第2回 商人と官僚 | お試しブログ

第2回 商人と官僚

意外にも?
東南アジア」という呼び名は第二次大戦後の昭和ころ ~ いい。その以前は、インドシナや南洋などと呼ばれていたようです。

また意外2も?
イスラム教』いうと? 中央アジアをイメージするけど、人口的には東南アジアにイスラム教徒が多く。当地は、民族的にも宗教的にも多種多様で複雑な歴史があったといいます。

目 日本視点での 目
東南アジアの古名・インドシナは、インド的で中国的な文明が見られたように思います。

ご迷惑をおかけします 宗教的には ご迷惑をおかけします
7世紀半ばまでヒンドゥー教と仏教が主流で、7世紀末 ~ イスラム教 → 16世紀頃 ~ キリスト教が普及しているようです。

東南アジアが国際的な商業基盤を持つようになったのは、イスラム教徒のムスリム商人の影響を云われています。


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7世紀 / 東方アジアは てんびん座 中央アジアはササン朝 (ペルシア帝国) の時代 ~
『商人 / 商業』を肯定するイスラム教が誕生し、東洋にも西洋にも、商業ネットワークに激的な変化が起きていました。

7世紀半ばに誕生した新興宗教・イスラム教は、当時の世界では、科学的で数学的・実学的な近代的宗教であったようです。

ご迷惑をおかけします 実学とは ご迷惑をおかけします
実生活に役立たせることを趣旨とした学問のこと。工学・医学・薬学・農学・法学・経済学・教育学などを指す。日本の大学では、理学部と文学部で扱う学問分野以外は概ね実学とされている。より狭義には、応用科学を指す。

空理空論でない実践・実理の学のこと。虚学の対立語。

 ー 関連情報 ー
イスラム科学とは、8世紀から15世紀のイスラム世界において発達し、アラビア語によって叙述されていた科学の総称をさす。

イスラム科学」と呼ばれるが、ムスリム(イスラム教徒)だけが築き上げたのではなく、ユダヤ教徒やキリスト教徒など、様々な宗教に属する人々によって発達させられてきた。

また「アラビア科学」とも呼ばれることがあるが、アラビア半島を中心とする地名としてのアラビアでのみで発達したわけではなく、東は中央アジアから西はイベリア半島までいたる地域的な広がりをもっていた。

また、「アラブ科学」とも呼ばれることがあるが、ペルシア人、トルコ人など様々な出自の学者たちが活躍した。

知恵の館(アラビア語:バイト・アル=ヒクマ, بيت الحكمة )は、830年、アッバース朝の第7代カリフ・マームーンがバグダードに設立した図書館、天文台も併設とも。

ササン朝 (ペルシア帝国) の宮廷図書館のシステムを引き継いだもので、諸文明の翻訳の場となった。「知恵の館」は「図書館」を指すササン朝の呼び名の翻訳だと言う。

当時、世界の国家体制は、宗教体制 ≒ 貴族体制が主流のなか、イスラム教は庶民的で実学的な1面を持っていたようです。
*イスラム教は商的な宗教

  ⇔  7世紀前半まで、
胡人 ≒ 西域の商人 →  主にペルシア系ソグド商人が東西交易路で活躍していた云われています。

もともとシルクロードの東西交易地・中央アジアには、ペルシア由来のミトラ信仰、あるいはミトラ信仰から派生した ゾロアスター教 と マニ教 などの信徒商人が多くいたようです。

やはり!? イスラム教の基盤には、ペルシア由来の ゾロアスター教 と マニ教 の要素もあったように思います。
ササン朝 (ペルシア帝国) は ゾロアスター教 を国教とし てんびん座 水面下では マニ教 も流行。

ゾロアスター教 (与党) と マニ教 (野党) の本家本元であったペルシア方面もイスラム化して行きます →

(・・? 日本では?
東大寺 (奈良の大仏) ほか、唐招提寺、国分寺制度、密教や浄土教・盂蘭盆会・拜火教 (オリンピック風習) や MAZDA 自動車? などにゾロアスター教 や マニ教 の要素が見られるようです。

ー?→

(・・? マツダ自動車だけど MAZDA 
ゾロアスター教の光明神・アフラ・マズダ (MAZDA) を由来という。

奈良の大仏 (毘盧遮那 / ビルシャナ) も、

ゾロアスター教の光明神・アフラ・マズダインドではヴァイローチャナ (光明神) → 中国では毘盧遮那 (ビルシャナ) と呼ばれるように。

後ほど、ペルシアとインドの政治状況が悪化すると、インドではアスラ → 中国では阿修羅という修羅場 (戦いの絶えない世界) に登場する邪神 (魔族) になったようです。https://kotobank.jp/word/アフラ・マズダ

イスラム教が誕生した7世紀の日本は蘇我氏が登場する飛鳥時代、


蘇我氏の拠点・大和の明日香 (あすか) では、石舞台古墳ほか、謎の石造物が点在するといいます。

ペルシア人に似た石像物も。

松本清張氏の小説・火の路でも、蘇我氏の拠点・明日香村にペルシア人が来日し、東方ミトラス教の1つ・祆 (ゾロアスター) 教を普及していた説も云われています。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/火の路
ー;→

(・・; 詳しくは解りませんが;西方から東方に進むに連れ → 形を変えながらも、ゾロアスター教の光明神・アフラ・マズダは阿弥陀如来 (梵名・アミターバ) 、 ミトラス教のミトラ神 (太陽神) は弥勒菩薩 (梵名・マイトレーヤ) に転訛 、 その「光明神と太陽神』を取り入れたのがマニ教と云われています。


