淡路島へ知り合いもいないまま移住して、そろそろ3年になる。

 

 びっくりするほど変な人もいないし、移住者同士の交流もあったり

ええ感じに過ごしてるけど正直なところ、深く繋がってる人もいなかった。

 

 こっち来てから、人との接点は減って、子どもを通しての付き合いくらいになって

気づけば、家族とだけしか会話しない日も多かったり。

 

 変に気遣う対人関係が減って、楽で良いなぁって思ったけど、

 

 「仕事としてはどうなんだろう?」の思考が発動したとき、

ちょうど1年前くらいかな。バランスが崩れだした。

 

 自分のことを深く知ってくと、時にズバッとするどく切り込む時がある。

自分の核に気づくチャンスだし、その準備が出来てるってわかるから、鋭い質問や気づきをいれることができる。

荒療治だけど、近道だったりする。

 

 それがカウンセリングだったり、コースだったりに活かされたりして、

ドキドキしつつも、一皮むけたなぁ私。って思ってた。

 

 そんな中、少ない対人関係にもかかわらず。

公私に関係なく、深く切り込むのを求めてない人が増えた。

 

 変わりたいけど変われないんです。

 今はそういうタイミングじゃないかも。

 

 それでも最初はね、いろいろ方法を試みた。

 

 変わりたくないって、その方からの無意識の声をキャッチしてるにもかかわらず

牙城を切り崩せば何とかなる!って、訳のわからない根性論で

もしかして、なんとかその人の思いに沿えるかも、、って。

 

 いやいや、変われない。タイミングじゃないって言ってるやん(・∀・)

 

 そんな挫折?を経て、むっくむくわいてきたのが

 

 ただ慰めて欲しいだけなら近づいてこないで。

 私の時間を無駄遣いしないで。

 

だった。(これを認めるのにもまた時間がかかった)

 

 ますます対人関係が嫌になり、私に近づいてくる人ってみんなこうなの?!ってね。

ちょっとした人間不信になったこともあった。

 

 今から思うと笑えるんだけど、みんなって、どのみんなだ。

被害妄想もいいとこ。

 

 これってね、相手に牙を向けてるけど

ホントはちがってて。

 

 それは私に言う話じゃないよね。聴かないよ。

仕事としてなら聴きます。お金払ってね。

 

 って言えない(言わない)

自分に嫌になってただけだった(´д`)

 

 嫌われたくない、が発動してただけ。

 

 本当の自分を出したら、孤独になるかも?と恐れる自分に絶望し

嫌われるのを恐れ、やましいことだと自分を隠そうとしてる自分自身に寂しさを感じていた。

 

 

 一連の出逢いは、結局、他者に見ていただけ。

いつからこの寂しさを感じてたんだろう。

 

 寂しいを正面から感じられたら、根っこの想いが出てきてね。

 実は、移住は関係なかった。

 

 どこにいようが、自分を出さなかったのが原因。

目立たないように、自分の一部分しか出さずに、人と繋がろうとしてたから。

後出しじゃんけんみたいで嫌だよね。

 

 嫌われてもいいわー

 私は、ダシの取り方や中国茶が大好きで、食から自分を整えてきた。

レイキ、脳の捉え方、カウンセリング、無意識との対話で自分を大切にしてきた。

これを仕事として、死ぬまでやっていくの。

 

 怪しいって言われても自分を出して、それでもいいって言ってくれる人とだけ

繋がれたらそれでいい。

 

 そう決めた自分や、生活を大切にしながら、お金も回せるような暮らしをする。

 

 って決めてから、ちょっとずつ変わってきたのね。

 

 

 このへんを固めてきだした頃に、八木さやちゃんのおかげで加速したよ。

 

 子宮委員長はるちゃんのころから、ブログも本も読んでた。

 性とお金と子育てと、すっごく参考にさせてもらいつつ、なんてぶっ飛んだ人だって目が離せなかった。

今でも、思い込み、固定観念の中で、いかに生きてるかを気づかせてくれている。

 

 壱岐島へ移住され、八木さやちゃんとして活動してからは

たっくさんの共通点を見つけられた。

 

 “自分ビジネス” これこそが私の進む道だと思ってます。

本当にありがとう!私も頑張るね。