残念ながらまた『アメリカ横断ウルトラクイズ』で活躍された方があの世へ旅立ってしまった…。実は今年亡くなられた第3回クイズ王の宗田利八郎さんを除いて当ブログでの過去のウルトラ活躍者の訃報記事の題名はその方が一般人という事もあって少し遠慮して「ウルトラ戦士の死」などの題名にしたのだが、今回は私にとってもヒーローの一人であるという事もあって題名にあえて実名を書かせていただきます…。
『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』第4位の田川憲治さんが先月亡くなられました。昨年の不慮の事故により一年以上昏睡状態が続いたままで、残念ながら目覚める事がありませんでした…。
今やクイズ界を賑わせている東京大学クイズ研究会だが、実は田川さんはその創立メンバーであった。しかし大会での活動実績はどうなのかは知らないが、情報を総合するとクイズ番組の出演は無かったらしくウルトラクイズも第7回から参加して後楽園球場および東京ドーム第一次予選落ちが続いたので、東大卒業後富士通に就職して初めて予選通過をして活躍した第13回が実質的なテレビデビューだったそうです(クイズ雑誌『QUIZ JAPAN』第2号での第13回ウルトラベスト4の座談会で「番組出るの、初めてだったもん。」と言ってました)。
そして前述の通り第13回ウルトラクイズで第4位の大活躍をしたのだが、ハッキリ言って名場面を書くには量があまりにも多いので今記事では一応省略としまして、後日改めて独立した記事で書かせていただきます。
ウルトラ後は終生富士通で働いた一方で『クイズタイムショック』(生島ヒロシ司会の頃)で11問正解で惜しくもパーフェクトを逃したり、それから大分後年になるがNHKの『ホールドオン』にも登場した。また第13回クイズ王の長戸勇人さんの著書によれば雑誌『マイバースデー』に写真付きで登場していたそうです。またSNSもこなしていて特にブログには当の第13回ウルトラの旅行記が書かれていてウルトラファンを喜ばせていました。
しかし前述の通り昨年不慮の事故で昏睡状態となってしまったのだが、その事は私も知っていたので内心目覚める事を願ったのですが・・・、残念ながら目覚める事無くだったようです・・・。
第13回ウルトラは私が中学2年の頃ですが、ウルトラは小学生の頃から見ていたのだがこの回は見てて本当に凄かったし、あの準決勝ボルチモアでの激闘を見た私にとってはその激闘を戦った他の方々(長戸勇人・永田喜彰・秋利美紀雄)と共に田川さんもヒーローでした。
亡くなられてから田川さんのブログを訪問して改めて第13回ウルトラの旅行記を全部拝見しました。その時の裏側も書かれていたが、それがまたその回のウルトラへのロマンを更に掻き立てられたものであった。ぜひこのウルトラ旅行記が消えずに永久に残ってくれればと願う次第であります。
1年以上も眠ったままで意識戻らず…、田川さん本当に無念だっただろうな…。
合掌