小4の長男の中学受験を考えだしたのは、小2の頃。
理由を話せば長くなるのでまたの機会にしますが、
要は、息子の場合、「高校受験よりもメリットがあるだろう」と踏んだからです。
塾の方針で、小3から週1、お遊びの延長のような通塾を始め、
今は、最終的に「どっちに転んでもいいように」(中受してもしなくても)というスタンスで続けています。
さて、中学受験。
特に都市部での中受の世界は、一部が狂気じみているということは知ってはいましたが、
いざ足を踏み入れてみると、それはそれは恐ろしく・・・
今日、数年ぶりに(!)、
「どうしてもブログを書かなきゃ!」(?!)と思い、仕事を放り出しているのは、
紛れもなく、この「狂気」に触れる出来事があり、
居てもたってもいられなくなったからです。
この中受の世界に入ってからずーーーっと違和感を感じ、
ずーーーっと「書かなきゃ」と思い続けてきて、
その時々の思いの丈を、中途半端に下書きに綴り続けてきた、その「狂気」へのあがき。
私も例外ではなく、その「狂気」に巻き込まれ、
勉強しない子どもを目の前に、怒鳴りつけてしまうことがあることは否めません。
そんな私だけど、
自分への戒めも含め、
そして、やっぱりこの「違和感」を忘れちゃいけないし、
同じようなトコロを目指すママさんが、ひとりでも居てくれたら救いになると思い、今日は仕事を放り出しています。
たくさんの真っ当な教育関係者が著書やSNSなどで訴えかけ、警鐘を鳴らしていることではありますが、
時々立ち止まって、親がしっかり「自分の頭で」考えなければと思います。
何が目的で、中受するのか?
受験が終わった時、
愛する我が子の顔はどんな顔なのか?
この子の「本当のシアワセ」って、なんだろう?
私たちは大人だから、先を見越すこともできるし、
自分の通ってきた道だから、見えるモノがたくさんある。
子どもは、まだ先を見通すチカラが弱く、
まだ出会ったことのない未知なことが多く、
そして「今を生きてる」生き物なので、
見えないモノがたくさんある。
これは事実。
でも、
親が見越して考えた、その「先にあるモノ」は、
「犠牲にしなくてはならないモノ」よりも、
この子にとって、本当に、本当に、本当に価値があるのだろうか?
なぜそう声を大にして言いたくなるのかというと、
「一部」の、教育者を語る中途半端教育者と、受験ビジネスに絆されて、
子どもの中学受験を、自分の趣味か生きがいか、もしくは仕事かのように履き違えて、
そこでの「成果」が、自分の評価、存在意義になってしまっているママさんが多いこと多いこと・・・
幼少期から公文などのプリント漬け、先取り先取り・・・
小学生になれば、「毎日」、代わる代わる習い事漬けと、先取り先取り・・・
少しでも暇ができると分かると、「何がやっておいた方がいい習い事ありますか?」・・・
塾に入れば、組み分けテストなるものに一喜一憂し、
テスト前には、「ここ復習かけとく?」と、どんどんプリントを増やして、量で「自分の」不安を拭い、
テストの結果が出たら、「ここ弱いね」と、これまたどんどんやること増やして、潰していく・・・
「もう少し負荷かけたら、意外とできるんじゃない?」・・・
中受を終えていないワタシの立場では、きっと見えていない部分があることは承知しています。
たくさんのお子さんを見てこられた先生方には見えているモノがあるんだろうとも思います。
甘い、とも思います。
一定の量をこなすことで、チカラになることも理解しています。
勉強の得手不得手を洗い出して、必要なサポートを入れていくことが必須なのは知っています。
小学生、スケジューリングは親の役目、これも心得ています。
「いい学校」に入ることのメリットも、よーくよーく分かっているつもりです。
ただ。
子どもを、子どもの人生を、なんだと思ってるんだろう?
あまりにも、本来の「子育て」からかけ離れていませんか?
