2021年の9月、帯状疱疹と精神薬の飲み合わせが悪かったのか、
身の置き場のない苦しさに襲われて、
救急搬送。
みなと赤十字病院に運ばれる。
一人一人カーテンで区切られていて、「退院してください」と順番に告げられている。
皆うなり声を上げていて辛そう。辛そうなのに、これから帰るの大変だなと思う。
私の順番が来たとき、お医者さんが4.5人で相談をしていた。
心エコーをくりかえし、している。
「ICUに入院になりましたよ」と言われたけれど、体のどこが悪くて入院になったのか全く分からなかった。
その後私の容態は急変し、意識不明となる。
覚えているのは、数秒おきに、全身痙攣していたことと、汗が異常にでていたこと、
「なぜこんなに脈が早いんだ」と医師が話していたこと
そのうち、濃い痰がどんどん出てきて呼吸が出来なくなる。頻繁に吸引してくださるが、もう死ぬかもしれない と思う。
その間、心臓が止まりそうになり
コード・ブルーとなり、先生たちが集まって、
家族には、命が危ない と伝えられていた。
意識が戻ったとき、体には七つの管があった。
歩けなくなっていて、
起き上がることもできなくなっていた
スマホが手元にあっても、
うまく打つことができない
水分は吸い飲み三口ほどしか飲んではいけないと言われ、
とにかく喉が渇き、辛かった
元気になってきて思ったこと
なるべく、綺麗でいたい。
鏡をみれるようになると、痙攣のときに割れたみたいで、前歯が欠けていた。
お風呂に入れないのが嫌だったけれど、
二週間ぶりに入浴介助してもらった直後に、
40℃以上の熱が出てしまう。
家族に持ってきてもらって良かったもの。
制汗剤。エイトホーの塗るタイプ。
お風呂に入れなくて、オムツになっている自分の匂いが気になっていた。汗もかくし。
制汗剤、拭き取りタイプのものでも良いと思う。そういうのがあると便利。
あとは、元気になってきたら、清拭。
ただ、ICUでは人手が足りなくて、清拭などたのめなった。
「喉が乾いたー」と叫ぶと、「うるさい!」と言われる。
看護師さんによって、すごくやってくれる人と意地悪してくる人と様々。
私が人間らしい生活ができたのは、普通病棟に移動してから。
普通病棟では、本格的にあるく練習。
敗血症になっていたので、ひとつひとつ管が外されていったが、抗生剤の点滴はしたまま。
一生懸命歩いて、自販機とコインランドリーに行く。デイルームのところに小さなはしごがあり、階段の登り降りの練習をする。
毎日、医師の回診。ずらーっとICUの先生たちが毎日やってくる。
まず言われたのは、口から食べれるようになりましょう、と言われた。
私はなにも食べれなくなっていたので、
味の薄いにゅうめんが食べたい、と話すと、毎日にゅうめんが食事に出た。