千葉県議会議員の水野ゆうきです。
本日も昨日に引き続き、千葉県議会地震・津波対策議員連盟の17名(昨日、今朝途中合流議員有)で岩手県内の被災地にて地元の皆様と触れ合い、行政の方からご説明を受け、実際に現場に赴き、しっかりと研修を行いました。
まずは宮古市魚市場・魚菜市場へ。
新鮮な魚とお野菜で溢れていました。
津波によって漁船が集まる宮古市魚市場、養殖施設が被害を受けました。
次は震災がれきで埋め尽くされた山田町へ。
津波後の火災によって大きな被害を受けました。がれきは数年かけて処理され、更地となっていました。
そして我々は、大槌町へと移動し、まずは壊滅的な被害を受けた「花ホテルはまぎく」へ行き、当時の様子や犠牲になられた方々のお話しを聞きました。ホテルのオーナーからは目の前の砂浜がなくなったこと、自分のお子さんが水の怖さでプールに入れなくなってしまったこと、その経験をしっかりと伝えていくことの大切さを教えていただきました。
そして、実際に現場へ行き、語り部から避難所の様子や検証、避難訓練の在り方、備蓄などについてらお話しを伺いました。
大槌町は全半壊、一部損壊4,375戸、犠牲者1,285人(行方不明者420含む)、中心市街地52%壊滅し、行方不明者は最大となっています。
※語り部の赤﨑さん(半年前まで仮設住宅で暮らしていたとのこと)
赤﨑さんからはとにかく「トイレと水」に困ったということ、避難所では様々な声や雑音でお酒がないと眠れなかったこと(※9時消灯)、点滴や薬が必要不可欠な病人も避難所では不思議と誰も発病しなかったこと、など具体的で大変貴重なお話しを聞くことができました。
※後ろに見えるのは岩手県大槌町の大槌湾内に浮かぶ蓬莱島。作家の故井上ひさしさん原作のテレビ人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルとされています。
そして、町長以下40名が犠牲となった旧大槌町の役場。
災害時のマニュアルがあったにも関わらず、しっかりとした避難訓練も子供の時から行わず、結局行政の方々が多く亡くなられたことに対し、住民たちは複雑な想いを抱いているとのことでした。
だからこそ、しっかりと検証をして、住民たちが我々に当時のことを伝え、我々がしっかりと防災意識を高めて、実際に地元に持ち帰って学んだことを活かしてほしい、という強い願いを受け取りました。
私たちは黙とうを捧げました。
語り部がお話しされていた「命てんでんこ」。
何度もこの視察で出てくる言葉です。
三陸地方では昔から「津波起きたら命てんでんこだ」と伝えられてきました。これは「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」、つまり「自分の命は自分で守れ」という意味です。
待った、待たれたで命を落とすのではなく、何よりも大事なのは自分の命であり、それから周りである(自助→共助→公助の順)ということで、語り部の皆さんは「一見冷たく聞こえるかもしれませんが、命てんでんこが教訓なんです」と口を揃えてお話しされます。
そして体験者や被災地は風化しないからこそ、被災していない周りが「風化されては困る」と。だからこそ、私たちが実際に足を運んで、あらゆる形で皆さんに伝えていくことが非常に重要なんだと感じます。
次に向かったのは釜石市です。
岩手県釜石市ではラグビーワールドカップが開催されます。
試合は日本全国12都市で開催され、特にこの釜石市は東日本大震災津波被災地で唯一の開催地です。
釜石市の職員から(仮称)釜石鵜住居復興スタジアム(収容人数は約16,000人)を見学させていただき、開催決定までの経緯も教えていただきました。
世界中からいただいた支援への感謝を伝え、復興の姿を発信したい、という住民の思いで始まったとのことです。
ラグビーワールドカップ開催後は、スポーツイベントはもちろん、地域のイベントや運動会などに使いたいとのことでした。
そして、最後は釜石市内をめぐりました。
ありとあらゆる建物に東日本大震災の津波がここまでの高さが来た、という印が刻まれています。
今回案内してくれている方が、震災によって様々な変化があった、と話されていました。
それは、震災時、モノがなかったので、モノを大切にするようになった、みんなが挨拶をするようになった、とのこと。
本日、見たこと、聞いたこと、感じたこと、触れたもの、すべてを活かしていきたいと強く思いました。