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Kurukshetra (クルクシェートラ / 2019年カンナダ語版) 2019年 185分
主演 ダルシャン他
監督 ナガンナ
"放たれた矢は、取り戻すことはできない"

 

 

 遥か古代。北インドに栄えたクルの王国を統治するカウラヴァ百王子の長スヨーダナ(別名ドゥルヨーダナ)は、正義と平等を重んじる崇高なる王子であった。

 ある時、王都ハースティナプラ(象の都の意。現ウッタル・プラデーシュ州メーラト県内にあった都市)で開催された王族たちの武芸大会にて、卓越した弓術を見せるパーンダヴァ族のアルジュナを越える神業を披露した御者の息子カルナは、スヨーダナに気に入られてその場で王族儀礼を施されてアンガ国(現ビハール州~西ベンガル州東部にかけての地域)王に迎えられ、両者は永遠の友情を誓い合い国民から喝采を浴びる。
 しかしその一方、王国の次期王位継承に関してカウラヴァ族は不利な立場に居た。彼らを産んだ母后ガンダーリーが、占星術の厄災避けのために寡婦として故国ガンダーラ(現パキスタン北西部地域)からクルの国に輿入れしてきたことを理由に不当な差別を受けるスヨーダナは、どんなに望んでも継承権から外されたままでパーンダヴァ族に侮辱され続けて行く。

 怒り心頭のスヨーダナはついに、その原因を作ったスバラ王率いるガンダーラ王族全員を襲撃して洞窟内に幽閉させてしまう!
 この所業に怒るスバラ王からカウラヴァ族への復讐を託された息子シャクニ王子は、次々に衰弱死する一族の中で最後まで生き残り、父王の遺言通り彼の骨から特別なサイコロを作り上げる…「父は神なり…。父の名誉と偉業を体現する偉大なるガンダーラで生まれ育った我、シャクニは…これより彼の国と国民の復讐のため、クルの王統を根絶やしにする事に従事せん…!!」

 

 

挿入歌 Uthare Uthare

*パーンダヴァ族の弓の名手アルジュナを父に持つ青年アビマニュ(演じるはカンナダ語映画界で活躍する男優ニキル・クマール)と、恋仲となったマツヤ国王女ウッタラー(演じるは、15年度フェミナ・ミス・インディア・ワールドに輝いたモデル兼女優のアディティ・アーリヤ)との妄想ダンス。
 叙事詩によれば、サイコロ賭博によって国外追放となったパーンダヴァたちがマツヤ国に身を寄せて居た時、女装して"ブリハンナラー"と名乗るアルジュナに天界の舞踊を習ったウッタラーは、アルジュナの素性を知った父王の提案で彼の妻となるよう言われるものの、アルジュナが舞踊の師弟を親子に例えて拒否すると、彼女はアルジュナの息子アビマニュと結婚することを承諾してアルジュナの義理の娘になったと言う。
 その後、クルの大戦争で夫アビマニュを失って若くして寡婦となったウッタラーだったが、正統なクル王族の世継ぎパリークシットを授かる。息子を王位につけた後、賢者ヴィヤーサによって寡婦たちが望む戦死した夫との1日限りの再会でアビマニュとの面会が叶うと、カウラヴァ族の寡婦たちと共に自ら望んでガンジス河に身を投げて夫のいる死界へと赴いたと語られる。

 


ニコニコ タイトルは、叙事詩「マハーバーラタ」におけるクル王族の大戦争が行われた場所を指す地名。「クルの国」の意、らしい?
 現在のハリヤーナー州クルクシェートラ県がその伝承地ながら、国としては紀元前6~5世紀ごろの十六大国の1つとして、デリー~ハリヤーナー州中部~パンジャーブ州南部~ガンジス河上流域までも含む地域を指していたよう。

