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Biteka Pal (あの時の…) 2014年 125分
主演 ケーキー・アディカーリー & アヴィナーシュ・グルン
監督/台詞 スーラジ・スッバ "ナルボ"
"健やかなる時も、病める時も、貴方と共にいて愛し敬う事を…"

 

 

 雷鳴轟く雨の夜のダージリン(インドの西ベンガル州ダージリン県都)。
 街の住人ヌマは、その時自らの手首を切って倒れている所を発見される…。

 翌日。警察に連行されてダージリンの病院にやって来たギタリスト アビ・グルンは、ヌマが自殺未遂を起こして入院している事を知らされる。彼女の携帯には、未送信のアビ宛のテキストがあったため、アビは彼女との関係を警察に問い詰められ…。

 かつて、親友ギーターと一緒にアビのコンサートに来てすぐ彼の大ファンになったヌマは、ギーターの協力で彼の連絡先を教えてもらい、コンサートに通い続ける事で急速に距離を縮めていく。ヌマはすぐにアビを愛している事を自覚したものの、告白に失敗してアビと疎遠になってしまったヌマは、自暴自棄になってついに自殺を図ったのだった。
 だが、その間にアビの育ての親である彼の祖母に取り入って世話をしていたことが功を奏して、アビは病院で意識を回復したヌマを前に、祖母への献身的な世話の感謝を伝え、彼女の思いを受け入れる決意を告白。ヌマの恋はついに成就する…。

 その数日後。幸せな毎日を送るアビに、"カトマンズのラーヤン"と名乗る男から突然電話が入った…
「君は私を知らないかもしれないが、私は君を知っている。君が度々ネーハーと連絡をとっている事もね。ネーハーとはどう言う関係なんだ?」
「ネーハー? 失礼ですが、かけ間違いですよ」
「かけ間違いではないんだ。君はヌマという女性を知っているな? 時にネーハーをそう呼ぶ人がいるんだ……つまりネーハーとはヌマのことだ。いいかな? 君にとっては残念な事なんだろうが…ネーハーは私の妻なのだよ」



主な登場人物 ()内は役者名
ヌマ (ケーキー・アディカーリー) 本編主人公。ダージリンにて、失恋から自殺を図った女性。
アビ・グルン (アヴィナーシュ・グルン) ダージリンで有名なネパール系ギタリスト。幼少期にバス事故で両親を喪ってから、祖母のところで厳しく育てられる。
警察官 (ヘムラージ・バライリィ) アビを病院まで連れて来て、重体のヌマに引き合わせた警官。
ギーター (インドゥ・スッバ) ヌマの親友。
アビの祖母 (ビマーラー・タータル) 両親を亡くしたアビを厳しくしつけ、全ての決定権を握るが、柔和で人好きのする性格。彼女と認めてもらおうと画策するヌマとすぐ仲良くなる。
ガウラヴ アビの親友でレストランオーナー。
ラーヤン (バーブ・ボガディ) カトマンズにいるネーハーの夫。ヌマが妻ネーハーの別名だとアビに伝えてくる。
ラージ (アカーシュ・バーブ) ラーヤンの兄。
ラーヤンの母 (ギーター・ルーチャル)
ネーハーの父 (ラジェーシュ・ラジャク)

 

 

挿入歌 Jaba Sajha Parchha (太陽が沈めば [思い出が増して行く])

 


ニコニコ タイトルは、「あの時」「過ぎ去ったあの頃」みたいな意味? 映画内では、挿入歌の歌詞で何度も出てくる文句だった。

 前半はすれ違う男女の織りなす古典的恋愛劇。どんでん返しなインターバル直前から、主人公がヒロインのヌマからその恋人であるアビとラーヤンに変わるサスペンス風味が加わって行く怒涛の展開ながら、まあ、昼メロ的な域を出ない悲恋物語か。
 これが初めてのスーラジ・スッバ監督作だったら「おお、そういう方向へ話が行くと思わなかった。すごいどんでん返しを2回も仕掛けられてビビった~」くらい褒めちぎるかもなんだけど、他の監督作見てる身としては「ああ…いつもとおんなじ展開だなあ。結局最後は悲恋になるんでしょ」って感じには見えてしまうくらい堅実というかパターン通りな作りというか。

