私には人生の師匠がいます
私は浄土真宗の家に生まれ、母はキリスト教でした
法事にはお寺の住職の説法を聞き、日曜日には母と教会に行きミサで牧師さんの話を聞いていました
子どもですが、ずっと話を聞いていました
しかし、どちらも納得できる話ではありませんでした
両親は毎晩喧嘩していました
喧嘩が始まると、1番上の姉が、
「逃げろ〜!」
と号令をかけます
姉達がみんな走って2階の部屋に入り、末っ子の私は部屋に入れてもらえませんでした
親には家庭でのことは外で言ってはいけないと言われていました
毎晩喧嘩する両親は、自分達のことで精一杯で、私が学校でいじめられていることも知りません
絵やお習字、作文などが得意だった私ですが、両親は全く興味がありません
孤独な子どもでした
そんな時、三女と長女の姉が順番に創価学会に入りました
その頃、長女は東京にいたので、一緒に住んでいるのは三女の姉でした
この姉、小学生からろくに勉強をしなかったのですが、信心を始めてからみるみる勉強も得意になり、変わっていきました
この信心は違う
そう直感した私は、ふたりの姉に信心を教えてもらいました
三女の姉が専門学校で下宿してから、私は壁に向かって勤行、唱題をしました
祈っていたのは、両親が仲良くなることです
母は死ぬまで信心はしなかったものの、池田先生のことを尊敬し、一緒に会館に行っていました
子どもの頃、長女の姉がお金を出してくれて、未来部(学生)の新聞を読んでいました
先生にいつも励まされてきました
私が信じられる大人は池田先生しかいませんでした
どんな話も納得できるのです
そして私達未来部を「王子、王女」と言って尊敬してくださいました
今日は昼から月曜日に見てもらう仮名を書いていました
「ピコン」と、その訃報が届きました
私はすぐに夫SAKAに連絡しました
そして泣きました
しかし、仮名を書かなくてはいけません
明日は明日で書く物があります
涙を拭いて、没頭しました
創価学会というと毛嫌いする人や、悪口を言う人がいますが、それは学会を知らないからだと私は思っています
先生は新聞や書籍で物凄い深い内容でいろんな事柄に対する励ましを書いて来られました
私はいつもそれらを読んで、元気を出して悩みに向き合っています
この日がいつか来ると覚悟はしていました
悲しいけれど、感謝しかありません
本当に沢山のことを惜しみなく教えてくださいました
先生は私の心の中で生きています
そして私が人生を終える時、先生に胸を張ってご報告できるように、これから生きるのみです
このブログで学会員と公表するのは初めてですが、あんな偉大な師匠の弟子である誇りを胸に、堂々と生きていきたいと思います