ちっさい頃のことを何度も思い出す。

 

すっごく衝撃的なことでもないけど

何度も繰り返す事で強化されてしまう。

 

いわゆるトラウマというもの。


そうして、何度も思い出すということは

そこから出てこようとするサインを

早く受け取れ、という

合図でもあったりする。

 

思い出したくない、と蓋をするのも

無視するのも良くない。

 

きちんと向き合えば

その時の感情を味わえば

すーっと消えてく。

 

トラウマを癒すにはレイキがいい。

 

 

年長さんだった時の運動会。

祖父母と両親が観に来てくれていた。

確かお弁当を作ってくれてたように思う。

 

障害物物競走で

目の前に長いゴムが何本もあり

その中をすり抜けていくというのがあった。

 

ふと、6歳の私はひらめくグラサン

このゴムの横をすり抜けたらどうなるだろう花

 

練習では思いもしなかったのに

本番でそんなことを閃いたのは

きっと家族に喜んでほしかったのだろう。

 

そして、それを実行した。

 

みんながゴムの中に飛び込み

悪戦苦闘してるのを横目に

スーッとスルーした。

 

 

 

先生のビックリする顔

周りの人たちは、どよめき

笑っている声も聞こえていた。

 

すっごくドキドキした。

 

スルーしたから

その競争では一位になった。

 

私は、すごく満足していた。

 

これはきっと

家族みんなビックリするだろう。

 

みんなと違うことをしたな、面白いな。

よく思いついたな、と喜んでくれるはず。

 

そう思って

レースが終わり家族の元に戻った。

 

 

でも。残念ながら

怒られはしなかったけど

ズルしたらアカン。と言われた。

 

周りの人は笑ってたのに

すごく呆れられ、冷めた反応だった。

 

あれっ

喜んでもらえてないぞガーン

 

すごく不安になった。

 

笑われていたのも

なんだか恥ずかしく滑稽に感じたおばけくん

 

 

 

これは、まだまだ私の中にある

トラウマの一つ。

 

さほどショックなことでもないのに

ずっとずっと覚えていて、ちょいちょい現れる。

 

なんで、現れるんだろう?

 

ずっとわからなかった。

 


 

夢みる小学校の自主上映に備え

想いをまとめている。

 

さっき、わかった。

 

 

ゴムをすり抜け一位になった私。

 

ズルをするつもりなんてなかった。

ただ面白いと喜んでほしかった。

よく思いついたなと笑ってほしかった。

 

ただ家族の喜ぶ顔が見たかっただけだった。

 

でも思った結果にならなかった私は

 

人と違うことをしてはいけない。

恥ずかしさと共に、自分の閃きを封印した。

 

この恥ずかしさの奥には

喜んでほしいという、純粋な想いがあった。

 

 

 


私は私らしく

自分を表現する。

 

それがいい。

 

もともと持っている能力を最大限に活かして
豊かに生きること。望みを生きる。
誰もが自分らしく生きる。

特殊な能力とかでなく

幼少期の時に自由自在に使っていた感覚。

ただただ、親や周りの人が喜んでいるのを見たくって

本能で察知して行動できたときの感覚。

義務や偽善じゃなく

嫌われないように、とかじゃなく

自然に湧いてくるもの。
 

 

子どもの頃の自分を思い出して

自由に表現できる世界。

私は私のままでいい。
あなたもあなたのままでいい。

 

顔が違う、指紋も違う。

人と違っててあたりまえ。

 

思いだそう。