因果倶時 花が咲いて実を結ぶ であれば結構な事だけれど

原因と結果が同時に備わっているのであって、従って私は今ここに居る

現在あるのは過去の結果、今の結果が未来に繋がるという事は堂々巡りではないか。

どうすれば輝かしい望み通りの未来、来世というものに巡り会えるのか?

またバカなことを考える、巡り会えるのかではなくて、望み通りの未来を創り上げる

のは自分自身であっていま当にその時なのである。

正道を行け、人として真面目に人生を勤めよ といってもどうすればいいのか?

 

釈尊の教えには「一瞬の生命に原因と結果が備わっている」という事らしい。

のであれば一瞬たりとも無駄にはできない、なんせ先が限られた短い時間である。

考えているヒマさえ貴重な時間なのだ、何でもいいから「今日を行動せよ」と天の

注意喚起が聞こえてくる。

さて、行動である、何でもいいから行動だ とにかく何かをすべきだ

 

読書の秋であるからソファーに横になって本でも読もうとしようか

これも私にとっては行動の一つだ。

悟りもなければ反省も無し

 

因果俱時 ああ~諭しがいのない凡夫であると、神仏の嘆きが微かに感じる。