姿を消した 賊軍 | お試しブログ

姿を消した 賊軍

13世紀 / 鎌倉時代、
朝鮮半島では高麗 (こうらい) の時代。
高麗政権のもと「私兵」から「官兵」になり、後ほど『賊兵』になった三別抄 (さんべつしょう) という軍組織がありました。

当時の高麗王朝は決して『一枚岩』ではなく、1271年5月に高麗の賊兵となった三別抄は、高麗の官兵に追い詰められ、朝鮮半島の南の珍島と済州島で陥落し、姿を消しました。

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鎌倉時代の元寇 → 蒙古襲来の時期、神風 (二度の台風) で大規模な上陸を防いだ。と事はよく知られていますが、その他にも、高麗の逆賊 = 三別抄が 元 と 元 の従属国になった高麗に反抗をしていたので、日本への大規模な上陸が免れた。という お話があります。


もしも?!  三別抄の乱 (内乱) がなかったら、日本も 元 の1部になっていたかも? と お話です。


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12世紀 / 中国大陸では、モンゴル系の契丹族が『遼』という国を建て中国東北部を支配しており、遼 は度々『高麗』に進入していました。
その頃、契丹族 (遼) に支配されていた女真族が『金』という国を名乗り独立運動を始めました。金 (女真族) は 宋 (漢民族) と手を結んで1125年に 遼 (契丹族) を亡ぼします。

その後、金 は 宋 をも脅かし、女真族の 金 が中国の華北を占領し、漢民族の 宋 は中国の江南に逃れて 南宋 を建てました。
*それ以前の宋を北宋と区別



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1125年にモンゴル系の遼 (契丹族) が滅亡してから81年後の1206年、モンゴル部族のテムジンがに部族長の集会で君主となるハンの位につき、チンギス=ハンとなり、モンゴル帝国を建てました。

モンゴル帝国は、モンゴル系の遼 (契丹族) を亡ぼした 金 (女真族) を滅ぼし、中国の華北を領有した。

さらにその後、
モンゴル帝国は中国の江南にあった南宋 (漢民族) も滅亡させ、1271年に 元 (げん) という国を建てました。

中国大陸を支配した元 (蒙古族) は → 高麗 → 日本にも進出して行きます。

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13世紀 / 鎌倉時代、
朝鮮半島では高麗 (こうらい) の時代。
高麗王朝の政権は、文班 (文臣政権) と武班 (武臣政権) の2つ政権 = 両班 (やんばん) から成っており、文班 > 武班の関係であったようです。

中国大陸を支配した『元』が『高麗』にも進入して来るようになると、これまでの文班 (文臣政権) から 武班 (武臣政権) へ政権運営が以降し、文班 > 武班の関係から武班 > 文班の関係に逆転しました。

『高麗』は30年ほど『元』に抵抗し続けました。しかし、長期の戦争に疲れ果て、『元』に従おうとする勢力が武臣政権を倒し、再び文臣政権に逆転します。そして『元』に入朝して降伏、戦争は終結しました。

それ以来『高麗』は『元』の従属国となり、日本にも進入して行きます。

鎌倉時代、2度の元寇には、『元の人』よりも⇔『元』に国を奪われた『宋の人と高麗人』が多く乗っていました。

高麗人どうしでも『内紛』がありました。

文班 (文臣政権) に敗れた 武班 (武臣政権) の残党は、その後も抵抗し続け、南下をして行き『三別称』と呼ばれいました。

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三別抄は1271年5月に、
高麗・元の連合軍の攻撃を受け、根拠地だった珍島と済州島で陥落し、姿を消しました。

元寇 → 日本遠征のための軍艦を建造した高麗の1部民衆は、ひそかに船を焼いたり、三枚の船板を一枚にしたり、梁 (はり) や桟をつけない『手抜き工事』をしました。その船が日本の嵐の中で沈没しています。
手抜き工事をしていたのは三別抄の残党

高麗王朝は「元」の従属国となりましたが ⇔ 三別抄は抵抗し続けました。当時の『高麗』は、決して『一枚岩』ではなかったのです。

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やがて 元 は 日本 にも手をのばし、1268年には、朝貢を求める国書を高麗使を通じて日本に送りました。鎌倉幕府の北条時宗がこれを拒絶すると、軍事的緊張が走りましたが、すぐには戦いになりませんでした。

というのは、高麗で三別抄の残党が 江華島 ~ 珍島、済州島を拠点に抵抗していたので日本は防備を整える時間を稼ぐことができたのです。三別抄の乱が鎮圧されたのが1273年、元と高麗の連合軍が日本を襲った (文永の役 / 元寇) のが1274年でした。

元寇(げんこう)とは、日本の鎌倉時代中期に、当時大陸を支配していたモンゴル帝国およびその属国である高麗王国によって2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である。1度目を文永の役(1274年)、2度目を弘安の役(1281年)という。蒙古襲来とも。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/元寇

