9月に入って今日で3日目、、、
東京はちょっとだけ涼しくなってきた感がある。
昨日の土曜日は、日中結構涼しく感じて、ちょっと出かけたんだけど、
半袖のポロシャツでは寒そうなんで、薄い長そでのパーカーを着た。
よく考えたら、今記載している北海道の旅の時に着ていた薄いパーカー。
この旅以来初めて袖をとおした。
旅の思い出や、なつかしさが蘇る感じがしたなあ~
という事で、前回の続きから。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2017/06/03~06/06 、東京から旭川~網走~釧路⇔根室~襟裳岬~帯広~糠平~旭川と、3泊4日で、北海道のおよそ中心から東端へ。鉄道と海鮮と景色を楽しみながら廃線跡地を巡る旅に行ってきた旅紀行を連載しています。
旅の2日目、時刻はpm15:40。
我々は根室半島を後にしてこの夜の宿泊地である釧路へ戻るため進路を東へと向け、国道44号線を走りながら、根室本線と並走する付近の厚床駅で進路を北へと変更、今は無き旧標津線の路線跡を辿りながら北上した。
そしてpm16:30、国道44号線の厚床駅で進路を北へ変えた地点から約10.8km、およそ12分でやって
来たのはここ旧標津線の廃線跡地、奥行臼(おくゆきうす)駅跡。

まずはこの今も綺麗な形で残っている駅舎が我々を迎えてくれる。
まるで今も現存のローカル線の駅舎のようにも見える。

標津線は国鉄時代の1933年から1989年まで運営された鉄道路線で、現在の釧網本線の標茶駅が
起点で標津町の根室標津駅までが本線として繋がっていた。
そしてその途中の中標津駅で本線から分岐し、根室市の厚床駅で根室本線に接続する支線もあり、この奥行臼駅はその支線の方の終点厚床駅の一つ手前の駅だった。

現在は別海町の指定文化財となっていて、本来なら駅舎の中も見学可能のようだが我々の辿りいた時間が遅く、駅舎の中へ入ることは出来なかった。

駅舎の横をすり抜けると、目を疑う光景が広がっていた。
何と素晴らしい廃線跡地だろうか、、、、。

駅舎、線路、ホーム、駅名標、そして電柱と電線までもが綺麗な形で残っているんだ。
車両こそ無かったが、逆にこれだけの素晴らしい廃線跡地に車両は必要無いかもしれない。

強くなり始めた雨に一旦駅舎の軒下へ入り、音も無く佇みまるで時間が止まったかのような見事な廃線跡地に感動し、言葉を失い、必死にシャッターを切り続けた。

ホームへ上がってみる事にする。
駅舎からは線路を横断して、ホームへ上がる階段があった。

当時のままのこの小さな階段にも、強い感動を覚える。

ホームに上がり、南北に延びる線路の南側となる厚床方面を望む。
この駅は島状の単式ホーム1面1線と、駅舎とホームの間に貨物積降線1本、及びホーム外側に厚床側から引き入れた留置線を有した。

斜めにはなっているものの、この駅名標はおそらくは当時のままなんじゃないかな。
素晴らしい、、、感動で言葉が出ない∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

そして北側となる別海方面を望む。
この廃線跡地の周辺に、現代を感じさせる建造物が一切無いので、まるでこの場所だけ異空間となり、当時のまま時間が止まった世界観を有する。

今度は線路へ降りて北側を撮影。
遠くに見える白っぽい小屋みたいな建造物で線路は終わっているように見える。

北側の線路が残っている最終地点まで歩いてみる事にする。
それにしても綺麗な形で線路が残っている。

草木が茂っていて、白い小屋のところまでは行けないが、線路はこの先も少し続いているようだ。

北側の線路の最終地点から振り返り、南北に延びる線路の中間に位置するホームと駅舎を望む。中央のホームより北側、写真右側には貨物積降線と思われるもう一つのホームのようなコンクリート跡が見える。

