【恋愛依存症のシングルマザー】依存症から脱出せよ♡新しい世界線へJump!!

【恋愛依存症のシングルマザー】依存症から脱出せよ♡新しい世界線へJump!!

離婚して10年。
元夫の両親と離婚後も暮らしながら世界でひとつの恋の話がスタート!
スピリチュアルの世界線を通り、抜けた先で分かったのは私は「恋愛依存症」だったってこと。次の世界線へJumpするぞー♡

今までも何度か書いたことがあった


自分の「ツインレイの見解」


テーマとしては同じようなことを

書こうとおもうんですが

今は、以前とは少し違う内容が

書ける気がするので、書いてみます。



あのね


ワクワクしてるの、私。


ちょー今更に


「自分が本当にツインレイの片方」だって

自覚しつつある今に


ほんと今更に


これから何が起きるんだろうって

ワクワクしてるの笑


笑っちゃう。



ツインレイの話を

こんなに何年もしてきておきながら


自分は該当しないとどこかで思ってた。


自分は該当しないって思ってるよ〜

でも、なんか似た感じで進むんよ〜

誰か「それ正解」って言って〜


って人に判断を委ねながら

信じたい、けど

信じてて、どこかで「これ違うな」って

自分で思っちゃう時期が来るんじゃないか、


その疑いが晴れないままに

自分はツインレイには該当しないを

6〜7割目線でブログ書いてた。





でも、またツインレイに引き戻されて

今まで納得しない状態で知識としてだけ

頭に入れてた情報たちが

急に結びつき出した。



あ、そういうことなの💡


って、一気に吸収して

頭と心に一気に定着した。



改めまして、こんにちは、

ツインレイゆーKINDです、


みたいな気持ちです、いま笑


気持ちだけは、ですよ、

そういう打ち出し方は個人的に好まないので

スタンスとしては取りませんけど😂


そんなワクワク状態の私がいま語れる

ツインレイの考察も

私自身読んでみたいなと思いました。


なので、ちょっと書いてみます。



ツインレイって、パターン色々ありますね。


会えないパターンと会えるパターン

大きく分けたら、この2種類


会えるパターンである私が思う

会えていることのメリットは

やっぱり存在を視覚的に捉えられること。

大好きな人を見ていられたら嬉しいです。

これは間違いないし、少なからず交流も

可能だったりするので、繋がっていられる

安心感もありますね。


会えていることのデメリットは

簡単に表現すると

会えるのに仲良く出来ないこと。

ツインレイってよく「衝突する」って聞くけど

いま思えば、やっぱり相手に対して

エゴが表出しまくっちゃうから

例え会えていて話が出来ていても

お互いに「ありのまま」でいられなくて

イライラしたり怖かったりして

なかなか近付けない。

近くにいるのに近付けないもどかしさと

理解されない悲しさや悔しさを

日々感じなきゃいけない。


書き出して納得するけど

人間の感情として「デメリット」と

感じる方が圧倒的に多いのが

会えるパターンだと私は思います。



会えないパターンのメリット

これは私は想像でしか書けないけど

会えるパターンだからこそ

会えないパターンの良さも

今なら少し書ける気がする。


会えない間は、彼に対するエゴを

一旦置いておいて、冷静に自分と

向き合える時間をたっぷり与えられること。


例えば、オリンピックの柔道の試合中

どうやって相手に勝とうかと

頭でも考えるけど、頭より身体の感覚や

動きで相手を捉えようとするはず。


あ、やばい、技かけられた、

決まりそう、負ける、


そう思った時に、もし

時が止まったら。


相手がこう来てるから、自分の足の位置を

こっちにして、、、手はここにして、、、

重心はこっちだったら技をかわせるな、


って落ち着いて考えられる。

で、時間が動き出したらスッとかわせる。


ここで思うのが

時間止まってる間に相手に技かけて

時間動き出したら相手が倒れてるように

したら良いんやない?ってさ。


それが出来ないのかツインレイよね、

って私思うのよ。


案外、そう言うズルいことできるのは

会えるパターンの方な気がするのよ。

だから会えるパターンの人には

時間を止めてもらえないんじゃないか。


会えるパターンの人って

かわいそうとか、さみしさとか

同情と愛を重ねる部分が多い気がする。

かわいそうな自分を見せて

同情から入って

愛に口説き落としていこうとする感じ。


だから時間を止めることにあまり意味はなくて

止まってる間に他の同情枠を探すことも

会えるパターンの人はできる気がする。

それでいて、ほんとに時間止まったら

「いまだ!」って、頭で考える前に

力技で相手を倒しちゃえるズルさがあると

私は自分で思います笑



会えないパターンの人って

そのズルさがあまりないような気がする。

相手とどう向き合いたいか、

相手の在り方により、自分もそこに

動きを合わせながら、試合として

最後まで成立させたい。

力技で倒すことに意味を感じない人が

会えないパターンじゃないのかな、なんて

思います。




そう考えて見た時に

力技でもズルさでも、かわいそうとか

さみしいを売りにして愛を与えて欲しい

私のようなタイプは

圧倒的に「欲する」経験が

多いんじゃないかな、と。


力技やズルさの少ない、

会えないパターンのタイプは

「うまくいかなかった」経験の方が

多いんじゃないかな、と。


どちらも愛に対する行動により


欲しいと思った愛が

もらえなかった経験が多いか


愛だと思って選択したことが

うまく行かなかった経験が多いか




話をツインレイ考察に戻しますが


