳細なのに、兄さんのガウラヴの絵は稚拙な感じで、作風が全然違うよ!」
↓こちらも参照くださいな。
インド映画夜話