そして一度中間地点のホームと駅舎まで戻り、今度は南側へ歩いてみる事にする。

南側の線路が存在する最終地点は、森林によって塞がれている感じだ。
本当に見事に線路の痕が残っていて、今にも正面から列車が来そうなほどだ。

線路のクロス部分も、今でも列車が走れそうなほど保存状態が良好で、ホント驚きだ。

南へどんどん進むと、この辺りが線路が見える部分では最南端のようだ。

しかし友人は、草木の中をどんどん入っていく(* ̄Oノ ̄*)
彼曰く、草木の下をしばらく先まで線路は存在していたようだ。

南側から振り返り、ホームと駅舎を望む。
駅舎のほかにも、古い建造物がいくつか存在している。

これは保線関係の倉庫のようですね、レールが伸びているのがわかる。
安 全 第 一 という手書きのプレートが時代を感じる。

そして駅舎の横には、もう一つ建造物が。
カーテンがあるという事は、中で寝泊まり出来る設備だったのかもしれないね。

駅舎をホーム側から見てみる。
それにしても、この木製感が本当に素敵な廃線跡地だなあ:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

ガラス窓から駅舎の中を撮影してみる。
こちらは駅舎内の客側の空間、待合に使う長い木製の椅子が見えるね。

こちらが業務用のお部屋のようだね、当時のままの状態で残っている感じだ。
感動したのは壁のカレンダー、、、1986年12月のままだ。ここ奥行臼駅は1989年の廃止だがその前に無人化となったのが1986年11月なんだ。最後の勤務の方がカレンダーを1枚めくって
この駅を後にしたんだな、、、うわ~~泣けてきた∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

雨の音さえもこの時が止まった異空間は奪い、風の音さえも塞ぐ。
時間も音もないこの駅に咲く花は、何を想うのだろうか、、、。

さてさて、この大感動の標津線奥行臼駅跡地だが、実はこれだけではないんです。
歩いてすぐ横の場所には、もう一つの廃線跡地が。
そうここは何と二世代にわたる廃線跡地だったんです。

別海村営軌道の風連線の廃線跡地。
「奥行臼停留所」となっており、この奥行臼駅で標津線に接続していたんですね~。

風連線は1925年(大正14年)5月、 殖民軌道根室線として厚床~中標津間で開業、当初は厚床駅から中標津に至る馬の牽引(馬力)で運営しており、やがて自走客車となって標津線と同時期に運営していた時代を経て、標津線より約18年早い1971年に廃線となった。

この保存されているオレンジの車両は、釧路製作所1963年製自走客車で型式などは無番号だそうだ。

風連線奥行臼駅周辺は、使われていない小屋がひとつ、駅舎のようなものはなくこんな感じ。

グリーンの気動車っぽい車両は、加藤製作所製B型ディーゼル機関車だそうだ。

後ろには木製の貨物車が保存されていた。

そしてすぐ横には、転車台の跡もあった。
これはかなり感動だな~( ̄▽+ ̄*)

このオレンジの車両のすぐ横が転車台跡だ。

更に横には車庫のような建造物跡も見られたが、草木が凄く茂っていて、おそらくは骨組みだけ残っている感じだろう。

別海村営軌道の風連線の方は、さすがに50年くらい経っているので、
ほぼ何も残っていないが、二世代にわたる廃線跡地という事が素晴らしい鉄道遺産だ。
そして標津線の廃線跡地、奥行臼駅にはほんとに感動した。
あまりにリアルすぎて、これを廃線跡地と呼んでいいものなのか、、、
自分に問いかけるレベルでしたよ(笑)
廃線跡ファンにとっては、いろいろと好きなジャンルが異なると思う。
車両が無いと感動が無かったり、建造物が無い方が好きだったりとか、、、
まあ、これが廃線跡地ですってルールが無いから人それぞれでしょうが、、、
僕としては、これまで訪問した廃線跡地の中では文句無しの圧倒的な差で
1位ですな~ここは。。。
ということで、、、
時刻は旅の2日目のpm17:00、実は2日目はまだ訪問ポイントがあるんですよ(笑)
旅はまだまだ続きます~~~