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内容は複雑していますが、
イスラム教の基盤には、ペルシア由来の ゾロアスター教 と マニ教 の要素も含まれ、当時の世界では、庶民的 (抵抗的) で商的な近代宗教。また、イスラム教のスンニ派は体制的 ⇔ シーア派は抵抗的であったようです。



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8世紀頃 ~ ダウ船 (帆船) を発明したムスリム商人たちがインド洋を拠点にイベリア半島 (南欧) ~ 東南アジア方面にかけて、商業を行っていたようです。

13世紀頃 ~ ジャンク船 (帆船) を発明した中国商人たちも加わるように。

8世紀ころダウ船を発明したムスリム商人たちは、アラビア系・ペルシア系・テュルク系の人々が多く てんびん座 13世紀ころジャンク船を発明した中国商人たちは、祖先をテュルク系・ペルシア系とする回教徒回族が多くいたようです。

15世紀のポルトガル商人とスペイン商人による大航海時代の基盤は、ダウ船 (帆船) と ジャンク船 (帆船) てんびん座 ともに、イスラム文明から生まれているようにも見えます。

目 よく見てみると 目
イベリア半島 (スペインやポルトガル方面) も、一時期、イスラム化していました!?

イスラム教は『商人 / 商業』を肯定する宗教であった事も手伝い てんびん座 イスラム法の計算式やアラビア語、アラビア数字 (0123) など。E欧に伝来した物が結構あると云われています。

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『芋の島 その1』この芋野郎、芋姉ちゃん、芋ぽい人、芋侍。 … 今日では →悪口で芋を表現する事もあるようですが、日本には、芋がなかったら「この世」に存在していない『芋の子孫』…リンクお試しブログ

 あの時 登場する馬三保 (鄭和) がジャンク船 (帆船) で活動していた云われています。



 ー 関連情報 ー
海のシルクロードとは、2世紀ごろから16世紀ごろまで存在した海上交易路の呼称。中国の南から海に乗り出し、東シナ海、南シナ海、インド洋を経てインドへ、さらにアラビア半島へと至る海路。海のシルクロードの起点は福建省泉州市


7世紀以降はペルシアの交通路を継承したイスラム商人が絹を求めて大挙中国を訪れ、広州などに居留地(蕃坊)を築く。


宋代になると再びムスリムの商人たちは、中国各地(泉州市、福州市など)に進出し、貿易を活発に行い、その活発な海洋交易は、元代まで続いた。元のクビライ・ハーンは東シナ海、南シナ海からジャワ海、インド洋を結ぶこの貿易路で制海権を握るために日本(元寇)や東南アジアに遠征軍を次々とおくったのだった。この時期にはイブン・バットゥータも泉州、福州を通って大都(北京)を訪れたし、マルコ・ポーロもこの道を通っている。

元王朝が滅びると、中国では、明王朝が勃興した。明は朝貢貿易しか認めない海禁政策を取った。そのため、鄭和艦隊で知られるように、海上交易路を海賊から保護した。馬三保 (鄭和) はアフリカのマリンディまで航海している。

中国の広東省広州市や福建省泉州市には蕃坊が置かれた。

海の道(うみのみち)とは - コトバンク世界大百科事典 第2版 - 海の道の用語解説 - 海港を結ぶ交通路である。海の道,海上の道,南海路などと呼ばれ,秦・漢帝国成立以前から利用されていたと考えられる。以上の各交通路は,古来,東西貿易の幹線路,軍隊の遠征路,東西文化交流の大動脈として東西世界の交流に大きな役割を果た...リンクコトバンク

 

ー?→

蕃坊  (ばんぼう / fān fāng) は、
中国,唐・宋時代に外国貿易の行われた広州,泉州などに設けられた外国人 (蕃人) の居留地 (坊市) 。蕃人はペルシア人,アラビア人らであった。蕃坊は城内にはなく,おもに通商に便利な城外に設けられた。蕃長司という役所があり,蕃長,都蕃長などと呼ばれた長が事務を管理し,海外の蕃商を招いた。蕃長は,外国人居留民のなかから徳望の高い人が政府から任命され,軽い犯罪の裁判をゆだねられたので,蕃坊は一種の治外法権的な存在であった。

広東省の広州・福建省の泉州・浙江省の明州などに蕃坊 (商人たちの居留地) があり、福建省の泉州海のシルクロードの起点にもなっていたようです。


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(・・; 再び;内容は複雑していますが、
日本は鎌倉時代ころ、元朝を筆頭に → オゴタイハン朝・チャガタイハン朝・キプチャクハン朝・イルハン朝など。モンゴル人がユーラシア大陸を支配した時代があったようです。

モンゴル帝国はムスリム商人たちを活用したので 長音記号2 ユーラシア大陸の商業ネットワークを結び付けたといいます。
イルハン朝は昔、ササン朝 (ペルシア帝国) があった地域。

『ホルムズ』という港が重要な商業ロードになっていたようです。

福建省の泉州海のシルクロードの起点にもなっており、蕃坊というムスリム商人たちの居留地もあったという。


福建省の泉州 ~ イルハン朝ホルムズを結ぶ海のシルクロードがあったといいます。

ー ひらめき電球 →

福建省の泉州は ゾロアスター教 を基盤に創られた マニ教 の里でもありました。

ー ひらめき電球 →

イルハン朝ホルムズ港の語源もゾロアスター教の光明神・アフラ・マズダの当地名が転訛した名前だと云われています。




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(・・; 毎度こと;
マニアックな内容になっていますが、とても気になる事が見えて来たので、ブログを巨大な『メモ帳』として利用して見ました。



竹。。