こんばんは、千葉県議会議員の水野友貴です。
本日は湖北小学校にて
手賀沼殉難教育者之碑の除幕式が
執り行われ、出席いたしました。
我孫子市・柏市からは市長、教育長、教育委員長等、
また千葉県議会では柏市は浜田県議がご出席されました。
皆様は『手賀沼教員殉職事件』をご存知でしょうか。
ちょうど71年前に手賀沼で起きた痛ましく悲しい事件。
私の祖父が我孫子市内及び柏市・松戸市にて
小・中学校の校長をしていたことや、
祖母も大叔父も教員をしていたことから
この事件は祖父母から母へ、母から私へ
と語り継がれてきた事件でして、
私は幼い頃から詳細を聞いて育ちました。
そして71年経った今、祖父母から聞いていた事件の
手賀沼殉難教育者之碑の除幕式に三世代目の
私が出席できたことは非常に感慨深く、
私たち若い世代も後世に語り継いでいくことが
1つの大きな役割だと感じています。
ご遺族の代表のご挨拶では
星野市長であるからこそ実現することができたことや
無念にも亡くなられた18名の御霊に
「おかえりなさい」とお声をかけられました。
≪ 手 賀 沼 教 員 殉 職 事 件 ≫
昭和19年11月22日、東葛飾郡教育会の主催による
研修会が実施されます。会場は午前中が
湖北国民学校(現在の我孫子市立湖北小学校)、
午後が手賀東部国民学校(現柏市立手賀東小学校)で、
湖北国民学校での研修を終えた参加者達は
3艘の船に乗り、手賀東部国民学校のある
当時の対岸の手賀村へと乗り出したのです。
事故の様子は次のようなものでした。
「3艘で20人以上の乗船は無理であるにもかかわらず、
学校関係者44人を中心に50人を乗せていた。
大勢が乗れるようにと船はそれぞれ縄で繋ぎ、
しかも船頭は2人だけであった。
船頭は無謀な乗船に反対したが、
戦時中の非常時でもあり押し切られたという。
はじめのうちは穏やかな天気で、一同はのんびりと
あたりを眺めながら談笑していたが、
対岸までもう少しという時、突然強風が吹き出した。
激しい風波による浸水が船を襲い、
たちまち船内は悲鳴と大混乱に包まれた。
皆は濡れまいとして片側の船に移動したため、
バランスを失ってまず一番風下の船が沈み、
縄で繋がれていたため2番船・3番船も
次々と転覆していった。
初冬の沼の水は凍えるように冷たく、
その上モンペ姿の冬支度では泳ぐこともままならず、
次々と力尽きていった。」