ジヤー・カーン追悼 | インド映画噺

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 突然のジヤー・カーンの訃報にビックリしながら、そのニュースに反応する日本のSNS他の情報の誤作動具合に「?????」が続く1日でございました。
 とりあえず、Wikiを頼りにジヤーのフィルモグラフィをざっくりまとめてみたいと思います。



ジヤー・カーン(本名 ナフィサー・カーン)
1988年米国ニューヨーク生まれで、ロンドンで育ったイギリス系インド人(インド系イギリス人?)

 父親は米国系インド人。母親は80年代に活躍したヒンディー映画女優ラビア・アミン。
 幼少期にウルミラー・マートンガルの映画を見て映画女優を志し、1998年「ディル・セ 心から(Dil Se..)」で子役デビュー。ヒロインの少女時代を担当。



 16才の頃にオペラ歌曲を特訓しつつ数曲のポップスを作り、その後マンハッタンの"Lee Strasberg Theatre and Film Institute"で各種ダンスや演技を勉強。
 この頃、ヒンディー映画「Tumsa Nahin Dekha - The Love Story」のヒロイン候補に選ばれるも、監督との話し合いの末降板(最大の理由は、ヒロインの設定年齢に比べて彼女が若すぎたからとか。後任でヒロインを演じたのは、ディア・ミルザー)。
 その2年後の2007年に、ラーム・ゴーパル・ヴァルマ監督作「Nishabd」で、役名と同じジヤーの芸名で本格的に映画&主演女優デビューし大御所アミターブ・バッチャンと共演。その演技は高い評価を受け、フィルムフェア新人女優賞にノミネートされる。


 翌2008年には、タミル映画のリメイク「Ghajini」でセカンドヒロインのスニーター役を演じ、アーミル・カーンと共演。世界22カ国公開され各映画賞を獲得し、年末のクリスマス公開にもかかわらず、08年のヒンディー映画公開作で最大ヒットとなった(公式発表で、190クローレ=3500万米ドルの売上を記録)。



 「Ghajini」での演技力に批評家たちから賛否両論が起こった後、「Chance Pe Dance」のヒロイン候補を争うもジェネリア・デスーザにヒロインの座を譲る形に。代わりに「Housefull('10年公開作)」の脇役(準々ヒロイン)に出演。



 その後、南インドの映画への出演契約を結びハイデラバード(ってことはテルグ映画?)でオーディションを受けていたものの、ムンバイに帰って来た数日後の6月3日に自殺している所を母親に発見される。自室から若干の睡眠薬が発見された(さらに葬儀の後、妹が遺書を発見。自殺と断定された)。
 周囲の人は、しばらくの間個人的問題で鬱気味だったと言うものの(母親の証言では、2011年に自殺未遂を起こしているとか)、彼女は映画製作に前向きに取り組んでいたと語る。警察は、自殺の数分前に彼女が恋人の俳優スーラジ・パンチョーリーと数回に渡って電話していたと発表している。

 2013年6月5日。ムンバイのジュフー・イスラム共同墓地で埋葬式が行われ、多数のボリウッドスターに見守られながら埋葬される。8日の弔問会にも多数の映画関係者が駆けつけた。
 6月10日。遺書や事情聴取から、ジアー自殺に関して恋人のスーラジ・パンチョーリーが勾留、逮捕され、カーン家とパンチョーリー家の対立が深まっている。


 これから伸びる人だったでしょうに…合掌。
 最後に、彼女の代表作「Ghajini」よりジアー演じるスニーターのダンスナンバー「Latoo」フルバージョン。



*Wikiの孫引きみたいなものなので、誤情報が含まれているかもしれません。誤り等ございましたら、ご指摘頂ければ幸いです。