「なぞ」の久米氏 →その4 | お試しブログ

「なぞ」の久米氏 →その4

お前たちは「洗脳」されている→


わたしたちの祖(オヤ)は、猿ではない爆弾犬だ‥


そうした少数民族が、中国大陸・東南アジアには、今も住んでいます。彼らは昔、着物に尻尾(しっぽ)をつけて、犬の吠声をしていました。古代中国の北西部→西戒の地に、遊牧民族「犬戎」という部族がおり、その先祖は犬だとする伝説があった。南蛮の地→中国南海岸(雲南省辺り)には、「鵜飼」を行う稲作と漁労民がいた。


紀伊半島の「犬飼と鵜飼」は、久米氏の「龍信仰」とともに付随してんびん座さまざまな「ルート」と時間差で日本列島にやってきているような気がしました。



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中華のみなもと→中原の夏(カ)→当時、中央から外れた国々を「東夷・西戎・南蛮・北秋」といい⇔4つの野蛮の地とされていました。中央→「夏」の西外れ→戒(かい)と呼ばれた野蛮の地から「秦」は、始まりました。



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秦の始皇帝は、中央を目指し、銅貨と冊封体制、中華思想をつくる。

賑わう、貧しい、財産、貯金、購買、賃貸、質屋、経費などには「貝」が登場する。「銅貨」以前の「貨幣」は、貝(カイ)であった。銅貨が流通すると「貝殻」は価値を失う。それまで「貝が主」⇔「稲は従」の人々は、稲作適地を求めて各地へと引越しする←という「貝の道」がありました。




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もとは、「楚」と「秦」は、同じく「西戒」の地でありました。秦は、中原の夏(カ)→中央を目指していました磁石「楚」は中央に進む「秦」に反発していました。

稲作の民→「呉」は「越」に亡ぼされ⇔「越」は「楚」に滅ぼされていました。そのため、「楚」の中には、稲作の水、太陽、蛇信仰を含む西戒の地には、「犬戒(イヌカイ)、鵜飼い」のみなもと天秤座 さまざまな「龍信仰」が含まれていた。



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台風の通り道には、古くから「犬祖伝説」がありました。台風はよく、北海道で温帯低気圧になる。たしかに?青森地方では、私のこと→「ワン」という天秤座沖縄地方でも、私(ワン)といい⇔台湾風に、我(ワー)という人もいます。しかし、犬が「ワン」というのは江戸時代ころで、平安頃、犬の鳴き声は「ひよ→びょう→べう」と記されていました。
net上ではテレビソフトバンクのCMで、親が犬だというに対して⇔怒る人々もいました。逆転の発想をした祖(オヤ)→楚には「犬戒」も含まれていた。彼らは磁石反発遺伝子を持っていました。犬猿の仲→その反発遺伝子は、犬戒の国→楚の国から→蘇の国→総の国→南総里見八犬伝へと通づる→

南総里見八犬伝は、ドラゴンボールのお話しに吸収されていました。その犬祖伝説→龍信仰は白山信仰に隠れています。房総半島には、犬吠埼の白亜の灯台が存在している。

南総は、安房国→阿波国→久米氏へと通づる→

久米氏の住んでいた紀伊半島で⇔台風は熱帯低気圧になること多い。久米氏は、さまざまな「駆逐(はいじょ)・吸収」を行なう二面性をともなう『龍信仰』を持っていました。紀伊半島の吉野山、井光には西戒の地から→「犬戎」と⇔阿陀の鵜飼の祖である「鳥戒」は南蛮から来ていたという人もいる。龍信仰には、犬戒→犬飼→犬養と付随したてんびん座鵜飼い、蛇に水、太陽信仰など、さまざま含まれ、白山信仰→山岳信仰→修験道に隠れていました。


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後ろの人々は?亡ぼしたはづ?の人々がいる気がしました。


それは、誰にも信じてはもらえないお話しである→


畑の中から「すっぽん」が度たび出てくる。


自分の片方おじいさんは、安慶名(あげな)といい、あの時の、http://ameblo.jp/yuukata/entry-11423422714.html 夏居数(=大城勇)、後の越来氏と同じ具志川村に住んでいました。そこは、琉球士族の落ち武者部落だと言っていました。しかし、自分のおじいさんは貧乏であり、おばあさんの土地である「田場」という部落の畑を借りていました。「田」という文字は、昔は稲作をしていた名残だという。その畑から「すっぽん」が出てきました。たしかに育てていました。


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具志川村には、昆布、宇堅、天願、みどり町、赤野、田場、安慶名、平良川、塩屋、赤道など?昔の海人の「平家」のような部落がたくさんあります。当時の「琉球と薩摩」は、源氏系統でありました。そのほか、天願とみどり町は?あの時の、http://ameblo.jp/yuukata/entry-11430017026.html 龍信仰→白山信仰と似ている。なぜか?昆布の採れない具志川村に「昆布」という部落があるもの不思議と思いました。



