読書感想127 人魚の眠る家(社会問題・小説) | フリスビーの読書感想

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「人魚の眠る家」

(東野圭吾著 幻冬舎文庫)

 

個人的には「殺人事件」のイメージが強い東野圭吾作品ですが、今回のテーマは「脳死」でした。

 

ごく普通の家庭の子供が溺れてしまい、「ほぼ脳死」という状態になってしまいました。

脳が機能していないため、人工呼吸器をつけてかろうじで体は生きている、という状況です。

こうなってしまうと、いつ亡くなってもおかしくない状態とのことです。

こういったケースの場合、医者からは「臓器提供」の話が出てきます。

対象者が未成年の場合、ほとんどの家庭では、子供とそういった話はしていません。

そのため、臓器提供をする場合は、親の同意があればOKとのこと。

同意があれば「脳死判定テスト」というものが2回行われ、2回とも「脳死判定」という結果が出たときが「死亡日時」となり、臓器提供が行われます。

ちなみに臓器提供を希望しなくてももちろん問題なく、その場合は現状のまま治療が行われるそうです。

 

本作品では家族が

「この子は生きている」

と強調し、脳死判定テストも行わず、治療をするという選択肢を選びました。

そして脳死について、様々な考えさせられる問題が出てきます。

 

「脳死=死」

これを認めるかどうか。

本当に難しい問題だと思いました。

ただ個人的には、

 

回復する見込みがないのなら、やはり「死」なのではないか

 

と感じました。

もちろん逆の意見の方もたくさんいらっしゃると思うので、あくまでもこれは僕の感じたことです。

考えさせられる作品でした。