 インドが世界に誇る叙事詩「マハーバーラタ」をもとに脚色した、10世紀のカンナダ詩人ランナが著した叙事詩「Gadhayuddha」のカンナダ語(南インド カルナータカ州の公用語)映画化。カンナダ語史劇映画初の3D公開された映画であり、ビーシュマを演じた名優アンバレーシュの遺作となった映画。
 劇中のいくつかのシーンは、1977年のテルグ語(南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語)映画「Daana Veera Soora Karna(寛大、英雄的、勇敢なるカルナ)」の影響が指摘されている。
 1977年の同名テルグ語映画、2000年の同名ヒンディー語(インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語)映画、2008年のマラヤーラム語(南インド ケーララ州の公用語)映画とは別物。

 同時公開でテルグ語吹替版が、後にタミル語(南インド タミル・ナードゥ州の公用語)吹替版とマラヤーラム語(南インド ケーララ州の公用語)吹替版、ヒンディー語(インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語)吹替版も公開。
 インドと同日公開で、オーストラリア、カナダ、米国でも公開されてるよう。

 物語は大まかに「マハーバーラタ」に準じながら、クルの武芸大会でのカルナ登場から始まる本編は、しばらく叙事詩の悪役であるスヨーダナの視点で語られて行き、頑固かつ因習的なパーンダヴァ族(叙事詩の主人公側)との対立を自然に見せていく。
 南インド映画界では、ドラヴィタ的価値観を重要視する政策を反映してか、現在も残り続けるカースト差別糾弾のためか、よく叙事詩の善悪を逆転させて語る物語が制作されることがあるけども、本作もそんな物語構造の映画で叙事詩の英雄側の人々の階級制への固執ぶりを見せつけて、スヨーダナ率いるカウラヴァ族への同情的視点をハッキリと描ききっている。
 とはいえ、中盤以降怒りに狂うスヨーダナがガンダーラ王族最後の生き残りであるシャクニの奸計に乗って悪役化していくとお話は叙事詩そのままに進んでいって、善悪逆転劇の色が薄くなってしまうのは、叙事詩構造を重要視するであろう観客側への配慮でしょうか。

 世界一長大な叙事詩として有名な「マハーバーラタ」を換骨奪胎して3時間弱にまとめている本作は、序盤とラストは確かにスヨーダナが主人公ながら、中に挟まれる様々なエピソードでは主人公がカルナ、ドラウパティー、アビマニュ、クリシュナ、アルジュナ、ビーシュマなどなどと変わっていく群集劇として作られている。
 しかも、全編映画的というよりは舞台演劇的な語り口や画面構成が徹底されていて、お祭り期間に公演される大衆演劇のような雰囲気が濃厚。特に、ビーシュマの「男女両性を備えし者が我が前に現れた時、私は武器を捨てよう」の誓いを受けたシカンディンの唐突な登場なんかは、完全に背景となる物語を知ってる人向けに作られたシーンであり、そこで「よ、待ってました!」と合いの手を入れられるように仕向けた演出がなされている。
 他の登場人物の戦死に至る様々な因縁も、その死期が迫った時に回想シーンで一気に語られるため、映画としてはわりとご都合展開的なつくりが否めないものの、インドでは誰もが知る大衆演劇の人気演目として見るべき叙事詩映画にあっては、金ピカな舞台装置や衣裳に囲まれて、その眼力を目一杯アピールして口喧嘩する神話の英雄たちの「まずは目立ってなんぼ!」ってシーンごとのパワフルさ、叙事詩の物語構造をいじった上で「いま作るなら、こんな物語構造だってありでしょ!?」って問いかけも楽しい。主役スヨーダナは言うに及ばず、イカサマ賭博でパーンダヴァ族を窮地に落とすシャクニの人物像が、この映画によってだいぶ奥深く感じられてしまいますですよ。
 こういう、善悪逆転させた叙事詩映画を見ていると「マハーバーラタ」なる長大な物語が、大戦争で戦死していった人々への鎮魂のために作られたのではっていう学説に「そうかもしれないねえ…」と納得してしまう自分がいますですよ。そんな風に物語を語り継いできた人々の思いの数々が、そのまま画面に混沌と立ち上がってくるかのような歌舞いた映像空間は、まさにインドにおける歌舞伎そのものよねえ…。

