Angalo Yo Maya Ko (愛と許しを胸に) 2011年 143分
主演 プラシャント・タマン(歌も兼任) & ハルシュカー・シュレスタ
監督/脚本 ヴィノード・セレン
"神様も、私のことなど忘れてしまったのよ"
ある男が、警察と共に墓参りに現れた。
警察官が「なぜ毎年、このお墓に花を供えにくるのですか?」と男に聞くと、男は個人的な事と断ってから語り出す…「このお墓には、私の目を開かせて真実を見せてくれた人物が眠っているのです…」
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インドのシッキム州都ガントクに住むシュラッダーは、高校を首席卒業して地元のシッキム・マニパル工科大学に入学する。
その大学には、乱暴者として有名なアカーシュが通っていて、シュラッダーの入学直後もいきなり暴力事件を起こしてくるのだった。
「やめなさい! 貴方は喧嘩するために大学に来たの? 貴方のご両親が、どれほどの期待を込めて大学に貴方を通わせているか、考えたことがないの!?」
シュラッダーに制止されたアカーシュには、自分の生い立ちを振り返らされる彼女の言葉が突き刺さり、何も言い返さぬままにその場を去ってからは、親友であるジャスミンの言葉すら届かなくなっていく…。
そんなある日、いつも同級生たちの溜まり場になっている大学構内の軽食堂の店長との世間話で、店長の娘が事故で視覚障害者になっていて、その手術代も捻出できないと嘆いていることを知ったシュラッダーは、大学内でのチャリティコンサートを企画してその手術代を集めようとする。
そのイベント当日。真っ先に多額の募金をしようとした実業家スーリヤ・プラタープを前に、突如アカーシュが出て来て「慈善家気取り」だとスーリヤを罵り始めてしまい、教授やシュラッダーが割って入る事態に。
「貴方のご両親に同情してしまうわ。…こんなくだらない品性の持ち主を息子と呼ばなければならないんだから。なんて可哀想」
「その通りだ。俺の両親は不幸な奴らだ。その不幸な父親が……ここにいるスーリヤ・プラタープなんだからな!」
主な登場人物 ()内は役者名
ラン・バドゥール (プレーム・スッバ) シュラッダーの父親。本編の語り手。
警察官 ラン・バドゥールの墓参りに付き従って来た警官。
ダネイ シュラッダーの家の使用人。音的には「ダーニー」とも聞こえる。家畜や畑仕事ばかりの人生に飽き飽きしている。シュラッダーの兄貴分でありまた弟分的な存在。
シュラッダー (ハルシュカー・シュレスタ) 本作主人公。高校主席で大学入学。子供達への教育の大事さに注目して、近所の子供達のための簡易的な塾を自宅で開いている。夢はキャビンアテンダントになる事。
シャシー シュラッダーの母親。
サニー 大学の軽食堂の小間使い。
軽食堂の親父 大学構内の軽食堂の店主。成長した息子に軽食堂店主である事を軽んじられ、娘は事故で視覚障害者になってしまって手術代を欲している。
ハリ 大学のシュラッダーの友達。
アカーシュ (プラシャント・タマン) 富裕層の家で育った大学生。本作のもう1人の主人公。乱暴者として有名で、何度も大学構内で暴力事件を起こしている。名前は「アカース」とも聞こえる。
ウッジャル 大学の新入生。入学したその日にアカーシュに目をつけられ喧嘩になる。夢は世界を飛び回る歌手になる事。
ジャスミン (ビジャヤター・バライリー?) アカーシュの友達の大学生。アカーシュと共に麻薬常習者。
アディティ シュラッダーが放課後に面倒を見ている生徒の1人。成績優秀ながら片足が不自由なため、安価なシュラッダーの教室以外に学校に通えていない。
キリスト教徒の女性 シュラッダーの家にキリスト教への改宗を進めに来た女性たち。
アカーシュの養育係 アカーシュの父親に雇われて、亡くなった彼の母に代わり彼の身の回りの世話をしている。その過保護ぶりと父親の不干渉ぶりに嫌気がさしているアカーシュからぞんざいに扱われている。
スーリヤ・プラタープ アカーシュの父親。富裕層で、何不自由ない暮らしをアカーシュにも与えているが、自分で子育てしたことなく、親子関係は冷え切っている。
シュリスティ 大学のシュラッダーの友達。
ナーヴィン 大学のシュラッダーの友達。
ジャスミンの叔父
レーカー 大学の軽食堂店主の娘。事故で視力を失っている。
医者 交通事故で搬送されたアカーシュの治療担当。
アカーシュを搬送した男 アカーシュの交通事故を見て、大怪我したアカーシュを病院まで搬送し、輸血まで願い出た男。キリスト教徒で、アカーシュの様子を見て改宗を提案する。
パンパ シュラッダーの姉。
パンパの夫 酒乱で暴力的。赤ん坊の子供の病気に、占星術師を呼んで祈祷させようと放置していた。
ティカ・プラサード シュラッダーの叔父。シュラッダーを狙う甥っ子の手伝いのため、彼女の父親に色々と吹き込み、シュラッダーの改宗を邪魔しようとする。
挿入歌 Fariya Ra Choli
タイトルは、ネパール語で「(無条件の)愛を抱きしめて」の意?
