函館~ニセコ~積丹 北海道 新元号カウントダウンの旅⑨ | ゆうとの鉄道ブログ

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ボストンバックとカメラを片手に
寝台列車に飛び乗った
遠い昔に 一度忘れた夢
深夜の汽笛

行き先も無い 終着駅も無い
夜明けさえ来ないなら

このまま乗っているつもりだ

2019/04/29~2019/05/01、東京から函館→ニセコ→積丹と北海道の道南から道央へ、鉄道と車で大自然の湯と極上の食を求め北上し、複数路線の配線跡地を巡りながら時代が変わりゆく平成~令和の歴史的なカウントダウンを過ごした2泊3日の旅紀行を掲載しています。
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何処にも出かけない週末、、、、

今日で何週目なんだろう。

最近じゃあ近所のコンビニに行くにも

マスクはもちろん、100均で買った使い切りの

薄いポリエチレン手袋まで装備していく。

いろんな方がTVやWebで呼びかけているが、

行きたいところに行けて、やりたい事が出来て

当たり前のような生活ができる。

ほんとにそれってありがたくもあり貴重なことで、

不自由になって初めて気付くものだね、、、。

いつまで続くのか、、、

ほんと一日でも早い終息と、すべての方々の

ご健康とご無事を心より祈りたい。


という事で、前回の続きから。


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旅の最終日となった3日目のam10:05、旧胆振線の廃線跡地、六郷鉄道記念公園を訪れ早朝から続く重たい曇り空の中、ほぼ予定通りに出発。




さてここからのルートは、いよいよこの旅の最終到達地点となる積丹半島の先端にある神威岬(かむいみさき)を目指し北上、そしてその軌道上の途中に素晴らしい立寄りスポットを事前調査で発見していたのでそこを経由しての約70.4kmの移動となる。



まずは国道5号線を北上、やがて立寄りスポットがある共和町の案内が出始めた。それにしてもどこまでも続く重たい曇り空だ。




最終到達地点となる神威岬には、予定ではお昼ちょっと過ぎの到着予定で、そこには超美味しい海鮮のお店が何件か存在するが、ゆっくり食べる時間を作るには移動時間も気になるところだ。




国道5号線から国道276号線へと入り、岩内方面を目指せば立寄りスポットが近づく。




すると国道沿いに踏切らしい風景と列車が見えた。ここが目指していた立寄りスポットであることは間違いなさそうだ。



やって来たのは幌似駅、完全に普通のローカル線の鉄道の駅のように見えるが実はここ駅舎、ホーム、駅名標、線路、車両と一通りそろっている廃線跡地なんです。





ここは旧岩内線の廃線跡、幌似駅跡地であり現在は幌似鉄道記念公園となっている。旅の2日目に旧瀬棚線廃線跡地を訪れ、3日目のこの日は朝一番ですでに旧胆振線の廃線跡地を訪問、そしてここ旧岩内線でこれでこの旅3つ目の鉄道廃線路線巡りとなった。




この辺りから見るとまるで駅そのものが残っている素晴らしい鉄道遺産だ( ̄▽+ ̄*) 岩内線は現在の函館本線小沢駅を起点とし、終点の岩内駅まで西へ約14.9kmの短い路線だった。



駅舎内に入れるようになっていたので、見学させてもらった。さよなら岩内線岩内号のヘッドマークや事務備品など岩内線関連資料が保存展示されている。





岩内線の歴史は古く、岩内と函館本線を接続する目的で1912年(大正元年)に全線が開業、1980年(昭和55年)に国鉄再建法が成立すると第1次特定地方交通線に指定され、1985年(昭和60年)7月1日に廃止となった。




ちなみにこの幌似駅は映画『旅路』(1967年(昭和42年)、製作:東映、監督:村山新治)のロケ地として利用され、物語の主役、室伏雄一郎(演:仲代達矢)の勤務駅として作品では函館本線塩谷駅として描かれたそうだ。




さて駅舎からホーム側へと出てみよう。当時を思わせる木造づくりと平仮名の駅名がイイねえ(*^ー^)ノ




かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であったが、廃止時点では単式ホーム1面1線、現在は国道276号線と並走するようにひっそりと佇む。




当時のままではないと思えるが、駅名標もしっかりと存在している。普通にローカル線の駅として見間違えるようなこの存在感はほんと貴重だね。





静態保存されている車両は、1955年(昭和30年)から数年間にかけて製造されたワフ29500形のワフ29587有蓋緩急車。昭和30年代の国鉄ローカル線においては、貨車に緩急車設備を追加したワフ29500形が多数使用されていたようだ。




そしてこちらは昭和20年代後半から製造されている旧型客車であるスハフ42形のスハフ42 507。スハフ42形の北海道向け改造車の番台がこの500番台のようで、スハフ42形0番台から改造された19両のうちの1両のようだ。




何度も塗り替えられているとは思うが、個人的な意見だが僕が好きな20系客車の青15号インクブルーに近い色合いが印象的な車両だ。



この車両は素晴らしいことに車内に入れるようになっていたんだ。昭和の旅情をほんのひととき味わえる素敵な空間だ:*:・( ̄∀ ̄)・:*:





当時のものなのかは不明だが、ちゃんと型式プレートも残っているようだ。



車内散策をしてみよう。洗面所なども綺麗に残っていて、そこに至る各種ドアも硬さはあるがきちんと開閉可能だ。







ホームから友人に僕が実際に乗車しているかのように撮ってもらった(笑) ちゃんと旅人っぽい感じの演技をしている、、、∑ヾ( ̄0 ̄;ノ




実はこうした廃線跡地が、実際の場所から少しだけ移動した場所に多く存在する事は前にも書いたが、ここ旧岩内線幌似駅跡地も同じく、実際はもっと南側の国道276号線の向こう側に存在した。




しかもここ幌似駅跡地は、一度実際の駅跡地に廃線跡地として存在した後、2007年に国道276号岩内共和道路の工事のため、共和町により公園全体が移設されたと記されている。鉄道遺産を守るために駅舎や車両を処分せずに、そっくり移設する決断をした共和町に心から敬意を表したい。



さて時刻はam11:00、まずまずの予定通りの時間の使い方でいよいよ神威岬へ向けて車を走らせる。国道229号線へ入るとここからは海沿いのラインを北上する。




途中の盃温泉付近、通過する見覚えのある大きな岩山に目が行くと、、、、おお、、これは紛れもない、太川さん蛭子さんのローカル路線バスの番組で立寄った弁天島ではないか、、、。番組ファンの僕には嬉しい数秒間のひとときだった。




やがて走行する国道229号線の案内板にはついにこの旅の最終到達地点となる神威岬の文字、さらに海沿いの彼方には神威岬のシンボル、高さ40mの垂直に立つ神威岩も見えてきた。




そしてam11:56、神威岬到着:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
お昼過ぎになるかと思っていたけどこの時間の到着は嬉しい限り、ただしこの重たい曇り空を除けばね、、、。



さてさて、旅はついに最終到達地点である神威岬へ到着。

だけどここはまだ駐車場付近で、実際に岬の先端までは

ここからまだ徒歩で20~30分かかるんですよね。

願いに願っていた空模様はご覧の通りこれ以上にない

重たい曇り空が広がっています( ̄□ ̄;)!!

神威岬の醍醐味といえば積丹ブルーと言われる限りなく

美しい青い海、、、、

この曇り空で見れるのだろうか、、、、Y(>_<、)Y


旅はまだ続きます