こないだオニギリストさんと
お話しする機会があった
 
 
おにぎりは
米を炊くところから
大切だよね!
 
やっぱり素手で握るよね!
 
 
意気投合できて
嬉しかったなぁ照れ
 
 
改めて
 
おにぎりって
なんて魅力的なんだろと
 
思ってね。
 
 
手の大きさによって
握れる大きさは人それぞれ。
 
それもまたいい。
 
 

 

元気のないとき

気合を入れたいとき

 

がんばってね

見守ってるよ

 

そんな

想いを込めて

 

作るおにぎりは

 

おむすびになるのだラブ

 

 

 

 

 

 

 

この日は

息子が遠足でした。

 

ピカピカの一年生は

マスク着用でスタートし

 

コロナで運動会も無いし

体育や授業もいろいろ変更で

 

なんだかなぁえーん

の1年だったね。

 

行きたくないと泣いた日もあるし

わかったと休ませた日もあった。

 

寄り添える自分でよかった。

 

そんな一年生最後の遠足。

お弁当もいつもより気合いが入る。

(夫よごめんグラサン

 

親にできることって限られてるなぁ

 

大きくなってくると

だんだんできることも減っていくんだけど


 

めんどくさい日もあるけどさ

 

遠足とか、ここ!って日には

やっぱり、笑顔で送り出してあげたいよね。

 

そのためには

まず自分を整えること。

 

いろんな自分と向き合うこと。

 

 

無理して料理しても、誰も喜ばない。

我慢して作っても、誰も嬉しくない。

 

料理って毎日続くモノだけど

喜んでくれたり嬉しい反応ばっかりじゃないよね。

 

でも、人の為に無理してやってたら

思ったような反応じゃないときに

爆発する。

 

 

せっかく作ったのに

 

私だけ大変

 

もっと感謝しろよ


 

なんてことにもなっちゃう。

 

私もそうだったなぁ。

 

 

私が子どもの時

そんなに無理してやらんでもいいのにって

思ってたのに。

 

ご機嫌でいてくれるほうが

どれだけ嬉しかったか。

 

なのに、

自分が親になったら

同じことしてる。

 

 

 

両方の立場を体験してみて

わかったのは

 

子どもの為なのも、もちろんあるけど

深層には、また別の不安要素がある。

 

子どもの為は、表層部分だ。

そう言っとけば、自分の不安に向き合わなくてすむ。

 

だけど、その不安はずっと繰り返されていく。

カタチを変えて。

 

まずは。その不安に向き合うこと。

 

その方が

 

栄養価よりも

ビタミンよりも

もっと、ずっと大切。

 

そして、次に

食べること。

 

回り道してるように思う?

 

そうかもしれないね。

 

でも、

違和感を抱えたままなのは、やっぱ辛い。

 

結果的に早道だよ。

 

 

子どものため、誰かのためと言うと

大義名分が通る。

 

誰かの為が優先しすぎると

想いではなく

呪いになってしまう。

 

 

では。

想い と 呪いの

違いってなんだろ?

 

呪いは

自分が我慢して犠牲になって生きてる。

(・・・と思い込んでる。)

 

 

いやいや。

 

そもそも、その生き方を選択したのは誰ですか?

って話だよな。

 

そういう時期が

期間限定で訪れることもあるかもしれない。

 

だけど

想いを呪いに変えないためにも

できることは、ある。

 

呪いは重い。

想いは軽い。

 

 

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では、そこの向き合い方もお伝えしていきますね。

 

 

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