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Patachara (パターチャーラー) 2010年 159分
主演 メリーナ・マナンダール & カルマ
監督/脚本 ラーム・クリシュナ・カードギー
"帰りたい…家に帰りたいの"

 

 

 その日も、裸の女性が子供達から石を投げられながら逃げていた。
 賭博に盛り上がる男たちは、そんな女性を見ても「不吉な女」として無視するだけ。ただ一人、事情を知る男が彼女の経緯を語るまでは…

**************
 その昔、スラワスティ村の村人全員から慕われる豪商ダンダスに、娘ヒシラーニーが生まれた。
 彼女は両親に溺愛され、なに不自由なく暮らしていくが、父親の方針で一度も家から出ることを許されず、屋敷の奥で使用人たちに囲まれて育っていく。
 ある日、美しい歌声を聞いたヒシラーニーは、声の主が新しく来た使用人マンラージャであると知らされ、友人たちの勧めで彼から歌を教わるようになる。次第に距離を縮めていく2人だったが、それを知らないダンダス夫婦が娘の縁談を持ってくると、2人の間に亀裂が生じてしまう…。これに耐えられなくなったヒシラーニーは、ついにはマンラージャを呼び出して語るのだった。「どこか遠くへ、2人で旅立ちましょう…私は、貴方以外の男性と一緒に暮らすことはできません」!!



主な登場人物 ()内は役者名
ダンダス 舞台となる村の地主でもある商人。ヒシラーニーの父親。娘を愛するあまり、外界に出さずに溺愛するように。
ヒシラーニー (メリーナ・マナンダール) パターチャーラーの本名。本編主人公。
シンタリー ダンダス家の家政婦長。聞きようによっては、"シュンタリー"とも聞こえる。
マイラ ダンダス家の使用人。
奥様 ヒシラーニーの母親。
ギヤニ ダンダス家の宴会の客。
ラクシュミー ダンダス家の使用人でヒシラーニーの友人。
チャンティ ダンダス家の使用人でヒシラーニーの友人。
ラーム ダンダス家の使用人。
マンラージャ (カルマ) ダンダス家に雇われた真面目で働き者な使用人。通称"マン"。その歌声が、ヒシラーニーの興味を引く。
シャヤム ダンダス家の使用人。お屋敷におけるマンラージャの先輩で相談相手。
サーヌ ダンダス家の使用人。
旦那夫婦 ヒシラーニーとマンラージャーを世話する近所の農民夫婦。

 

 

挿入歌 Lau Na Yesto Sansar

 


ニコニコ タイトルは、パーリ語仏典の中に登場する比丘尼(仏陀の女性弟子)の通称であり出家時の名。その名義は「裸の狂女」とか「服を着ない野蛮女」とかの意味だそう。

 ネワール族の使うネワール語(別名ネパール・バサ語。デーヴァナーガリー文字を使用するシナ・チベット語派の言語)映画で、仏陀と同時代人の比丘尼の伝説をネワールの村に置き換えた翻案時代劇。ネパール語吹替版も公開されロングランヒットとなった。 
 ネパールでは、やはりパターチャーラー伝説を主題にしたアショク・マーンシン著の同名小説があるそうだけど、関連はありやなしや…?

 仏典に登場する元の伝説では、古代コーサラ国に生まれた豪商の娘ロープワティの身に起こった悲劇とその救済が話の中心なんだけども、それをモチーフとして"パターチャーラー"と言う名前を継承しつつ、本編はネワーリー建築に囲まれた村を舞台にネワーリーの衣裳風俗で登場人物たちを彩っていく映画。
 最後に仏陀を始めとした初期仏教集団が登場することから、いちおう仏陀遍歴時代を舞台にしていることがわかるんだけど(顔をあえて外した構図で登場する仏陀による救済、って演出は、60年代ボリウッドの「Amrapali(アムラパーリー)」のラストに似てるネ)、そこまで予算がかけられていない映画であるだろうに、時代劇としてそれなりに頑張ってる様子を見てると「美術さんは相当苦労したんかなあ」って感じ(化粧や小道具類なんかの考証があるのかどうかは疑わしいけれど…)。最初、辺境農村地域を舞台にした現代劇かと勘違いしてて、申し訳なし…。

