原ゆきってこんな人②〜中学高校〜

 

 

  中学で青春

 

 

小学生の頃は優等生だったので私立受験をすすめられましたが、

友達と離れたくなくてそのまま地元の中学校へ進学しました。

ソフトテニス部に入り、毎日、朝練、昼練、夕方の練習、

と朝から晩まで練習に明け暮れました。

日焼けして真っ黒!

 

黒〜い(笑)

 

 

この時代は、今みたいにスポーツ中に水分が摂れない時代でした。

ギリギリまで我慢してやっと休憩時間になり、

先輩から先に水を飲むんです。

喉が渇いても、我慢、我慢我慢。

そして、辛くても頑張る

それが当たり前。

 

 

熱中症になるから水分補給必須の今じゃ

考えられないですよね~💦

きつかったけど、一緒に頑張る仲間もいたので

頑張れていました。

 

 

新しい友達もたくさんできて、

まさに、エンジョイ❣️の毎日✨

恋もして💕 THE青春✨

 

 

ただ、部活を頑張る代わりに、成績はだんだんと下がり。。

部活終わっても上がらない。

3年になり引退しても成績がふるわず、

担任に呼び出され話をしても

やる気出なくて遊んでました💦

 

 

  呪いの言葉

 

この時の中学の校長先生の座右の銘が

「頑張れば感動」

この、座右の銘の通り、

喉が渇いても、頑張らないといけない。

頑張らないと感動はない。

この頃の私にも、将来の私にも、

影響を与える呪いの言葉となりました。

 

 

 

  夢のない高校生活

 

そんなこんなで、たいして勉強してなかったけど、

なんとか地元の高校に入学しました。

(頑張ってないので感動もない。)

部活は遊び程度でゆる〜くやって、

仲良しの友達と毎日のように遊んでいました。

原付バイクでちょっと遠出したり、楽しかったです。

この時の親友は、今も大好きな親友です😊

 

 

ルーズソックス世代😊

 

 

ただ、楽しいは楽しいけど同じような毎日で、

将来の夢もなくて、、

進路ですら、どうしたいかもわからなくて、

勉強したくなくて、

この頃、爆発的に流行った「カリスマ美容師」に憧れて、

「こんな田舎からはもう出て行きたい」って気持ちもあって、

東京の美容専門学校へ進む事にしました。

 

 

鹿児島を出る日、祖父母に挨拶しに行ったら

涙なんて見せた事ない祖母がぼろぼろ涙を流し、

「いつでも帰っておいで。」

と言ってくれました。

飛行機の中で思い出して

涙が止まりませんでした。

今は亡き祖父母が大好きでした。

 

 

中学高校と、思春期と言われる時期ですが、

機嫌悪かったり、父とあまり話さなくなったりはしましたが

あまり反抗した記憶はありません。

 

 

高校を遅刻しても、サボっても

両親にはきっとバレてたと思うけど、

何も言われなかったんですよね。

親を試すように色々やったけど、何も言われませんでした。

私はこの家にいてもいなくてもどっちでもいいのかも、

親は私には興味ないのかも、と思ったのも

地元を離れたい理由だったような気もします。

 

 

に続く~!!
 
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