 本作の監督を務めたのは、90年代から活躍する監督兼脚本家の(B・)ナガンナ。
 映画プロデューサー R・ラクシュマンを父に持ち、1982年のカンナダ語映画「Jimmy Gallu」あたりから助監督として映画界入り。94年の「Samrat」で監督デビューして、以降カンナダ語映画界で活躍中。12年の史劇「Sangolli Rayanna」でバンガロール・タイムズ・オブ・インディア監督賞を受賞。本作はその次となる監督作である。

 主役スヨーダナを演じるのは、カンナダ語映画界の"チャレンジング・スター"ダルシャン。本作が出演50作目として大々的に注目されていたとか。

 本作が遺作となった、カウラヴァ側司令官ビーシュマ役を演じたアンバレーシュ(生誕名マラヴァリ・フーチチェゴウダ・アマルナート)は、1952年マイソール(現カンナダ)州マンディア県ドッダラシナケレ生まれ。70年代からカンナダ語映画を中心に主演男優として活躍する他、90年代後半からは政界に出馬し、INC(インド国民会議)他の党員としても活躍して、州内閣の情報放送省大臣なども務めている。2018年、自宅にて心停止を起こして病院に運ばれたまま物故され、国葬のもと州政府により3日間の追悼が宣言された。享年66歳。

 カルナを演じたのは、1962年マイソール州トゥマクール県マードゥギリ生まれのアルジュン・サルージャ(生誕名スリーニーヴァサン・サルージャ)。通称"アクション・キング"。父親シャクティ・プラサードも男優で、兄である故キショーレ・サルージャは映画監督の映画一族カルナニディ一族出身。父親の知り合いの映画プロデューサーからの依頼を受け、父の反対を押して81年の「Simhada Mari Sainya」から子役出演。84年の「Male Bantu Male」から正式に男優として活躍し、南インド映画界全般で男優、監督、プロデューサー、脚本家、歌手として活躍中。

 パーンダヴァ側軍師クリシュナを演じたのは、1961年マドラス(現タミル・ナードゥ)州ティルネルヴェーリ生まれの(ヴェーラスワーミー・)ラヴィチャンドラン。映画プロデューサーの父親のもと、68年の「Dhoomakethu」から子役出演して82年の「Khadeema Kallaru」から本格的に男優兼プロデューサー兼監督として主にカンナダ語映画界で活躍中。

 パーンダヴァ側主役とも言える叙事詩の主人公アルジュナ役で、南北インド映画界全般で活躍するソヌー・スードが出演していると言うところも要チェック。

 まあ、派手派手な衣裳や小道具、舞台セットに対してあまり動きのない芝居が続くところにTVドラマ的な作りも匂うんだけども、換骨奪胎した叙事詩を無理矢理にでも3時間弱に収めてしまう手腕も一見の価値あり。そこで取捨選択されるエピソード群の選択具合・オリジナル要素(原作にしているカンナダ叙事詩要素?)に、小さな頃からマハーバーラタに慣れ親しんできたインド人の語りのツボというのが、透けて見える…ようなそうでもないような。

 


挿入歌 Chaaruthanthi

*ドゥルヨーダナと結婚することになる、カリンガ国王女バーヌマティ(演じるのは、主にマラヤーラム語とカンナダ語映画界で活躍する女優メガーナー・ラージ)の夢想の図。
 民間伝承では、ドゥルヨーダナとカルナの協力によりカリンガ国からの略奪婚でドゥルヨーダナと結婚させられたバーヌマティは、後に2人の友情の危機とその和解を与える原因となったと伝えられる。
 ただし、あくまでバーヌマティの名前や素性は民話由来の設定で、叙事詩マハーバーラタ本編では詳細には出てこない(「不幸な女王」などと呼ばれてはいる)。

 

 

 

(。・ω・)ノ゙ Kurukshetra を一言で斬る!
「『マガディーラ(Magadheera)』と同じく古代風なお城には翼獅子像が必要で、『ルドラマデーヴィ(Rudhramadevi)』と同じく古代戦には這い進むコブラの陣も必要なのね…」


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