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7月27日、ご縁紡ぎ大学青森校第5期の修了式でした。
毎回、第4期のしゅうてぃが書を認めてくださるのですが、これがいつも素晴らしくてほぅ〜と見惚れてしまいます。
こちらは江戸時代の国学者本居宣長の「敷島の歌」
しきしまの やまと心を人問はば
朝日に匂ふ 山桜花
「日本人の心とはどのようなものかと問われたならば、朝日を受けて咲く山桜のようなものだと答えるだろう」という意味かと思います。
とても美しい情景が思い浮かびますね。
さて、最終の第6講義は校長の中村文昭さんが講師です。
第1講義も文昭さんが講師なんですが、私は第2講義からの参加だったので初めて文昭さんにお会いしました。
文昭さんの凄いなーと思うところは、
毎日をいかに楽しくオモロく過ごすか
その一点に集中していること。
自らのあらゆる経験を全てネタにできちゃうポジティブさと、引き出しの豊富さ。
文昭さんのお話聴いていると、日頃悩んでいることや不満に感じていることが小っちぇ〜って思えてくるんですよね。
本当のこというと、紡ぎに入校する時ワクワクよりも
「全然知らない人達の中にいきなり飛び込んで大丈夫かな」
のドキドキ・不安の方が優っていました。
講義の中身は凄く良かったし期待通りでした。
ですが、会場に足を踏み入れた時の独特のわちゃわちゃした空気感というかエネルギーが高いというか、それに圧倒されてしまって
同期の皆さんが「毎月紡ぎにくるのが楽しみだった」と言っている中、
どーしよーやっぱ場違いだったかも
という想いが中々消えず、モヤモヤしてました。
懇親会の時に、OBの知人に「どう?紡ぎ楽しかった?」と聞かれたのでこの事を正直に話しました。
嫌な奴だと思われるかもと考えたのですが、「話しを沢山したい人、盛り上げる人がいれば、それを見たり聞いてくれて受けとめる人も必要だし、無理に明るくする必要はないんじゃ?」と言ってくれました。
あーそうか。
陽キャでおしゃべりが上手じゃないとつまんない人間だと思われるかも
って、根深い思い込みがあったようです。
誰とでも直ぐに打ち解けられる人が心の底から羨ましくて、もっと見聞を広めたくて紡ぎに入校することを選択したはず。
ですが、この思い込みを手放せずにいました。
面白い話題提供しようとか、四六時中明るく振る舞おうとか取り繕わなくていいんだ。
懇親会の2次会でカラオケ🎤行ったんですが、私が歌っている時、突然文昭さんが私のところにきてハグしてくれたんです。
「よーやったよーやった。やれば出来るやん」
って一言。
無性に涙が出そうになりました。
誰もがただ、そこに在ることを許されている
この確証が欲しかったんだと気が付きました。
いやぁもうちっちゃいことでウジウジしてたもんだなこりゃ。
自覚はありましたが、自我の壁が強過ぎですね。
この壁を解放してやることが、今後もテーマになるでしょう。
「人に会うことで自分に出会う」
紡ぎで何度も聞いたこの言葉が腑に落ちました。
修了はしましたが、ここからが本当のスタート。
まだ見ぬ自分に会う人生の旅のスタートです。
共に学んでくださった5期の皆様、OBの皆様、本当にありがとうございました。
まずは今月24日の盛岡校第1期開校式に第一講義の振替えがてらお邪魔してきます。
どんなメンバーに出会えるかしら