何がどうであれ

「愛の失敗」や「愛の不足」が

ツインレイの現象(愛する人との衝突など)の

要因だと思うんですが


会えるパターンでも、会えないパターンでも

詰まるところ

通るようになってる道の基本は同じで


要点としては


逃げないってことだな、と

改めて。




これってでも、すごく難しいよなぁって。

なんで難しいって


逃げてる、って意識ないから。

チェイサーから見てランナーは

「逃げてる」って思える。


けどチェイサーが自分で

自分も逃げてる側だってことは

なかなか認識しづらい。


これ、知識としてはなんとなく分かってるの。

「分かってるのよ」って

いま思った人いません?笑

そう、知識としては分かってるの。

だって、色んなツインレイブログで

書いてあるから。


読んだから知ってる、だけであって

実感はしてない。

だから、どこかで疑いもある。

「私が逃げてる?何から?

めちゃくちゃ自分と向き合ってるよ?

私は逃げようとなんかしてない!」って

思ってたりする。


自分と向き合うことが

何かから逃げてない、にはならなくて


何かから逃げてる自分を認めることが

自分と向き合うこと、なんですね。



彼に言われて嫌だったことや

取られた行動で腹が立ったことを

思い出すだけで悲しくなったり

「思い出したくない」と思うこと


正にそれが

自分が何かから逃げてる証拠。


だけど「逃げてる」自覚がないと

彼の方にばかり責任を押し付けたくなる。


理解されなかったんだからしょうがない


そうやって納得しようとする。

確かに、理解されなかったこと

それ自体は、しょうがない。


でも「しょうがない」だけで終わる出来事なら

最初から起きないはずなんですよね。

そんなの無意味だもの。

世の中「しょうがない」こと

日々ありまくりますよね。


でも、それって無意味じゃないのよ。


しょうがないことが

自分の身に、なぜ起きているのか?

って考えてみるの。


これ、きっと辛いの。


考えながら途中で逃げ出したくなるくらい

目を背けたくなる辛さなんだと思うの。


でも、そこが

しょうがない出来事

無意味だと感じる出来事が

起きてる原因はソコにある、

ってか、ソコにしかない。


逃げ続けるから繰り返すし、

繰り返すことの原因は


自分自身は、それを変えたがっているから。



自分の意識(頭)と自分の心(魂)が

分離してるから

心は願いの本質ありのままを望むけど

意識がそれを拒絶してる状態。



自分自身がバラバラになってるから

辛い、と言うことだから

一致させるように自分が気付いていけば

ツインレイの関係性は辛くなくなるはず。







諦めないで。


ツインレイは辛い、

これ以上進まない、

もうやめたい、


でも、そこで諦めても


また同じこと繰り返すだけだから



諦めるくらいなら


もし相手がツインレイじゃなかったとしても


信じたまま進んでしまった方が


幸せには近道だと私は思うな。





でも、この「逃げない」は

きっとコツがいる。



私ね、最近気付いたの。



私は、探すのが上手い 笑




エゴに気付いて

その原因を探すのが上手い。


なんでかって


たぶんだけど




人より


悲しみや苦しみへの

免疫と耐性があり過ぎて


気付きたくないエゴと

対面する辛さに

耐えられる、


と言うところ。



なんとなく思うの。

自分の中の大物エゴ殿との対面は

いつも彼との衝突で齎され

震えるほど怖くて

自分の事が、恥ずかしくて惨めで

存在そのものを自分で否定したくなって

どこか地中奥深くに入り込んで

誰からも気付かれない場所で

ひっそりと余生を送りたい、と

一瞬本気で思うくらい打ちのめされるのだけど



私はそこで

震えながらでも

恥ずかしい惨めな自分を

鏡に写して直視出来るんだ。


これって絶対辛いの。

鏡に映るのは今の自分の姿じゃないから。


人生で1番最初に

大切な誰かに対して

愛に失望した時の自分だから


本当なら目をふせて

知らないふりをしておきたい自分だから

とにかく辛い。



これ言葉にするの難しいんだけど


たぶん、インナーチャイルドの癒しが

自分だけで上手く出来ない人は

鏡に写っている自分を感じ取った時点で

その場から立ち去る人じゃないかなって。



ああ、もう

1番情けなくて惨めな自分が見えそう、

無理、見たら死んじゃう!

ってなって、とりあえず落ち着こうとする、

落ち着くためにその場から立ち去る。

鏡のない状態で、何が起きたか整理する。

でもそこに鏡はもうないから

1番気付かなきゃいけないことに気付けない。

表面的に理解したことだけを

知識として頭にインプットするけれど

自分の心の本当に理解したいことは

置き去りにされる。



書いていて思うけど

これだと

ある程度辛い思いだけして

1番大切なところをいつも見逃してるよね。


中途半端にずっと辛い。



だったらやっぱり覚悟して

鏡が用意された時には

身体が恐怖でどれだけ震えても

「絶対に見るんだ」って思ってた方が

欲しかった答えには早く辿り着けて

苦しさからも早く解放される。


そう考えたら、私は


やっぱり強いのかもしれない、

痛みとか苦しみに。


でも、そのおかげで

40年以上溜め込んだエゴを

3年程度でここまで

軽く出来たのかもしれないな。



私の人生よく出来てる。

自画自賛。笑




この、自分との向き合いの強さや才能は

今後どこかで生かせないかなー。




久しぶりに

じっくりゆっくり

ツインレイを語りました。



楽しかったにっこり音符