 主な舞台となるダージリンは、シッキム地方と同じくネパール系の人々が労働者として長年にわたり流入し続けている地域って事で言えば、劇中のようなネパール人コミュニティが広々と展開しているのも「ありそうだなあ」くらいは納得する(実際のとこ、どれくらいいるのか知らないですけど)。
 ネパールから見れば外国でありつつ、共通の文化的背景があり、ある程度歴史も共有している外国って事で言えば、ダージリンの人たちが劇中のネパール人によく馴染んでいるのもよくわか…わか……でもホントに、ネパール人ギタリストがネパール音楽歌って人気者になるほどに馴染んでるの? ムゥ。
  他のスーラジ監督作にも言えることながら、格好良さとか都会的な雰囲気の表現がやたらと勿体つけた感じで一昔前な感じなのはまあ、いつもの事としておきますか。ただ、恋愛劇が最初(恋を自覚する所)と最後(告白が成功する所)がわりとあっさりしか描かれないのに対して、その過程のドタバタはしつこく描かれて行くあたり、南アジアにおける物語の共通の注目どころが見えてくるようではある。

 そんな映画にあっても、そのパフォーマンスで映画全体を支えていた女優ケーキー・アディカーリーの魅力は全開に魅せつけてくれる映画。その意味では、ケーキー・アディカーリーありきのアイドル映画だからこういうお話になったと思えば、まあ、それはそれで納得してしまうくらいには、映画を牽引するパワー満載。
 そのケーキー・アディカーリーは、1989年第三州(現バグマティ州)カトマンズ郡ジャルパティ生まれ。
 大学で情報マネージメントを専攻する中でMVやCM出演して人気を呼び、11年に「Swor-The Melody of Dreams」の端役出演で映画デビューして、同年公開作「Masaan」で主演デビューする。その後も広告・映画界で活躍中。14年の本作でNEFTA(ネパール映画技術協会)主演女優賞を獲得。16年にはDcineアワードの批評家賞も授与されている。17年の主演作「Love Sasha」からはプロデューサーとしても活躍し、さらに高名な学者兼作家サティヤ・モーハン・ジョーシーの歴史劇舞台「Chaarumati」で舞台演劇活動も始めているとか。

 映画前半と後半で大きく印象が変わるヒロイン ヌマ/ネーハーを演じるケーキー・アディカーリーの2面性的演技が評価されての女優賞受賞なんだろうけど、お話的には恋多きお嬢様ヒロインの恋に恋した姿がメインで描かれるため、その恋に落ちるきっかけがいまいち腑に落ちないのと、恋が育まれる期間がダイジェスト展開になってからの恋が破れる状況を大々的に描いて行くもんだから、なんかヒロインがただただ恋に溺れて行くだけに見えてしまうのが…なんかなあ…。
 後半登場するラーヤンとヒロインの教会での結婚式回想シーンから「神前での結婚の誓いのシーンがあるってことは、インド映画文法ではこの結婚は物語の進展でも破綻しないって伏線になるけども…ネパール映画文法的にはどうなるのかなあ」とか、そっちばかりが気になっていきますことよ。このシーンで、新郎ラーヤン側が誓いの言葉を口にしていながら、劇中では新婦ネーハーの誓いの言葉が描かれていないのも、そんな物語文法がどっちへ転がって行くのかが気になってしまう仕掛けですわ(同時に、キリスト教的結婚式で描かれているから、不倫劇でも成立してしまう、という面もあるんだかないんだか)。最終的には、恋に恋する状態のヒロインが結婚後のヴィジョンを全く持ってないのが一番悪いんじゃね? とか思ってしまって、悲恋のトライアングルが「運命に翻弄された」とか「愛ゆえにこじれて行く関係」とも思えなくなってしまって「関係者全員、人の話を聞いて同意を得てから行動すりゃいいのに」と恋愛劇では言ってはいけないツッコミをしてしまう自分がいる。まあ映画の主眼は、涙目で目の前の状況に悩むヒロイン演じる女優ケーキーを如何に綺麗に泣かせるか、に絞られている感じなので、やはりこれはアイドル映画なんだと安心してしまう作りでもあるんだけども。

 


挿入歌 Pari Hai Pakha Mayalu Jodi (恋人たちが雨に濡れ行く)

 


受賞歴
NEFTA (NEpal Film Technician Association) Film Awards 主演女優賞(ケーキー・アディカーリー)・衣裳デザイン賞(ニーリマー・シャルマー)

 

 

(。・ω・)ノ゙ BP を一言で斬る!
「アビのギタリストとしての実力を説明するのに『これから1年契約で日本で音楽活動しに行く』になるのか…そうか…ま、なんとなく演歌に通じるものがあるようにも聞こえるけど」


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