約40年前、ウエイトリフティングで日本人初めて200㌔を挙げた選手がいる。
大川克弘選手、当時は大阪府警の警察官
※写真はボカしてます。

これは、その当時の写真。奈良国体の終了後。
ボカしてなかったら、別人のような僕も披露できたのだけどね。
 
さて、なぜこの写真を出してきたかというと、
大川さんの後輩が協会の職員(元警察官)にいて、若い頃の写真あるから持ってきますわ。となったからだ。
ま、ウエイト絡みの話しは機会があればまた書きます。
 
 
 
その話しとは別に、数週間前、久々に飲み会があった。
引退した講師「山ピー」こと、口から産まれたような男が金曜の夜、空けといてくれと電話してきた。
彼は、首から上がレクサスの中クラスが1台買えるほど金をかけている男だ。
なんせ、全部の歯がインプラント、髪の毛は2週間単位ででメンテナンスが必要な、
引っぱっても抜けないカ〇ラだ。
僕より5歳上だが、なんせ「鉄の委嘱順」僕の方が先輩なので、
一応、互いに気を使う所がある。
 
 
6~7年ぶりに山ピーとほぼ同期の講師Eさんが業界に戻ってきたから飲み会をしたいという。
 
 
このEさんだけは「鉄の委嘱順」が僕の頭にない。
何故かというと、年は僕より6歳上
そして、約40年近く前、僕の指導先輩だったからだ。
 
そう、僕も少しの間だったけど、「元」
最初はK学校に入校。全寮制で早朝から深夜までほとんど自由な時間もなく、
部屋から一歩出たら3歩以上は駆け足。
毎週月曜日の朝イチは「教練」という時間があって、
服装、装備品のチェック、基本動作や部隊行進など、
よくテレビで見る「アレ」をやらされる。
髭を剃ってなかったらとか、ズボンの線が入っていなかったら
教官から指揮棒で殴られ、延々と走らされるか、腕立て100回。
装備品の忘れ物でもしたら、倒れるまで走らされるだろう。
ハラスメントなんて言葉も無い時代、今でもそんなんやってるのかな?
線の細い子多い気がするけどw
入校して1週間ほどで何人も辞めていく。
巡〇拝命までの足切りだ。
 
おまけに大阪では3大訓練というのがあって、
一番きつかったのが、機〇隊が着てる出動服着て、鉄板入りのコンバットシューズ。
そしてジュラルミンの盾持って40㌔ほど走らされ、その後、土嚢担いで河川を何往復もする災害救助訓練だった。
泥まみれになって、泣きながら走った記憶があるw
 
 
指導先輩というのは、4~5年先輩で、現場に一度出て、その中から優秀な者が選ばれる。
数人いて、入校者の相談相手や生活全般の指導をしてくれる、いわば頼りになるお兄さん的存在だ。
教官は、階級も2つぐらい上だから神様以上の存在、絶対に自分の意見は言えないが、指導先輩は階級も同じで優しいイメージが残ってる。飴と鞭みたいなもんだ。
 
数年経って、E先輩が、僕が若手だった頃の検定に受講生に来てた。
休憩時間に「もしかしてE先輩ですよね?辞められたのですか?なぜ?」と直立不動で聞いたことがある。
 
事情はさておき、
それから数年後、Eさんも同じ講師になった。
「鉄の委嘱順」はどっかいって、僕は先輩の前では常に敬語&直立不動
2人で酒を酌み交わすこともあったが、常に敬語
山ピーは、「なんで俺とこうも態度ちゃうねん」と言っていた。
 
 
数年ぶりに会った先輩
髪の毛は、山ピー程ではないにしろ、少し寂しくなっていたw
やはり直立不動の僕。「ご無沙汰しています」と15度の会釈、いや敬礼。
これは生涯直らないだろう。。。
 
40年という月日より、あの時の強烈な生活は年数関係なく引き継ぐものだ。
 
 
 
50年前に過激派だった、今朝ニュースになってた人。
あの人の人生は偽りだらけだったんだろうね。。。
 
K学校では、過激派と893には人権ないんじゃい!と息巻いていた
四課出身の教官を思い出した(笑)
 
ちょっと暇だったからとりとめのないことを書いてしまったwww