雄阿寒岳
彼も確りと目に焼き付けたことでしょう
あの天才歌人石川啄木が新聞記者として釧路新聞社赴任の為に
釧路駅に降り立ったのは
明治41年(1908年)1月21日の夜 啄木21歳の時であった
厳寒の最果ての寂しき町はひっそりと侘しく虚しさもあったでしょう
さいはての駅に下り立ち雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき
76日間の滞在中に果敢な記者活動と共に文学活動をもして
数多くの歌を詠み遺している
啄木の足跡と共に釧路市内に点在する啄木の歌碑は二十余基がある
また啄木の歌をまとめた「一人百首」は歌碑と共に
縁し深い釧路に遺された文学遺産でもありましょう
しらしらと氷かがやき千鳥なく釧路の海の冬の月かな
神のごと遠く姿をあらはせる阿寒の山の雪のあけぼの
さびしき町の下宿屋
二階八畳間はよい部屋であるはあるが
火鉢一つを抱いての寒さは何ともいへぬ と日記に記していたそうです
氷たるインクの瓶を火に翳し涙ながれぬともひびの下
大寒に入るも気温6度
117年前の吹曝しのさびしき町の釧路はさぞかし寒かったことでしょう
石川啄木を偲び今日は歌集
一握の砂 ・悲しき玩具 を紐解いてみる事にしましょう
釧路新聞 後 北海道新聞となる