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13世紀 / 高麗王朝の、
武班 (武臣政権) の中に三別抄 (さんべつしょう) という臨時の軍事組織がありました。

「別抄」とは、別 に組織された 抄 と意味。
「抄」は没収を意味し、反乱を起こした地域へ派遣され、反乱鎮圧後に没収した財産を分け与えられる臨時の軍組織 (私兵) であった。
*別抄は臨時軍

当初は、夜間の盗賊取締りをする「夜別抄」に起源をもつ臨時組織であったが、続発する反乱により半ば常備軍化し、左別抄 と 右別抄の2部隊となり、後ほど 元 (蒙古族) の捕虜から脱出した人員による「神義軍」を加えて『三別抄』と呼称されるようになった。

崔氏政権 (武班) のもとで拡大され、 元 (蒙古族) との戦いの際には「官兵」の役割もしていたようです。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/三別抄

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 [ 三別抄の乱 ]
1270年、高麗における元の支配に対して起こった反発運動。三別抄は、もとは武臣政権 (武班) の臨時軍であったが、文臣政権 (文班) が 元 に服属したことに対して反乱を起こし、民衆の支持のもと珍島、済州島を拠点に高麗の官兵に反発し続けました

1271年5月に高麗の賊兵となった三別抄は、高麗と元の連合軍に追い詰められ、1273年に朝鮮半島の南の珍島と済州島で陥落し、姿を消しました。その翌年の1274年、元軍は高麗軍を動員して日本遠征 (文永の役 / 元寇) に向かった。


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平成9年、
沖縄県浦添市の伊祖城跡、浦添城跡から「癸酉年高麗瓦匠造りの銘」の入った瓦が出土して、世間の人々を驚かせました!それだけでなく、高麗瓦の工場窯跡まで発掘されました。これまで、板葺きだと見られた伊祖城、浦添城の上には『板』ではなく『瓦』が乗っていた可能性がある驚くべき出土でありました。

今では信じられませんが、
浦添城の屋根瓦 (高麗瓦) の色は『赤い瓦』ではなく ⇔『黒い瓦』だと見られています。

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中山国 (琉球国) の都は、
舜天王統 (3代) → 英祖王統 (5代) → 察度王統 (2代) まで『浦添城』を拠点とした「古琉球」⇔ 第一尚氏 (7代) → 第二尚氏 (19代) まで『首里城』を拠点とした「近世琉球」に分類されています。

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近年、浦添城跡から「癸酉年高麗瓦匠造りの銘」の入った高麗瓦が出土した事について、浦添城時代の癸酉 (みずのとり) 年は時代背景からすると、1273年・英祖王の時代が有力とされています。
英祖王統 (5代) の時代の浦添城の屋根瓦も『黒い屋根瓦』だったと判明するようになっています。


古琉球の都 = 浦添城 (黒い瓦)  ⇔ 近世琉球の都 = 首里城 (赤い瓦)

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1271年 (英祖12年) 5月、
朝鮮半島の南では、高麗・元の連合軍の攻撃を受け、『三別抄』の根拠地だった珍島と済州島が陥落するという出来事がありました。

もしも?!
平成9年に沖縄県浦添市の浦添城跡から出土した「癸酉年高麗瓦匠造りの銘」の入った瓦が、浦添城時代→1273年 (英祖14年) の癸酉 (みずのととり) 年 だとすると ?
『三別抄』の根拠地だった珍島と済州島が陥落した年のわずか2年後になります。

浦添城を都としていた 英祖 王の時代に、
1度目の文永の役(1274年)、2度目の弘安の役(1281年)という元寇 (蒙古襲来) が起きていました。

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20世紀後半に、沖縄県浦添市浦添ようどれで高麗瓦が発掘された。この瓦の文様は、三別抄が珍島に造営した龍蔵城跡から出土した瓦の文様と類似している。浦添ようどれの瓦には「癸酉年高麗瓦匠造」という刻印があるが、癸酉年は1153年、1273年、1333年、1393年などが該当する。これが1273年だとすれば、三別抄が済州島で滅ぼされた年と同一であるため、三別抄の生き残りの人々が沖縄に逃避してきたのではと推測する研究者もいる。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/三別抄

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(・・? ー?→



沖縄言葉では、
「お茶碗」の事を『まかい』というのだが、どうやらその語源は朝鮮由来とも云われています。
*お茶碗 = まかい


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かつて、
朝鮮半島には私兵から官兵 →
官軍から賊軍になった三別抄という組織がありました。

1271年5月に高麗の賊兵となった三別抄は、高麗の官兵に追い詰められ、朝鮮半島の南の珍島と済州島で陥落し、姿を消しました。

(・・? もしかすると?

 雷 雷 雷 爆弾  雷 むかっ

お話です。