”車争い”の場面 続き

 

本文 斎宮の御母御息所、「ものおぼし乱るる慰めにもや」と、

忍びて出で給へるなりけり。

つれなしづくれど、おのづから見知りぬ。「さばかりにては、

さな言はせそ。大将殿をぞ豪家には思ひきこゆらむ」など言ふ

を、その御方の人も交じれれば、「いとほし」と見ながら、用

意せむも煩はしければ、知らず顔をつくる。

 

現代語訳 その車は、斎宮(伊勢神宮に仕える皇女)の母君の

御息所が、源氏の薄情な態度に思い乱れる心を慰めようとして

お忍びで出かけた車だった。

騒ぎに平然としていたが、葵の上方は、御息所の車と気づいて、

「その程度の車にでかい口をたたかせるな。大将殿(源氏)の

御威光を笠に着るつもりだろうが」などといやみを言う。

葵の上一行には源氏の従者も交じっていて、源氏と御息所との

関係を知っており、御息所を気の毒には思うけれど、仲裁に入

ると面倒なので、知らんぷりである。

 

 

本文 つひに御車ども立て続けつれば、人給ひの奥に押しやら

れて、ものも見えず。

心やましきをばさるものにて、かかるやつれをそれと知られぬ

るが、いみじう嫉きこと限りなし。榻などもみな押し折られて、

すずろなる車の筒にうちかけたれば、またなう人悪く、悔しう、

「何に来つらむ」と思ふに、かひなし。

 

現代語訳 とうとう御息所の車は、葵の上方のお供の車の後ろ

に押しやられて、見物できなくなってしまった。

御息所は、頭にくるのはもちろんだが、こうしたお忍び姿を大

っぴらにされたことが、なんとも悔しくてたまらない。乗り降

り用の踏み台などが壊されて、よその車に寄り掛かって駐車す

るしまつで、みっともないし、悔しいし、何のために来たのか

と悔やんでも、今さらどうしようもなかった。

 

★貴人としても女としても、プライドを深く傷つけられた御息

所は、やがて平常心を失い、魂が遊離するようになった。生き

ながら怨霊となって祟るのである。煩悶の元凶である源氏を責

めるのでなく、葵の上を襲うことになる★

 

         角川ソフィア文庫ビギナーズクラシックス

                 日本の古典源氏物語より