当初、2011年(ビクラム暦2068年)にインドのシッキム州で公開されたネパール映画。その後(2017年?)にネパール国内でも公開されているよう。
シッキム州都ガントクを舞台に、牧歌的な大学生の悲喜交々を描く青春映画ながら、前半は親子関係の断絶に荒れるアカーシュの悲哀をヒロイン シュラッダー視点で、後半はそんなアカーシュを叱責していたシュラッダーに降りかかる絶望をも並列的に描きながら、人生の浮き沈みのままならなさへの救済としてのキリスト教への献身を直接的に描くところなんかは、インド映画でもあんま見ないお話の展開具合で「へえ」って感じ。
歴史的にネパール人移民が多く居住し、州の多数派になっているシッキム州は、ネパール語、タマン語、ネワール語などのネパール国内の言語が多数公用語認定されている地域でもある。
ネパール人にとっても外国に感じない外国みたいな土地ってことなのか、映画は特別にシッキムらしさをアピールすることなく、自然にネパール人たちが生活していろいろに活動している様を見せてくる。ネパール本国と共通する劇中の高山地域の絶景が、実際にシッキムで撮影されたものなのかは分からないけど、前に見たシッキムロケ映画「Kathaa(カーンチャとクマリの物語)」とも共鳴するような美しい風景の数々は、大画面で見ると格別だろうなあ…とは思えてくる。
やや音がぶつ切りの上にラストが切れているものを見ていたので、詳しく映画の内容をつかんでいる自身はないけれど、まあお話は青春劇の悲喜交々の中で感情をダイレクトに説明してくれるので、分かりやすいとともに説教くささも感じてしまうものにはなっている。
前半のアカーシュのグレ具合なんか、親に構ってくれサインを出してる甘えん坊にしか見えないので、主人公シュラッダーと同じく「なにをそんな、ふさぎこんでんのか」と言いたくなるのは、家庭崩壊を経験していない「恵まれた側」の意見だろか。
それを救済してくれるのが聖書との出会いであり、キリスト教の「赦し」によって精神的に安定するアカーシュに促されて、周りの人間もすぐ聖書の影響を受けて真面目君に変化していく正直さがなんとも。シュラッダーたちがネパール社会において、どの辺のどんな少数部族社会と関わりがあるのかいまいち分からない身ながら、特に宗教的・伝統的しがらみを見せない大学生たちの「善良であろう」と言う素朴な姿勢が、シッキムののんびりした牧歌性を見せてくれていて、大学生活では色々と後輩いじめがあるらしいインドの大学より、ネパール人たちの大学の方が過ごしやすそうには見えて来ますわ。そんな中で暴れん坊学生やってるアカーシュの不良っぷりは、素直と言うか朴訥なグレ具合なので、反抗期の中学生っぽいのが可愛らしいと言うか、グレ具合が足りないというか…(いやまあ、同級生としてあんなのがいたら、近づかないで周りと同じく他人のふりしときますけど)。
そんなアカーシュを演じているのは、1983年インドの西ベンガル州ダージリン県都ダージリンのグルカ系家庭に生まれた、プラシャント・タマン。
学生時代に警官だった父が事故死してしまい、学校を辞めて父の後を継ぐ形で警察隊に入団して警察楽団で活躍する。特別な音楽教育を受けたわけではないにも関わらず、上司の勧めで2007年のタレント発掘TV番組「Indian Idol 3 (インディアン・アイドル3)」のオーディションに参加(TVショー参加のための休暇申請も問題なく通ったんだとか)すると、そのまま歌手部門で勝ち上がり、一躍世界中のネパール系の人たちの中での有名人になる。その後援を受けて堂々優勝し、ネパール~西ベンガル州…いわゆるグルカランド(ネパールの山岳民族が多く住む地域で、インド独立後に自治州を目指した分離独立運動が盛んだった)…などで多くのファン、支援者、後援者を生み出した(一部で、ラジオDJのグルカ人揶揄発言を巡っての熱狂的ファンによる暴動まで起きている)。
「Indian Idol 3」優勝後、ファーストアルバム「Dhanyavad(ありがとう)」を発売してワールドツアーを敢行。歌手として映画挿入歌を担当するようになり、歌も担当した2010年のネパール映画「Gorkha Paltan」で主演デビュー。映画の大ヒットによって、映画俳優としても活躍して行くことになる。本作は、その次になる2本目の主演作。
2026年、ニューデリーの自宅にて心臓麻痺により搬送され、そのまま物故される。享年43歳。
聖書による救いによって、麻薬ジャンキーだったアカーシュとジャスミンもすぐ品行方正な青年になるし、アカーシュの家庭崩壊も解決して父親と和解しあうのが早すぎだろ、ってツッコミも、ヒロイン シュラッダーの改心による奇跡と頑固な父親との宗教的対立の氷解が一瞬で描かれているタメなし脚本の素直さに無効化されてしまう感じ。最大の障壁となる父親の頑固さを受けた親戚のおじさん連の喧嘩っ早さが、無理やりな悲劇をへとお話を引っ張って行くのも「ネパール映画は、やっぱ悲恋が好きなのねえ」って感じではあるけれど、そもそもお話そのものが冒頭に墓参りに来ている父親が語ることとして描かれてる時点で、結末は自明の理ってやつだったんデスヨネ。ソウデスヨネ。
プラシャント・タマン主演作としては、デビュー作の前作「Gorkha Paltan」ほどの人気作にはならなかったと言うけれど、シッキム人的にはどんな感じで受け止められたのやら。そっちの反響も気になります!。
挿入歌 Mero Jeewan
(。・ω・)ノ゙ AYMK を一言で斬る!
「アカーシュの腕に掘られた漢字タトゥー『力』に放射状のフレーム、『概率风◯汉特』はなんの文言なのー!!??(◯部分は、こざと偏に、上にひとがしら、下に豆の口部分がないやつみたいな簡体字)」
↓こちらも参照くださいな。
インド映画夜話