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大人になるまで、昆布は食べる物だと思っていました。主に、北の「クンプ」は飲む昆布⇔南の「クーブ」は食べる昆布で、江戸時代には「昆布の道」がありました。



昆布の採れない沖縄島では、昆布をたくさん食べる。「昆布」という文字は、すでに奈良時代に存在しており、蝦夷地(現・北海道)のアイヌ語→「クンプ」から中国大陸に逆輸出した漢字だという。


45種類のなか、食用昆布は4種類に大別され、
『真昆布』は、渡島や羅臼、知床半島、利尻・礼文島と稚内沿岸などで採れる。利尻昆布は「だし昆布」として、『三石昆布』=日高昆布は「だし」と食べる?『長昆布』は、釧路・根室沿岸一帯で採れる「食べる昆布」だという。その他、『細目昆布』は、とろろ昆布などあるという。


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沖縄島で食べる昆布は、釧路地方の「長昆布」であるようです。

さまざまな「釧路」の語源には、アイヌ語の「くする」に「クシュル」、「越路」という説もありました。

そこにも?「越」人?伝説がある?の?だと「もうそう」してみた→

それは、薬?天秤座「越」への路→道?のふうにもみえる→

越人を含む亡命してきた徐福一団は、「不老不死」の薬→神仙思想を持っていました。「昆布の道」は、江戸時代のお話しである⇔もっと昔には、「貝の道」がありました。


沖縄島の具志川村には、「昆布」に「宇堅」という部落がありました。昆布貝塚と宇堅貝塚から弥生人骨やヒレジャコ、女性用イモガイ、男性用ゴホウラ貝の腕輪が出土していました。


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おそらく、沖縄島の「具志川」村は、久米島の「具志川」村にも通づる→

久米島の具志川村では、ゴホウラ貝の工場跡が発掘されていました。そして、北海道の釧路地方から、ゴホウラ貝の腕輪が出土したという。

ゴホウラ貝は「南」で⇔昆布は「北」でしか採れない。

ゴホウラ貝の腕輪のこと→『釧』と記される場合があります。

江戸時代の「昆布の道」以前に⇔「貝の道」が、弥生時代→もっと前、縄文時代に存在していたとおもう。



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おそらくそれは、「鵜と犬」が関係している。


あの時の、http://ameblo.jp/yuukata/entry-11423422714.html 具志川村の喜屋武城で生まれた「越来賢勇」こと→大城勇(夏居数)には、越、夏のほか、賢(ケン)と勇→ゆ「う」という文字がありました。具志川村にある「昆布」と「宇堅」という部落は?新しい「昆布の道」のほか⇔古い「貝の道」にも通づる気がしました。

宇堅(うけん)という文字には、「鵜と犬」が隠れています。


賢→堅→犬→

う→禹→鵜→「宇」という文字は、「越智氏と久米氏」とも深く関係している。



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縄文人と弥生人は、犬とともに、やってきました。


田名部氏の遺伝子によると…→

南方系…北海道犬、屋久島在来犬、琉球犬、西表在来犬、台湾犬は、似ている… 


南方・北方の中間…秋田犬、紀州犬、信州柴犬…

北方系…三河圏、山陰柴犬、対馬在来犬…

北方関連犬…越の犬、四国犬(土佐犬)、珍島犬、美濃柴犬は、似ている天秤座それは?越の国から瀬戸内海に引越した「越智氏」の足跡(DNA )と似ている。

「お米信仰」の久米氏と越智氏は、違うルートから交差している。


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暴かれた古代日本―新事実を旅する (ビッグマンスペシャル)/世界文化社

縄文時代には「犬と猪」の埴輪があり、神奈川県夏島貝塚、愛媛県上黒岩岩陰遺跡では、世界最古の犬の埋葬例があり、飼育されて家畜利用されていたという説がある。

夏島貝塚は夏(か)のふうにもみえる?

夏朝の創始者の禹(う)→烏(う)→鵜(う)は、中国の夏王朝の禹王・一族のこと

来目皇子(聖徳太子の弟)かもしれない?謎の久米仙人は、刺青(いれずみ)をしていたという。そして、久米氏も刺青をしていたと記紀(古事記・日本書紀)にも記されているてんびん座『魏志倭人伝』には、倭奴国の一部→邪馬台国の南に狗奴国有り、男王と為す…刺青(イレズミ)有り←というふうに記されている。

久米氏の側→近くには、丹生(にう)一族がいました。


丹=赤で、丹生=水銀朱である。


赤は血液の色で、再生を意味する。



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具志川村には安慶名「姓」のほか、和宇慶(わうけ)氏も多く住んでいました。もとの和宇慶氏は、和宇慶の獅子舞→「犬の舞」と「烏の舞」を得意としていました。