子どもの「成果」が落ちないように血眼になって、
あの手この手でコントロールしようと躍起になっている親の姿を見ると、
心底お子さんが、そしてママさんが気の毒に思えるし、
何より、
同調性バイアスの強い日本人を、
しかも能力を持て余している日本のママさんを焚きつけて、
あたかも、そのレールに乗らないとOUT!みたいな心境に追い込む、
この日本の受験ビジネスと、一部のココロ無い教育者に怒りさえも湧いてきます。
タチが悪いのは、
こういう受験ビジネスのカモのなっているママさんたちは、
本気で、「子どものため」と思ってやっている人が多いということ。
「第一志望に受かっても受からなくても、受験の過程が財産です!」
そう謳っていらっしゃる先生方も多く、
もちろん、その通りなのですが、
そう言われて、「はいそうですね」と、心から思って、狂気から解き放たれる親子がどのくらいいるでしょうか?
建前上そうなんですが、「そうは言っても・・・」というのが正気なところじゃないでしょうか。
どこまで本気でその先生がたがそうおっしゃっているかは分かりませんが、
そんな言葉で「狂気」が収まるならば、中受での教育虐待問題など、ここまでひどいことにはなっていないと思います。
かと言って、中受反対!と言っているわけではありませんが、
安易に突っ込むべきトコロではなく、
我々親が、もっと自分の感性に自信を持って、
「これは違うでしょ」と切り捨てられる勇気と決断力を持ってこそ、望める舞台なのではないでしょうか。
知らなければ、選ぶこともできないので、
引き出しをいくつも持っているということは、人生で最も大切な戦略。
なので、
そういう「受験ビジネス」が持っている情報も入手して、引き出しを増やすことは必要。
だけど、
彼らのアドバイスは、
基本、「上位の学校に入ることがよし」とされている上に成り立っているビジネス。
そこに辿り着くためのいくつかのノウハウを、
それこそ、引き出しを色々開けて、とっかえひっかえ切り売りしているわけで、
本当の意味で、「この子」のことを考えているわけではないのです。
本当の意味で、「この子」のことを考えて、
沢山の情報の中から、取捨選択して、「自分たちなりの方法」を作り上げるのは、
他のだれでもない、私たち、親だと思います。
そして、いかにして、その「自分たちなりの方法」を編み出すか。
それこそが、中受を「成功」させる秘訣なんじゃないかと、私は思っています。
もちろん、
「成功」とは、「〇〇中学に入ること」ではありません。
言われたことを鵜呑みにしない。
みんながやっていたって、我が子に必要なければその通りにしなくてもいい。
自分の子どものことは、最終的には私たち親が一番よく分かってるんだから、
本当にそれが必要かどうか、
その方法で「この子」には無理がないかどうか、
まずは自分の頭で考えて、熟慮してから先に進もう。
そして、
本当に「親である私が一番よく分かる」と言い切れるように、
目の前の子どもを、ちゃんと見よう。
受験をする以上、普通の家庭では、受験ビジネスとは切っても切れない関係になる。
でも、
その中で、常に
「この子のシアワセってなんだろう?」という問いは忘れずに、
時々立ち止まって、原点に立ち戻って、
自分の目と判断力に自信を持って、
愛する「この子」を、
この子の「子どもとしてのシアワセ」を守ろう。
そう改めて思った、胸の痛い朝でした。
このご時世、本当に先のことは予想できない。
今、大人の私たちが思い描く「シアワセ像」が果たしてほんとにシアワセなのかさえも、未知です。
私は副業で起業してみて、色々なことを学びました。
それは、起業のノウハウとかいうことじゃなくて、
「凝り固まった価値観の鎧を脱ぎ捨てたら、そこにはいろんな生き方があった」
それを知ることができたと思っています。
方法はなんだっていい。
自分なりの「OK」を探すことが、本当の意味での人生の満足度に繋がっていくんだなぁと感じています。
子どもにもそうあって欲しい。
そういう道を選び取るためには、基礎学力は大事だし、
自分の頭を使って、ゼロのものを考え続けること、
広い世界を知ること、これが大事。
そのための未知のひとつに中受があるだけで、そこがゴールでも目標でもありません。
世の中の頑張ってる小学生と親御さんたちが、
それぞれの「自分たちのシアワセ」な受験について、
自分たちで考えて、選び取っていけたら・・・
私の理想の「ぼけーっとする時間確保」育児と、中受は正反対のトコロにある。
だから、悩むし、揺れる。
でも、
私は、悩み、揺れ続け、
目の前のこの子をよく見て、
「この子のシアワセってなんだろう?」という問いは忘れずにやっていきたい。