 劇中のお話は、豪商の娘ヒシラーニーと使用人マンラージャーのロマンスがその中心にきていて(映画前半~中盤の約2時間分)、駆け落ち後に郷愁に取り憑かれるヒシラーニーを襲う怒涛の悲劇が残り40分で展開されて行く。
 映画としては、それぞれのシーンでの饒舌な会話劇の連続で展開する構成のため、台詞・演技・BGMといった要素は過剰に説明的。その分撮影が抑え気味な感はあるけれど、物語進行が役者たちの演技力に全てを頼ってるような映画になってしまっている。
 ダンダス屋敷を舞台にする前半は、そのネワール民族文化のプロモーションのような建築様式・衣裳風俗が素朴ながら美しく印象的。ヒシラーニーが外界に出るまでロングショットがあまりないのは、演出以上に撮影上の都合なんだろうかと勘ぐってしまいたくなるところがアレだけど、後半の旅中のロングショットはその風景も美しくネワールいいとこ一度はおいでって感じではありまする。ま、愛する夫と子供たちを次々失うことになるシーンでの、突然のCG動物群に「え?」って感じではあったけど…(インドと同じく、ネパールでも毒蛇といえばコブラなのね!)。

 本作の主人公ヒシラーニーを演じるメリーナ・マナンダールは、1977年カトマンズ生まれ。
 93年の「Priyasi」で映画デビュー後、ネパール語・ネワール語の映画やTVドラマなどで活躍。09年の出演作「Jwalamukhi」ではプロデューサーデビューもしていて、本作と同年公開のネワール語映画「Balamaiju」でナショナル・フィルム・アワード主演女優賞を獲得している。
 本作では、恋のお相手マンラージャー演じるカルマの「期待の新人ですよ!」ってな雰囲気に対して、しっかりきっちり貫禄を魅せる演技を示していたけれど、かなりの先輩女優だったのね…(多少、年齢不詳感が出ているけれど)。

 マンラージャを演じるカルマ(生誕名マヘーシュ・サッキャ)は、1981年カトマンズ生まれ。
 インドのプネーで演技を特訓し、新聞広告を見て参加した(ホンマ?)オーディションを勝ち抜き08年の「Sano Sansar(小さな世界)」で映画&主演デビュー。本作は、その次となる主演作である。以降、ネパール映画界のメインストリームで活躍中。16年の出演作「Lukamari」では歌手デビューもしている。

 元の伝説と同じく、駆け落ちによる幸せな夫婦生活ののちに、郷愁に取り憑かれたことから悲劇へと転がり落ちて行くヒシラーニーの悲惨さをきっちり演じるメリーナ・マナンダールの演技力は立派ながら、映像描写としては、演技のみに頼りきりに見えてややあっさり気味に見えてしまうのが惜しい。…とは言え、夫と子供を失った所に「実は、昨日地震が起こって村は大きな被害を被った。ダンダス様のお屋敷は全焼してしまった」と語られる衝撃は、ネパール地震以前の映画であるからこそのあっさり描写であり展開なんだろうなあ…と思えてきてしまう自分もいるから複雑。そういう映画じゃないとわかっていつつも…。

 それにしても、元のパターチャーラー伝説がどの本で読めるのか、ブッダの直弟子である比丘尼に誰がいるのかって、ネット上で調べてもなかなか出てこないねえ…(「尼僧の告白 テーリーガーター」にあると聞いて読んでみたけど、出家前の事柄については出てこなかった…ムゥ)

 


挿入歌 Chhangu Na Mikhaa He Khasa

 

 

 

(。・ω・)ノ゙ Patachara を一言で斬る!
「荒野の真っ只中でほぼ一人で出産して、そのすぐ後に旅を続けるヒシラーニーの強さよ…(元の話がそうなってるからと、そうしないと危険度がさらに増すからだろうけど)」


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