稲村ケ崎の駅から極楽寺方面へ向けてなだらかな坂道をかなりの距離を歩いた。
ただ時代的な屋敷が立ち並ぶだけ、店舗らしきものは見当たらない。
日常の必需品の調達はどうするのかしらお店がありません。
何を言ってますかお姉さん、御用聞きさんがいます。
へ~いまだに御用聞きさんがねぇ、そうですか。
デパートの外販もあります。
御錠口を通り抜け石畳みを60メートル程歩いて玄関前に辿り着く。
お抱えの庭師がいて庭は常に丁寧に手入れがされていた。
庭師の奥様はお女中さん、今でいう家政婦さん。
屋敷はぐるりと縁側に囲まれたコの字形になっていて結構広い中庭があった。
祖父は縁側に陣取りいつもお茶を飲みながら中庭を眺めていた。
伯父様の書斎は檜作りで照明は白熱電球だった。
一日中蛍光灯の下で仕事をしていると、その光り具合が嫌になるという。
驚いたのはトイレ、和式のトイレは畳敷だった。
どうやって用をたしたらよいものやら戸惑ったものだった。まるで江戸時代。
祖父母が他界し、伯父様が亡くなって疎遠になり30年以上になるが、鎌倉のあのお屋敷はいまどうなっているのだろう。
多分従弟は近代的ではない大きな屋敷を持て余し、売り払ってきっと都会暮らしなのだろう。
武家屋敷が立ち並んでいた鎌倉のあの町も今ではすっかり様変わりしているのでしょう。
時の移ろいの中で人の歴史も、様々な歴史の形も埋もれて消えて行くのもまた、歴史の一辺なのでしょうか。
間もなく平成の時代も終りを告げまた新たな時代の幕開けとなる。
いつか消えて行くかも知れない人々の歴史がまたつくられてゆくのでしょう。