゚Д゚) <Dhauli (ダウリ) | インド映画噺

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Dhauli (ダウリ) 2015年 99分
主演 ギーター・アディカーリー & ビシュヌ・ガウタム & ガジット・ビスタ
監督 ガナシャヤーム・ラミチハネ
"今、神は私の全ての願いを叶えてくれたのです。愛する息子よ…"

 

 

 雨期の近づく山間の小さな農村…。
 「明日の朝10時に用水路の雑草とりをするから、鎌とスコップ持って集まって!」との呼び声が響くのどかな村の中で、奉公人ダウリは出稼ぎ中の夫の帰りを待ちつつ、住み込みさせてもらっている家の農作業から家事全般までを、息子ビレと共に働き詰めで暮らしていた。

 この家の主人の弟カンチョは、特に仕事もしないまま日々を遊び暮らし、村の女を品定めしては悦に入る自堕落な男。その日、カンチョは用水路整備に出向くダウリの後をついていって世間話を始める。次第にカンチョとの会話の日々が楽しくなっていくガウリは、日を追うごとにその関係を濃くしていき、徐々に彼に心を開いていくように…。
 ついにはダウリと肉体関係をもったカンチョだったが、これに気づいた兄によってマデス平原へと遠ざけられてしまう。「10日くらいで戻れるから、村に残れ」とカンチョから厳命されたダウリだったが、以降は事情を知る女主人サンティの蔑みに耐え続ける日々に。
 ついにある晩、ダウリは息子を残して姿を消してしまう…。


主な登場人物 ()内は役者名
ダウリ (ギーター・アディカーリー) 低カースト出身の農婦。外国出稼ぎ中の夫がいない中で、住み込みの使用人をしながら息子を育てている。
カンチョ・シャーフー (ビシュヌ・ガウタム) 地主バター・バーの弟。日々を遊び暮らし、ダウリにちょっかいをかけていく。
バダー・バー (プラカーシュ・ギミーレ) ダウリの奉公する家の主人。ハイカーストの地主。亡きダウリの父に様々に助けられていた事から、彼女には協力的。
サンティ ダウリの奉公先の口うるさい女主人。バター・バーの妻。
ビレ/別名ビル・バハドゥール・ネパーリー (ガジット・ビスタ / 少年期はゴーパル・バッタラーイ) ダウリの息子。母と共に奉公先の使用人をしている。サルディコーラ(ネパール西部開発区域ガンダキ県カスキ郡内の村落区域)のチャウラ村生まれ。
アンジャナ (アヌー・シャー / 幼少期はマリッカー・アチャルヤー) 略称アンジュ。バター・バーとシャンティ夫婦の娘。
ゴーヴィンデ ダウリと同じ家に奉公する家畜番。結婚に憧れるも頭が弱く、皆にからかわれてばかり。根は優しくポジティブ思考の人。
サイラー 近所の山羊飼いの農夫。
ビナヤ 成長したビレの助手で友人。

 

 

Bhajo Halyo Piratile

 


ニコニコ それまで、ミュージックビデオや小規模映画の監督をしていたガナシャヤーム・ラミチハネの、商業映画デビュー作。
 ネパールの農村地域を舞台にした、階級差別と女性差別の残るネパール社会で生きる女性の姿を描く社会派映画…と紹介されていたものの、物語構造は、そういった社会問題を織り交ぜつつ、寡黙な登場人物たちが織り成す、人と人のすれ違いの誤解が生む悲劇と運命的展開を描く映画になっている。

 前半は、緑豊かなネパール農村の牧歌的かつ前時代的な状景の中で、必死に生きようとする既婚女性ダウリの姿を細かに描いていって「お? 従来のネパール映画とひと味違うんジャネ?」と期待大だったけども、ダウリの悲劇の失踪から一転、後半は都市部(カトマンズかポカラ?)を舞台に、息子ビレを主人公とした定石通りの恋愛&家族愛映画になっていって「むぅ」って感じ。その映画としての変身ぶりは、物語的つながりはあるものの脚本家がなんかの事情で変わったんじゃなかろか…と疑いたくなるような激変っぷり(脚本は、クレジットでは原案も兼ねてるサントーシュ・アートレーヤーと、サンブー・ターパーの2人になっている)。

 全体的に画面の切り口は美しく、不思議に民俗音楽調なBGMや環境音と相まって、その湿気具合、温度具合まで感じられるかのような完成度。その状景描写の細やかな美しさに対して、物語の心情的描写は比較的に薄く感じられてしまい、ダウリの心理変化や恋愛模様、後半の男女の恋愛模様や皮肉な人生の受け止め方なんかはかなりあっさり気味。尺の問題かねえ…とか心配したくもなるけど、これ以上心情的描写が増えると、それはそれで従来的なドロドロ劇になりそうだからこの方がいいのか…とか色々勝手に悩んでしまう。とにもかくにも、色々やりたいことがある程度形になっていながらも、部分部分で噛み合ってないってことかもしれない。

 最初、ただのコメディ担当のように登場する奉公人ゴーヴィンデが、後半それぞれの登場人物を結びつけていく橋渡し的ないい立ち位置に変化していくのなんかは、ウマいねこの! ってな感じではある。ま、それでも、だれも結婚希望の彼にその手助けをしないわ、いつまでたっても自分用のメガネや礼服を買う余裕がない貧乏なままだわと、色々考えてしまう要素も含んでいるわけだけど。どこまでもポジティブな性格描写で救われてい…る?
 ハッキリと台詞や物語上での主張として描写されないにしても、農村と都市における階級差別や女性差別、両者で真逆な生活状況もあり、どちらも共通して存在する社会問題もあり。声高に言っていないが故に、その解決の道の遠い事がなんとなく伝わってくる部分もある。ある程度の希望的観測も描かれるものの、全体として悲劇である本作の構成は、そう言った明確な答えが見出せない社会の反映か、あるいはネパール映画界が暗に求められているものを創りだそうと四苦八苦している結果なのか。

 それにしても一番ビックリなのは、突然の恋愛感情に呆然とするダウリを病気と勘違いした女主人が、なんだかんだ毒づきながら「お医者を呼ばなきゃ」と言ってて「おお、ヤなヤツかと思ったけど、わりと奉公人思いじゃん」と思ってたら、やって来たのが邪気払いの呪医ってのが「そうかー」とため息ついてしまうカルチャーギャップ(後半、病気で入院するアンジャナとの対比?)。

 


挿入歌 Basau Ghar Bar (さあ、僕たちの新しい生活を始めよう)

 

 

 

 

(。・ω・)ノ゙ Dhauli を一言で斬る!
「成長したビレの働いてる会社"ZENIYA"って、なんの会社で、その名前に込められた意味はなんなんだろう…?(建築関係の会社みたいだけど)」


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