追悼 若生智男さん・久我美子さん | 郵便局員のごった煮よもやまブログ

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残念な訃報がまた相次いで届きました…。

 

元プロ野球選手の若生智男さんが亡くなられました。亡くなる2週間ほど前より体調不良で入院していたとの事です…。

21年の長きにわたり活躍された名投手であった。仙台市の出身で高校は名門の東北高校に進学するも残念ながら甲子園に届かず、卒業後の昭和31年に毎日オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)に入団、大柄な身体ながらも身体に負担を掛けない投法から速球を繰り出すところから「火の玉投手」と呼ばれ、既に毎日大映(大毎)と球団名を変えた昭和35年に13勝を挙げ初の二桁勝利を達成すると共にチームのリーグ優勝に貢献、以降は主力投手として昭和37年には15勝を挙げた。

その後昭和39年に阪神タイガースに移籍、同年5勝ながらもチームのリーグ優勝に貢献。その後もチームの主力投手として先発・中継ぎの両方をこなし重宝され、30歳を過ぎた昭和44~46年に3年連続二桁勝利を達成し、また時期をほぼ同じくした昭和45~47年には投手コーチを兼任した。その後昭和50年に広島東洋カープに移籍し、ここでも同年のチーム初のリーグ優勝に貢献、これにより史上初の所属3チームでの日本シリーズ出場を達成し、ある意味「優勝請負人」の元祖的存在と言えた。しかし翌昭和51年に現役を引退し21年間に及ぶプロ選手生活を終えた。

現役引退の翌年の昭和52年にそのまま広島の投手コーチとなり、以降はロッテ→阪神→ロッテ→阪神→ダイエー→横浜と20年渡り歩きそのほとんどを投手コーチとして過ごし(たまにフロントもあった)、経験に基づいた理論で多くの投手を育て「投手育成名人」と言われた。

私が1歳の頃に引退したので現役時代の姿はリアルタイムで見てないし、その後も選手としてのこの方の映像がほとんど取り上げられる事が無かったので(見てなかっただけかもしれないが…)、この方の事は資料で見るしかなかったのが実情である。また現役引退後は20年にわたりコーチやフロントを務めていたのでその間1回も解説者を務めて無かった事も自分的には印象が強くなかった要因かもしれない(ファンの人には怒られるかもしれないが…)。

平成8年の横浜退団後は一旦仙台に戻り東北野球界の御意見番として活動すると共に社会人野球の指導を行い、その後は千葉県に移り船橋の中学・高校の野球部の外部コーチとして活動していた。

正に最後まで野球に捧げ尽くした人生と言える生涯でした…。

 

女優の久我美子さんも亡くなられました。誤嚥性肺炎で入院し、そのまま亡くなられたとの事です…。

戦後の日本映画を代表する名花であった。公家の流れを汲む侯爵の娘として生まれたが(但し実家の名字の読みは「くが」では無く「こが」)、元々家の経済状態悪化の上に戦後の華族制度廃止される事で更なる困窮に陥ってしまう事から家計を助けるために昭和21年に第1期東宝ニューフェイスに合格、翌昭和22年にオムニバス映画『四つの恋の物語』でデビュー。その後は映画『酔いどれ天使』の女学生役など活躍が増していく中で昭和25年に映画『また逢う日まで』での岡田英次さんとのガラス越しのキスシーンは大いなる話題となり女優としての地位を不動のものにした。

その後も家柄からなる気品溢れる容姿で『白痴』『あにいもうと』『彼岸花』など多くの映画で活躍、一方で『女の園』『女囚と共に』などでは清純派の殻を破った演技を見せた。昭和29年には「女だけのプロダクションを作ろう」岸惠子さん・有馬稲子さんの3人で「にんじんくらぶ」を設立、従来のシステムにこだわらない活動ぶりを見せた。

昭和36年に平田昭彦さんと結婚して以降はテレビドラマや舞台にも出演するようになり、『図々しい奴』『旅路』『華麗なる一族』などのドラマで活躍、一方で昭和44年よりワイドショー番組『3時のあなた』の司会を1年間務めた。また昭和59年に平田さんに先立たれるが、平成元年には映画『ゴジラVSビオランテ』でゴジラ映画常連であった夫の遺志を継ぐ形で官房長官役で出演し話題になった。

御恥かしい話ではあるが、名前は存じていたがこの方の映画を1回も見た事が無かったのが現実である。ドラマの過去の出演歴を見て調べてみたら私が見たドラマは『プロゴルファー祈子』(主演 安永亜衣)ぐらいであった。驚いたのは『月曜ドラマランド』の「はいからさんが通る」(主演 三田寛子)・「新ハーイあっこです」(主演 森尾由美)に出ていた事、あの番組に出演した女優の中では1・2を争う大物じゃないかな、機会があったら見てみたいものである。

その後平成12年の映画『川の流れのように』(主演 森光子)が最後の仕事となり、平成16年には義姉の三ツ矢歌子さんの通夜に参列したのが最後の公の場だったそうです…。

93歳は間違いなしの大往生ではありますが…、残念な事であります…。

 

 合掌