本日、3月11日。


何をどう書けば良いのかなと1時間もPCの前にいます。


東日本大震災から3年を迎える現在も、

仮設住宅などで避難生活を送る人は約26万7千人。


警察庁によると、東日本大震災の死者は1万5884人、行方不明者は2633人。


岩手県、宮城県、福島県、茨城県などによると、

被災後に体調を崩して死亡したり、避難生活を苦にして自殺したりした

震災関連死は増加を続け、計3千人以上に達したという報告がありました。


自分にできることは何か、ということを問い続けた3年間でした。


3年前の3月11日に私は自分の人生を大きく変える決意をしたことを

Facebookに書きました。


3月11日になった瞬間の12時にFacebookに投稿した内容に
大きな反響がありました。

そこにはたくさんのコメントをいただき、どれもじっくりと読みました。


特に気になったコメントは

「少しの事でくよくよしていたら被災地の方に本当に申し訳ない」


そう、私はこのコメントを読んで、本当にそうだな、と感じました。


我孫子市は被災地であり、高濃度放射性物質を含む一時保管場所問題など

常に震災の出来事が我孫子市の課題となっています。


しかしながら、ひとたび我孫子市の政治の外へ行くと、

都内はまるで何事もなかったかのよう。

ありふれた日常を当たり前のように感じ、簡単に人を傷つけたり、

憎んだり、肩書きやお金や欲にまみれている。


大切なことは「特別なことじゃない」ことを私たちは3.11で学んだはず。


今一度、立ち止まって、


自分を本当の意味で愛してくれている、応援してくれている大切な人に
心から感謝の気持ちをもって、やさしく接したいと思います。


タイトルを『はじまりのとき』にしたのは、

私がどうしようもなく落ち込んだり、
自分を奮い立たせるときに必ず聴く曲が

絢香さんの『はじまりのとき』と『みんな空の下』です。

私の第二の人生が始まったのは確かに3年前の今日でしたので

『はじまりのとき』にしました。


全て自分で決め、この日があって今日の私がいる。

自分からは一生逃れることはできないし、

現実を受け入れ、目の前の扉を開けば一歩踏み出せば、

はじめられると実感しました。


【Facebook投稿記事】


三年前の今日、私は市議選に出馬することを決めました。

仕事で衆議院議員会館にいた私は国会議員の様子に唖然としました

我孫子の情報が全く入ってこず、ヒールを脱いで上野まで歩きました。

被災地となった我孫子市。

地方自治体の能力の差で人の生死までも分けてしまう、そう実感しました。
その時、当時の同僚の皆さんが必死に私に情報を送ってくれました

政党や組織に頼らず、市民として市政を前にすすめたい、

情報は市民の命綱である、と心から思いました。


その後、番組や講演会を通してお知り合いになった
津田大介さんや朝比奈一郎さんをたずねたことは鮮明に覚えています。

犠牲になった多くの方々、心から哀悼の意を表します。

私も心に大きな傷を負っています。


今ある日常を当たり前のように思う人、大切な人を平気で傷つける人、
もう一度胸に手を当てて・・・自戒を込めて。

涙を流し、歯を食いしばった3年間でした。

震災復興と称して、良心的な肩書きを利用して、
環境や人の弱みにつけこんで巧みな話術や人脈で
金儲けをしようとする団体や個人を軽蔑します
(このことに言及した私の記事はYahoo!配信されました)。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140224-00010000-jindepth-pol


何よりも復興が一番です。

未だに数えきれない程の方々が心に傷を負いながら

日々、必死に生きています。

震災で婚約者が亡くなってしまった方とお話しをしたことがあります。

今ある命がどんなに貴重であるか。
亡くなった命、生まれてこれなかった命・・・。

でも、我々の傍にその命はいつも寄り添っています。
「死を乗りこえることはできないし、乗りこえなくてもいいんじゃないかな」

と今年の誕生日にお母様を亡くした同世代の方から言われて気付きました。

今日は命の大切さを改めて考える日でもあると思います。

多くの人の人生を変えた日を絶対に風化させてはいけません。