和宇慶(ワウケ)氏は、笠(うけ)にもみえる。古語では笠(かさ)は→笠(うけ)と記されている。鹿児島県の阿多(金峰町)と黒瀬(笠沙町)は、「盛」→「酒」の町で、酒は「お米」で造る→酒には酉(とり)が付随します。「犬飼い」と「鵜飼い」は、古くから付随していた。阿多の金峰町と笠沙町は「田布施」といい、古い平家の住む町でありました。2011年には、薩摩と長州の「田布施」ブームが起きました。


薩摩隼人は「源氏」で⇔阿多隼人は「平家」である。


阿多隼人は古代、紀伊半島に住んでおり、「今来隼人」として、宮門の防人=久米部でありましたぐぅぐぅ眠くなると、犬の吠声を行う仕事が古代にはありました。



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具志川村で生まれた「大城勇」は天秤座後ほど越来村の「越来堅勇」となる。具志川村の田場には、安慶名氏が多く⇔越来村には「安慶田」という部落がありました。

その文字は、安田(あた・あだ)とも似ている気がしました。

安田(アタ)と和宇慶(ワウケ)は、鹿児島の阿多・笠沙(ウケ)に似ている。

笠(カサ)は、むかし「うけ」でありました。

阿多は昔の「田布施」は、古い平家の住まい。

具志川村の天願川、みどり町龍龍信仰のふうにもみえる。天願川の水源は、読谷山岳を発し、楚南川、栄野比川、川崎川を合流する。水源である読谷山(ゆうたんざ)の楚辺(そべ)には、赤犬子(あかいんこ)という赤犬に育てられた人が住んでいました。


楚南川と楚辺は?「越」を亡ぼした「楚」にもみえる。「呉」を亡ぼした「越」は⇔「楚」に滅ぼされ⇔「楚」は「秦」に亡ぼされた→「楚」は、鵜飼い発祥地である。

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東側・具志川村の天願川の水源である西側にある読谷山には、赤犬子(あかいんこ)という「唄い人」が、慶良間諸島の阿嘉(あか)島からやってきました。阿嘉犬子は赤犬子に代わりました。


読谷山(ゆんたんざ)にある楚辺には、赤犬子(あかいんこ)が祀られている。


読谷山の赤(アカ)はもと→慶良間諸島の阿嘉(アカ)であり⇔赤犬子は、もとは慶良間諸島の阿嘉(アカ)の犬子で、慶良間は久米島と沖縄島の「潮と風待ち」の島でありました。

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また久米島は、中国大陸と九州⇔台湾方面へ渡る『潮と風待ち』の島でありました。


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日本の地名 (岩波新書)/岩波書店

赤犬子(あかいんこ)は、具志川村の田場に流された伝説がありました。


沖縄島と久米島の「具志川村」は通づる→
具志川村には、昆布と宇堅の他、天願、みどり町、赤道もありました。


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赤道は?赤犬子への道に?みえる→


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はなしは飛んでしまいましたあせる


中国雲南、タイ、ビルマ、ラオスには「アカ族」 が住んでいる。彼らは、古代から中央に追い詰められ山から「やま」の僻地へと引越し、他の民族と付随したり、名称を代替していました。「わたしたちの祖(おや)は、犬だ」と言っています。

アカ族は、鳥居、獅子、注連縄、竹造り、藍染め、ろうけつ染め、機織り、糸紡ぎ、お歯黒、大麻(おおあさ)、高床式家屋と平土間式家屋、囲炉裏、稲作の民でてんびん座古代の阿多隼人と江戸時代ころ、日本人の似ています。

アカ族の租(おや)は犬であるけど⇔彼らは犬を食べるという「二面性」を持っています。犬を日常的に食べるではなく⇔精霊に捧げる生贄という特定儀礼の際に食べるという。

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鳥居の笠木には鳥居とり神社がいた?



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日本民俗文化大系〈3〉稲と鉄―さまざまな王権の基盤/小学館



アカ族は、稲の種まきの始まる四月吉日、村の出入り口に門を作る。笠木の上には 木製の鳥を数羽載せ、門には「竹と注連縄」が掛けられ、 鬼の目がつけられる。門の前の地面には、木製の弓矢や刀が刺してあるという。



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さらに話しは飛行機飛ばして→



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沖縄島の山原(やんばる)→安田(あた・あだ)では「シヌグ」という山神に稲作→「お米信仰」の儀式を稲藁ふうの五穀豊穣祭りをてんびん座「ウンジャミ」という海神に付随して行われる。

となりの安波は、粟→安房→阿波→久米氏と通づる→


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安田(あた・あだ)→阿多→阿陀→吾田→安太⇔安波→安和→阿波→粟→安房→と「代替と変換」している?http://ameblo.jp/yuukata/entry-11279546954.html と?「もうそう」してみた→


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なぜか?安田(あた)と安波(あは)はてんびん座阿多の「ソラヨイ」とアカ族のと似ている。

やはり、犬祖伝説があるかもしれない‥

犬祖伝説は龍鵜飼いとともに龍龍信仰とも深く通づる→


それは、



「もうそう」のかたまりで、



あるけど→















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