なぜ、命は不平等なのだろう。

 

なぜ、幸せを経験することもなく、

何も悪いこともしていない子供が亡くならなければならないのか。

 

幸せの数も量もなぜ不平等なんだろう。

 

神様はいないのだ・・・

神様がいるのなら、なぜ、こんなひどい事をなさるのか。

その理不尽さで狂いそうになっていました。

 

あとを追いたい、追えたらあの子に会える・・・

 

そんなとき、導かれるように、同じ辛い経験をされた方たちのブログを読みました。

自分の辛い経験をブログに綴ってくださり、

その言葉で私の心を救ってくださいました。

 

本もたくさん読みました。

 

亡くなっても無ではなかった。

 

ミディアムさんとのセッションからも、あの子の魂がいる!本当にいる!

と確信をするしかない、信じるしかない、そんな経験をさせていただきました。

 

「死んでも生きてる! 魂は生きててくれてる!」

 

娘の愛しい肉体はなくなり、声を聞くことも笑顔を見ることもできくはなりました。

 

でも、魂は生きている。

 

魂を確信できたことで、私の気持ちはずいぶん救われました。

あの子は、ちゃんといる。

肉体はないから見えないけど、いてくれてる。

間違いなく。

 

娘のために嘆き悲しむ日々は、決して娘は喜んでいません。

私を幸せにしたいと願ってくれている亡き娘。

 

そんな優しい優しい魂になった娘と一緒にこれから残された人生を生きます。

 

こう考えることは、自分を救うためで、なんてずるい考えなんだ!

自分が楽になろうととしているだけじゃない?

子供が死んでしまったのに、自分だけ幸せになろうなんて、

私はなんてひどい人間なんだろう。。。

と、自分を責めてしまうこともあります。

 

でも違う。

 

娘は母親である私を幸せにしてくれようとしている。

決して自分を責めないでっていう声が聞こえます。

 

私は人に恵まれているなあって思います。

今、私の周りにいてくれている人は、とても温かい優しい心を持った人たちで

人の優しさに恵まれて生かされています。

私はその人たちのおかげで、今があります。

そんな人に私もなりたいと思います。

今、心が穏やかで、感謝の気持ちを持てて生きていけています。

 

娘の魂はもちろん一緒。

これからもずっとずっと。

 

命の不平等、幸せの不平等、ではないのですね。

命も幸せも、魂の姿から見れば、決められてきた通りだったのだから。

全てに意味がある。

私が生かされている意味もある。

 

そう思える今日この頃です。

 

これから私の人生で起こる、辛い事、苦しい事、幸せな事、

全てを経験することが私の生きる意味。

 

「蛇の道は蛇」

自分の経験してきた事は理解することができる。

辛さを知らなければ、人の痛みや辛さを理解することはできない。

このとてつもない苦しみを知ったからこそ、人の痛みが以前よりは理解できるかもしれない。

 

娘が教えてくれたこと。

 

ありがとう。

 

お母さんにそんなすごい事を教えてくれた娘に心からありがとう。

ずっとずっと愛しているからね。

これからも一緒だからね。