「人魚の眠る家」
(東野圭吾著 幻冬舎文庫)
個人的には「殺人事件」のイメージが強い東野圭吾作品ですが、今回のテーマは「脳死」でした。
ごく普通の家庭の子供が溺れてしまい、「ほぼ脳死」という状態になってしまいました。
脳が機能していないため、人工呼吸器をつけてかろうじで体は生きている、という状況です。
こうなってしまうと、いつ亡くなってもおかしくない状態とのことです。
こういったケースの場合、医者からは「臓器提供」の話が出てきます。
対象者が未成年の場合、ほとんどの家庭では、子供とそういった話はしていません。
そのため、臓器提供をする場合は、親の同意があればOKとのこと。
同意があれば「脳死判定テスト」というものが2回行われ、2回とも「脳死判定」という結果が出たときが「死亡日時」となり、臓器提供が行われます。
ちなみに臓器提供を希望しなくてももちろん問題なく、その場合は現状のまま治療が行われるそうです。
本作品では家族が
「この子は生きている」
と強調し、脳死判定テストも行わず、治療をするという選択肢を選びました。
そして脳死について、様々な考えさせられる問題が出てきます。
「脳死=死」
これを認めるかどうか。
本当に難しい問題だと思いました。
ただ個人的には、
回復する見込みがないのなら、やはり「死」なのではないか
と感じました。
もちろん逆の意見の方もたくさんいらっしゃると思うので、あくまでもこれは僕の感じたことです。
考えさせられる作品でした。