※寒い中、毎日ちゃんと登校してくれるかな?と、お子さんの行きしぶりや不登校を心配しているお母さんへ😊
我が子の不登校が始まった頃の様子を投稿してます🍀ぜひ、ご覧下さい。
ヒーリングヒプノ侑希の明松侑希です。
今日亡くなった父のことを考えていたら、
いろんな気持ちが湧いてきたので書きたい
と思う。私の父は経営者で、映画館を運営する会社の社長にまで就任し、日本が高度成長の波に乗り、人々の娯楽が映画しかない時代に、映画館の普及に務めた功労者の一人だ。
そして家に帰れば病弱な母がいて、
1人でお風呂にも入れない母の世話を、
40年以上亡くなるまでやり遂げた人だった。
外の世界では、バリバリと社長として会社を動かし、家では主治医のように母に寄り添い 看病する姿に、子供ながらに凄い人だと
私は父のことを尊敬していた。
けれども、今思うと 正直、
大きな弊害 もあった。
子供のことは、そっちのけだったのだ。
私と7つ上の姉は
母が入院したら親戚の家に預けられ、
退院したら自宅に戻される。
その度に小学校は行ったり来たりの転校を
強いられた。
すでに出来ているグループの中にも、
入っていけず友達は1人もできなかったし、
1人で孤立していた私は
イジメの標的にされたこともあった。
そんな私を担任の先生もかばってはくれず、
いじめに助長されたこともあった。
もう、40年以上も前のことだし、
とっくに時効だとは思うが、
今の時代なら大問題だが、当時の私は
『私が悪いんだ』
『この状況は、耐えるしかないんだ!』
と自分にいい聞かせ、
不登校にもならず、バカ正直に
毎日学校にも通っていた。
学校から帰ると
「家に遊びにおいでよ!」と誘ってくれる友達もいない私を、母は歯がゆく思って苛ついていたのか
「なぜ、友達が作れない!💢」
「一緒に遊ぼう!と言えないのか?」
と病床のベッドの上から私に縫いぐるみを
投げつけたこともあった。
友達も出来ず💧
先生にも味方になってもらえず💧
傷ついて、家に帰ってきてるのに、
母親から
罵倒され、苛立ちをぶつけられ💧
誰も味方になってくれる人は
いない状態の中、
『自分がいけなかったんだ…』
『私は我慢しないとダメなんだ』
とそう思い続ける毎日だった。
次回へ続く
投稿の文面と全く関係ない写真です😅
【写真:山之口商店街】
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寒い中、毎日ちゃんと
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💐私からのメッセージ💐
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